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【小説】『マダム・タデイのN語教室』9/10の下

(10回中9回目の下:約1000文字)


「どうだった。彼は。途中泣いていたようだが自首する気にでもなったか」
 植え込みの陰から夫が、首を突き出して来る。
「自首も何も、事件すら起きていないのよ」
 それか普段から普通に起きているのを、誰も気にせず気付けてもいないか。
「やれやれ。それを信じてしまったのかい、お前」
「お隣の、ご主人さんを信じて何か悪いかしら?」
「いいや。所詮俺達は公園管理の、リタイア夫婦だからな」
 日除けの麦わら帽をかぶり直しながら、口元だけで笑ってくる。
「探偵気分を味わうくらいが、ちょうど良いボケ防止だ」
 切り整えた後の枝葉が米袋にいっぱい。業者さんに取りに来てもらえる日までは、二人で管理棟まで運んで、しまい込んでおく。
「あなた『車輪の下』って本、知ってる?」
「ああ。ウチの、俺の本棚にもあるぞ」
「あら本当? どうして?」
 夫の本棚には古典ミステリーしか無いものだとばかり思っていた。
「どうしてって、良い本だからだ。所詮人は他人の事など理解できないし、救えもしない事が良く分かる」
「哀しい話みたいに思えるけど」
「哀しいは哀しいぞ。だがセツコも知っているだろう。『私には理解できるし救える』、それどころか、『私こそが救ってやろう』と思いながら接してくる連中が、どれだけ救い難い馬鹿か」
 狭い道具置きに米袋を、蹴り入れながら言って来て、私も戸を閉めて鍵をかける前に、押し込みながら笑ってしまう。
「セツコも読んでみろ。だが読む前から言ってしまうが俺は、お前には『イヤな話だ』って笑い飛ばしてもらいたい」
 あら朗と同じ事言ってくるわ、もしかしたら夫と気が合ったのかも、夫から話してもらった方が良かったのかもって、一瞬思ったけど、
「主人公の少年を気に入って、彼の気持ちに歩み寄れば歩み寄るほど、とても『良い話』だとは口にしたくなくなる。そういう、『良い本』だ」
 理解できて、共感し合える事が必ずしも、正解とも限らないわねって、気を取り直して私は、自信につなげた。


イントロダクション
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