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【小説】『マダム・タデイのN語教室』5/10

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(10回中5回目:約2900文字)


LESSON OFF 事件は普通にそこにある


 身寄りの無い子供を引き取って、里親が見つかるまでの間、日常的なあれこれを教える活動をしているのだと、
 お隣の、その頃は「ご主人」が、公園で近所の奥さん達を前に語っていた。
 外国人らしいそうした子供たちは、大抵一人ずつでお隣の、庭先や窓際に現れて、3、4ヶ月もすれば良いご家庭を見つけてお隣からは離れて行くんだけど、どの子も、どんな肌に髪の色に目の色の子もまぁ、ご主人によくなついて、
「B国から来ました。ひと月くらい前、だったかな」
 あっという間にN語もペラペラになってしまう。
「お父様は、僕に必要な知識を何でも教えてくれて、教えるのが、とても上手です。僕は、お父様が大好きです」
 にこやかに微笑むご主人の、膝に乗せられて頭を撫でられながら、上目遣いの甘えるような笑顔でいる。
 すごいわねぇ素晴らしいわお心が広いのねぇと誉めそやす、奥さん達の声を聞きながら、私達は草地に身を屈めて花や木の合間に伸びる、雑草を抜いていた。
「なに。この子が元々賢かったんです。ただ良くない環境に、置かれていただけでね」
 長年夫婦でこの作業をしているものだから、草を引き抜く早さにちぎれ具合で私は、夫の機嫌があまり良くない事に気が付いてしまう。
「帰りましょう。お父さん」
 上から降って来る感じがした声に、顔を上げると、お隣の、その頃は「息子さん」が、私達の姿を隠していただろう椿の植え込みのそばに立っていた。
「趣味が悪い」
 聞こえた瞬間に、そう、と思った。さっきから、爪の隙間まで土や草のベタベタした汁で汚しながら、モヤモヤ胸の内に浮かんでいた気持ちが、はっきりした言葉に変わってくれて、ちょっとだけスッキリした。
 いかにも出来た人間みたいな、ゆったりした笑い声が響いてくる。
「お前にも、今に分かるさ」
「そうでしょうね。否定は、出来ません」
「お兄さんは、僕にお父様を取られるのが悔しくて、あんな意地悪を言うんだ」
 生まれながらのN国人みたいに聞こえる、子供の言い回しに、まぁオホホって奥さん達の笑い声が、ひとまとまり起きた。
「まさか。むしろ取り上げて連れて行ってくれないかなって、思っているよ」
 息子さんの言葉は、誰からも聞かれていない。植え込みの陰に座り込んでいた私と、聞こえた途端フフッてニヤついた夫くらいにしか。

 次の水曜日には、もしかしたら、って思っていたけど、今の「ご主人」がやって来た。
「すみません。ステファニーは今日はまだ……」
「ええ。分かってますよ。毎月の事だけど、大変ね」
 先日車イス姿を見かけたばかりだったから、まだ調子は戻らないだろうと思っていた。
「本人はすごく楽しみにしていて、出来れば水曜にはかからないで欲しいって、話していたんですが……」
 動けるようになるとしたら必ず、朝、目を覚ますタイミングで、朝が来るまではその日の一日がどうなってくれるか分からないらしい。
「動けない間の事って奥さんは、覚えていないの?」
「はい」
「それでもまぁ『お大事に』って伝えておいて。覚えていないだけで、何も聞こえていないとも限らないから」
「はい」
 ご主人はそこで笑顔になって、そう言えばいつものあの、はずんだ調子でしゃべらないわねって気が付いた。物静かでそう簡単には笑わない。奥さんが来る前のこの人みたいで、ちょっと懐かしい。
 奥さんが隣にいるからで、隣にさえいてくれれば、奥さんが動けようが動けまいが構わないのか。先日の、ベタボレだった奥さんも思い出して、ごちそうさまねってため息が出た。
「それにしても旅行先でまぁあれだけ、気が合ったものね」
 2年前に会ったばかりのステファニーを思い出して、つい口にしたら、
「やっぱり、初めは驚かれていましたよ。今思い返すと、ですけどね」
 ご主人も思い出したみたいで、2年前の返事みたいな答えが返ってくる。
「だけど、僕の国に来たがっていたし、連れて行くとなったらきちんと『妻』にしておいた方が、僕からは、支配しなくて済む」
「あら」
 玄関先での立ち話、にしては興味深い、詳しく聞きたい内容だったけれど、ここでお茶を出して上がってもらうのもお隣の「ご主人」に対しては不自然だし、キッチンに下がって冷蔵庫とかストッカーとか開けて見て、奥さんにって、何か持たせられる物は無いか考える。
「普通奥さんこそ、支配したがるものじゃないの? 男の人って」
「支配、され続けていますからね」
 あえて話は半分で聞いて、口先だけで言葉を出して、その方が、向こうが油断して本当に気にかけているところを、しゃべり続けやすい。
「幼い頃から当たり前過ぎて、気付けないくらいに、親の理想通りに。だから、子供くらいは自分の思うまま、好きなように扱いたくなる。だけど、妻は他所で生まれ育った他所の人間、ですから、僕だけがもしかして支配しようと、思ってしまっても、思わなくたってそんな行動を取ってしまっても、そう簡単には」
「まだ子供さんいないからね」
 缶ジュースとオレンジのゼリーを二つずつ、小さな紙袋にまとめた。
「子供が出来たら奥さんは、どうしたって子供から、支配されていくわよ」
 今一つ伝わっていないような事を、言ってみせながら紙袋を渡す。ご主人は、伝わらなくてかえってホッとしたみたいに、微笑んで、
「そういった意味では僕はまだ、ステファニーを妻にはしていません」
 私には衝撃だった事実を打ち明けてきた。
「あら。そうなの?」
 大した事じゃないみたいに、装ってみせるけど。
「はい。連れて帰った時はまだ、僕の目に、ギリギリ子供って感じでしたから」
「連れて帰った2年前はそりゃそうだけど、今のステファニーって、もうしっかり大人じゃない?」
 言ってやるとそれまでは落ち着いていた表情が、特に取り澄ました両の目が、急激にアドレナリンでも噴出したみたいに見開かれた。この野郎、今頃意識しやがったな。
「家に、一人にさせているのでそろそろ、帰ります」
 ありがとう、と紙袋を軽く持ち上げながら頭を下げて、玄関を出ようとする背中に、追い討ちをかけてやる。
「そうだわ。奥さん今動けなくなっているんだから、お風呂とかだって、いつもご主人が入れてあげているのよね?」
 背中越しに撃たれたみたいな「ぐうっ……!」って声が聞こえたけど、
「失礼します!」
 出て行った扉が、勢い良く閉められて、ドアの開け閉め用の金具に吊るしてある、細い金属を組み合わせたチャイムがしばらくの間鳴り続けた。夫婦なんだし仲もよろしいようだから、それで何事も問題は無いんだけど、
 あのご主人近いうちに、やるわね。


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