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【小説】『マダム・タデイのN語教室』6/10のa

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(10回中6回目のa:約4000文字)


LESSON4 流すわけにもいきません


 いつまでもN語を教えようとしないのは、しゃべってもらっちゃ困る事を奥さんに、何かやっているからじゃないの?
 ってせっかくベンチも置いてあるのに私達が手入れしている花壇に腰掛けて、花をむしり取ったりお尻で水仙の葉を倒したり、椿の枝を背中で折ったりしてくれながら、近所の奥さん達はよくもまぁしゃべり散らしてくれますこと。
「タデイさんは家がお隣で、何か泣き声とか物音とか聞いたりしないの?」
 そして手入れ中の私によくも話しかけ切れますこと。
「さぁ。聞いた事無いわね私達は」
 振り向いた先で夫は枝を切りに行くフリをして、ヒノキ並木に逃げやがった。相手をしたくないお気持ちは良く分かるけどね。
「普段植物ばっかり相手にしているから、人への興味が薄れちゃっているんじゃないのぉ?」
「イヤだ。そんな事無いわよぉ」
 そんな事を笑顔で言える貴方の神経にもう興味津々。
「夫婦仲が良いのは確かよ。庭先で毎日みたいに、キスしてるもの」
「何それ。見せつけられちゃってるの?」
「奥さんの国の習慣じゃない? 嫌がってる様子も無いし、当たり前の事みたいに奥さんの方からだってしているし。声をかけたらご主人の方は、ちょっと慌てるわよ。『本当はっ、いってきますのキスがしたいんですけどっ』」
 特徴のあるはずんだ調子をマネするだけで、奥さん達は笑ってくれる。
「『結局二人で出かけちゃうんでっ、家を出ようとする度に、キスする事になっちゃうんですっ』、って言い訳にもなってない事を。分かるでしょいつものあの調子で」
 頷いたり苦笑したりがほとんどだけど、ちょっと眉をひそめた顔もある。
「ちょっと、おかしくなっちゃったわよね。あの奥さんもらってから。お父さんがいた頃は、もっとしっかりした感じだったのに」
 あらそっちの方向に流れるのは嫌ね、どうしよう、って思っていたら、
「私は今の方が良いわ」
 一番端で浅く腰掛けていた、両側三つ編みの奥さんが呟いてきた。
「変わった人だし、ちょっと気味が悪いのは前と一緒だけど、今の方がどうだって良い、お二人で勝手にやっといてって感じじゃない」
 それでああ、まぁそうねって、ほどほどに悪口が言えて、皆で共有も出来て、三十分もおしゃべりしたらそろそろ息子が帰るとか、夕方のタイムサービスに行きましょうとかで、一人ずつ場を離れて行った。
 最後に残った三つ編みさんが、倒れた水仙の葉に気が付いて立て戻そうとしてくれる。
「大丈夫よ。水をあげて明日にはまた、元気になるから」
「花も、せっかく咲いていたのに、取って行っちゃって……」
「別に取って行ってくれても構わないんだけどね。勝手に取らないでひと言ことわってくれたら、次のツボミが咲くちょうど良い所で切ってあげるのに、むしり取っちゃうから茎がそこから弱っちゃうのよ」
 聞いている間に気を落としたみたいだから、あえてニヤリと笑いかけて、こっそりみたいに小声で続ける。
「葉っぱの裏も良く見ないと、虫に卵までお家に持って帰るわよ。家で孵化したら怖いわよぉ」
「そこは教えてあげないんですね。タデイさん意地悪、じゃないです。さすがですぅ」
 顔を寄せ合ってひとしきり、笑い終えたタイミングで言ってみた。
「気持ち悪かったわよね。あそこのお父さん」
「ですよね」
 ちょうど寄せていた目が合って、一つ頷き合ってから背を戻す。
「みんな、良い人だって素晴らしいって、話してて、誰も、悪く言わないし言っちゃいけない、言う人はおかしいみたいな……、私、そういう人怖いんです。子供の頃からちょっと、へそ曲がりだから」
「分かるわ。一緒」
 普段植物ばかりを相手にしているから、人間とは、全く違う生き物だって良く分かる。
 せっかく伸びたのに、本当はもっと花を咲かせて、たくさんの実を付けたいでしょうに、人間のための公園なんだから人間の目に心地良いように、私達夫婦は枝を刈り込んで花を摘んで、少しでも弱った葉は落として見た目を整えていく。
 ごめんなさいね、出たばかりの葉に芽は残しておくからね、そうしたらまた日が入るから、来年も伸びて行けるからねって、どっちかって言うとそうした思いで、時々言葉もかけながら、なんだけれど、
 あのお父さんは子供たちを、まるで植物みたいに、しかも「ごめん」も言わずに刈り込んで、それで、人間様のためには当然みたいに思っている感じがした。

 やって来たステファニーは、心なしかいつもより少しばかり、にこやかに見えた。
「コンニチワ」
 テーブルに座ってもらいながら、お茶を出しながら改めて、目をやっていたけど、2年前より背も伸びて肌も瞳もツヤツヤして、明らかにもう、大人だわ。しかもお互いにベタボレの夫がいつもそばにいるものだから、多分今が彼女史上、彼女個人比でも最高レベルに、美しくなっている。
 はよ食うたれや旦那。
 普段だったら私他所の御夫婦に、そこまでの事は、お節介だしまず思わないんだけれど、ご主人あんたの目の前に、お箸揃えて据えられてますやん。あんたに用意された御膳ですやん今食うたらなかえって失礼やんけ。
 他所のお宅の内側ですのでさすがに口は出せませんけれど。
「今日は動詞、のつもりでいるんだけど……」
 専門家じゃないものだから、何となくでしかイメージ出来ていないし、背中の冷や汗は止まらないけど、とりあえず基本っぽい単語をいくつか並べてみた。

  ある aru     ない NAI
  いる iru      いない iNAI
  する suru     しない siNAI

  見る miru    見ない miNAI
  聞く kiku     聞かない kikaNAI
  話す hanasu   話さない hanasaNAI

  食べる taberu   食べない tabeNAI
  眠る nemuru    眠らない nemuraNAI
  愛する aisuru   愛さない aisaNAI

 あんまり一度にたくさん並べて見せるのもどうかしらって思ったから、五感系と三大欲求も入れたけれど、「嗅ぐ」と「触る」は抜いておいた。否定形も一緒に並べたのは、合わせて見ていないと私の方が混乱しそうな気がしたから。
「カンジ……」
 これだけでもステファニーは頭を抱えて、ちょっとアレルギーみたいに嫌がっている。
「(いつどこでどうしてカンジが出て来るのか、カンジ、以外の文字も何がどうなっているのか、私はまださっぱり分からない……)」
「隣にアルファベットも書いたけど、動詞は基本『u』で終わるの。否定の時は、最後に『NAI』がつく」
「ニヒト」
「え?」
 ノートに鉛筆で、文字や丸や、矢印を書き込みながら話してくるから、
「(D語では、nicht、を付ける事で、どの動詞でも否定になってくれるんですけど、nicht、に当たる単語は、N語には無いんですか?)」
 みたいな事を訊かれている事はなんとなく分かったけど、
「だからそれが『NAI』よ?」
「ナイン!」
 ちょっとしっかりめに否定された。さすがにひと月ほどを、分からないなりにしゃべっていると私にだって、「ヤー」が「はい」、「ナイン」が「いいえ」、くらいは分かる、と言うより反応できる。
「(私は否定の時に動詞の形を変えたくありません!)」
 みたいな事を言っている事は分かったけど、それを言われたって困る。と言うよりそこまでの拒否反応を示されるとは思わなかった。
「カタストロフィック……」
 壊滅的(カタストロフ)って言ったわね。そこまで難しい事かしらって、私の感覚ではピンとこない。
「(肯定か、否定かくらいの秩序は、N語にだってあるものだと思っていたんだけど……)」
 抱えていた頭を上げてため息をついて、
「(分かった。動詞の形が変わる事は仕方がないね。だけど)」
 鉛筆を取り直して動詞の並びの、否定形のうち3つにチェックを付ける。
「miNAI。kikaNAI。tabeNAI。NAI、マエは、i? a? e?」
 訊かれて改めて眺めてみるとこれ、どう説明してあげたら良いんだろう。普段特に意識しないで使えているところだけど、考えなくていい、ただ覚えて、って流してちゃ、あまりにも薄情な感じがする。
「ごめんなさい」
「ヤー」
 ため息と同時に鉛筆が、ノートの上に転がった。
「(もう慣れたよ。N語のそれって本当にアイサツなんだね。アイサツのように謝りの言葉を口にするって感覚は、私には、まだ分からないんだけど……)」
 私にはさっぱり分からないD語を耳に入れながら、ステファニーの方でもだから、N語がこのくらい分からないのよね、そりゃいい加減イラつくわ、って考えて、
「うん。やっぱり文字がいるわ」
 書けなくたって、音さえ聞き取れて会話さえ出来れば良いのかな、って思っていたけど、言葉ってやっぱりその程度のものじゃない。
「モジ……」
「大丈夫。漢字じゃないから」
「ダイジョウブ」
 聞いた事がある単語だったみたいで、表情が少しだけやわらいだ。
「(ロウが時々言ってくる。『toi toi toi』みたいな意味だよね。確か)」
 ロウ、だけ聞き取れてご主人に、有り難いと思った。
 とは言っても五十音表なんか、息子も巣立ってもう十年以上も過ぎて、この家のどこにあるのやら、そもそも取って置いてあるのかも分からない。
「ちょっと、待ってて。今から作る」
「ツクル?」


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