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【小説】『マダム・タデイのN語教室』4/10

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(10回中4回目:約3300文字)


LESSON3 本音を聞けばゾッとする


 近所の奥さん達のほとんどが、最初に見たのは公園で動けない状態になっていたステファニーだったけど、私は隣に住んでいるから多分、N国に来たその日のステファニーに出会っている。
 ふわふわしたワンピース姿はその日からだったけれど、お隣の、その頃はまだ「息子さん」の隣で、息子さんに笑顔を向けながら、他所の国の言葉を話しながら私の家の門まで、近付いて来ていた。
「あら。こんにちは」
「ああ。こんにちは奥さん」
 笑顔を向けられて、うわっ、ってなったのは、何も気持ち悪い笑顔だったとかじゃなくて、これまで息子さんからは見た事が無い、心からみたいに晴れやかな笑顔だったからだ。あんたそんなキャラちゃうかったやん。
「その子は、また、お父さんが?」
「いいえ。この子は、僕の妻です」
 最初冗談でしょう、って素で思った。隣の多分、外国人の女の子も、首を傾げながら不思議そうに息子さんを見詰めているし。
「ステファニー、って言うんです。ステファニー。隣の奥さんに、こんにちは」
「コンニチワ」
 その頃から美人さんではあったけど、どっちかと言うとまだ可愛らしい、幼い感じで、妻に出来る年齢ギリギリくらいじゃないの? って気がしたけど、息子さんも二十二、三くらいだから有り得ないほどでもないのか。
「一体どこで知り合ったの?」
「旅先で。つい先日」
「出会ってすぐ?」
「すぐに、気が合ってしまったので。ステファニーも、僕の国に来たいって言ってくれたし、ね」
 私に対してなのか彼女に対してなのか、言葉を選んでいる、感じがすごくした。夫もよくやらかすけど、嘘をつき始めたばかりで設定が固まっていない。
「そんなにすぐ結婚しちゃって向こうのご家族とか大丈夫?」
「家族が、いないんです。だったら僕が家族にしたいなって」
「ああ別に、責めてるわけじゃないのよ? だけど、ステファニーさんは本当に良いの? 急に決まっちゃって今驚いてるんじゃない?」
「構わない、よね?」
 うん、って頷いてるけど、本当に伝わっているのかすっごく心配。
「まだ来たばかりで今日は、もう休ませます」
 家の前を通り過ぎて隣の敷地に入って行くから、
「お父さんはお祝いしてくれた?」
 って最後の質問はちょっと声を張る感じになって、
「父は、後から。僕達だけ、先に」
 そう言えばその後に聞かされた話と合っていないわって、気が付いたのは2年も経って、ステファニーにN語を教え始めてから。

「コンニチワ」
 今週になってようやく、トートバッグに学校でよく見るサイズのノートになってきた。ボールペン、もあるけど鉛筆に鉛筆削りも取り出してくる。シャーペンを使う習慣がもしかしたら無いのかもしれない。
 さて今日は、って考えてみて、本来の教え方なんかは知らないんだけど、動詞はちょっと後回しにして、電子辞書もある事だし、次は形容詞を調べていこう。自分の気持ちとか感覚とか、まずは思い付いたまま言えるようになりたい、って私だったら思う気がするから。
 ノートを縦に区切るのは名詞と同じだけど、横半分にも区切って見開きで十字にして、上半分の一番上の行に「良い」、下半分の一番上の行に「悪い」って書いた。
「嬉しい」「楽しい」みたいなすぐにでも使いたいポジティブな言葉は、どんどん連想してもらって、だけど、反対の言葉も一応上に書いた分は調べておこう、みたいな感じで念のため。
 ステファニーはこのやり方を気に入ってくれたみたいで、楽しそうな笑顔になって上の半分を、どんどん埋めていく。だけど、今のところはまだ辞書の音声頼みで、文字は教え切れていないから全部アルファベットになっている。
「(N語の形容詞はみんな最後が「i」になるの?)」
 D語で何か言いながら、鉛筆の先でN語の末尾を次々差して行く。
「うん。そうね」
 改めて言われないとあんまり意識しない事だけど。
「ケスティオン」
「何?」
 下半分にあった「Kilai(キライ)」を差した鉛筆が、上半分に移って、
「スキ、イ?」
「ううん。そこは『好き』のまま……」
 だけど、あれ、何でかしらってちょっと、分からなくなった。「好き」、って形容詞だったっけ? あれ? そしたら「嫌い」は?
 ある程度ページを埋めたら今日はもう、お茶を飲みながらの雑談にして、調べた言葉で文章を作ってもらう。
「ワタシは、タノシイ」
 主語と形容詞だけで作れるし、今普段から感じている気持ちが出やすいかなって。
「ワタシは、ウレシイ。ワタシは……」
 名詞を書いていた手帳サイズのノートを、手に取ってめくり返して、
「イヌは、カワイイ。ハナは、ウツクシイ」
 主語を変えてきたから、自分を主語にはしにくいわよねってちょっと、笑ってしまった。
「あなたは、可愛いわよ」
 言ってあげるとお世辞でもなかったんだけど、ちょっと困った感じに首を傾げてくるから、外国の人って、N国人みたいな謙遜はしなさそうに思っていたんだけど、もしかしたら、D語で言う「可愛い」は大人の女性にふさわしく感じないのかもしれない。
「あなたは、美しい」
 そう言ったら照れたみたいに、でも笑ってくる。こっちか。N国だったら堂々とし過ぎて他人にも言いにくい感じがするんだけど。
「ウレシイ。アリガトー」
「いいえ」
 ノートの次の言葉に目を落として、フフッてちょっと笑ってくる。
「ロウは、スキ」
 いやー奥さん、ベタボレですやんかいさぁ!
 って故郷ですらまず有り得ないくらいに誇張された言い回しが浮かんできた。
「ロウは、ヤサシイ。ロウは、スゴク、トテモ、スキ」
 いつの間にか形容詞の修飾形に、副詞まで調べさせているこの応用力!
 かー。そこまで好きですかあのご主人が。いや仲がよろしいに越した事は無いんですけれども、出会ってすぐに結婚しようって、他所の国に連れて行くような男、本来やったら信用したらあかんで痛い目見るでホンマに。だけど、
「ごめん。何かがおかしいわ。やっぱり」
「ゴメン……」
 通じる感じがして聞き流しそうになっていたけど、やっぱり「好き」は形容詞じゃなくて、
「(N国のゴメンは謝罪じゃないんだ……)」
 改めて調べてみたら、「嫌い」も同じで、動詞の「好く」「嫌う」の活用だったけれど、その情報の方が普段使っている感覚としてピンとこない。
「あなたは、ロウが、好き」
「アフ!」
 ほとんど空気だけの「フ」を添えた、多分「分かった!」みたいな反応が来た。
「ワタシは、ロウ、スキ。ロウは、ワタシ、スキ。フフフッ」
 可愛らしく笑ってくるからこっちも嬉しくなって、微笑んだのも嘘ではないけど、「目的語に付ける助詞って何が正しいんだっけ?」って内心冷や汗もかいている。「私はロウを好き」が、文法的には正しいのかもしれないけど、普段使い感覚では、どうもしっくりこない。
『(例外)』
 そうまとめていいものか本当はよく分からなかったけれど、D語の音声を出した。ステファニーは笑いながら頷いてくる。
「(どんな言語にだって例外はあるね。それじゃあ……)」
 鉛筆の先で「キライ」を差してきて、「同じ?」って言いたいみたいに首を傾げてくる。
「ええ。同じよ」
 頷いたらステファニーはノートに目を落として、
「ワタシは、ロウオトウサン、キライ」
 さっきまでとはっきりした落差のある、叩き落とすみたいな重みを感じる声で言ってきた。
「スゴク、スゴク、キライ。ロウオトウサンは、ワルイ。コワイ。ヒドイ」
 ダイニング全体の空気も変わって、身体が芯から冷える感じがする。ステファニーってこういう子だったんだって、本性が分かったって言うよりも、
 もしかしたらN国人って何のかの言って適当にごまかして、心からの気持ちって、そんなには口にしないし耳で聞き慣れてもいないんだわ、って思った。
「ワタシは、ロウオトウサン、ニクイ」


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