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人物造形のヒント⑪普通感

何か足りない…色々、書き込んでいるのにどうも、生き生きして見えない。いまいちのっぺりしてて、設定のわりに、奥行きがない。あるいは、なんだか普通すぎるのかな、刺さってこないんだけど、「ただの日常」を描きたいから変わり種、入れるのは嫌なんだよなぁ…。

くぅぅ〜、あるある。ね。こんな時、あなたの描く登場人物に足りないのは一体、何なのでしょうね…。

ヒント。あなたはその人物をほとんど変えずに、人物の重みをがらりと、変えることができます。

はて…そんな魔法のメソッドが?

魔法ではなく、技術です。毎度の如く、答えはタイトルにありますね…答えだけなら、簡素。はい。まず疑うのは、普通感です。

「え…普通にしちゃったら、個性が出ないじゃん!」?

ね。しかし、どうでしょうか…この問いかけに答えるには二度、アグレッシブな「いいえ」が必要になります:

第一の「いいえ」…いいえ、「普通」ではなく、普通「感」です。

そんな人がいても当然、のような、印象。これが普通「感」。

これは、その人が「当たり前にいるような、普通の人」であるということを意味しません。そうなんです、難しいのはね、この普通「感」、普通な部分を入れ込めば勝手に醸し出されるものでもないんですよね。実装理論のほうは実は、次に示す第二の「いいえ」に深く関係がありますから、深掘りする前に、第二の「いいえ」に進みますね。

普通にしちゃったら、個性が出ない…。

第二の「いいえ」、物語世界における「個性」とは存在感、すなわち他の登場人物に対する影響力によって計られるのであり、その人物の特徴によって計られるのではありません。でしたね。

あー…。

これ…これね…個性的なくせに個性がない、ナゾな登場人物について、私はさんざん、様々な場面で、語ってきたはず。ヒヤっとしたあなた…そう、あなたが「個性」と思っているそれはたぶん、人物の「特徴」であり、物語世界における「個性」ではないんです。ここを履き違えたまま「普通感」を追うと混乱してしまいますから、必ず、頭に入れてください。

物語の力学のうえでは、登場人物の特徴と個性とのあいだに、相関関係はありません。

つまり、どんなに「普通」でも要件を満たしていれば個別な、特別な、魅力的な人物になり、いっぽう、どんなに「特殊」でも要件を満たしていなければ、陳腐な、のっぺりした、なんの魅力もない人物になってしまう。…これは、このシリーズを通して、訴えていることでもあります、どんな人物であれ、それが物語の人物であるのなら、読み手にとって魅力的な存在になれます。その人物が魅力的であるべきなのに魅力的でないとしたら、それは、その人物のせいではなく、書き手の書きぶりのせい。作品は、書き手が紡ぎ出すものです。人物をすげ替えても、ストーリーを変えても、作品には書き手が変わらない限り変えられない根本的な部分があり、その根本的な部分が駄作と傑作を分けています。いいですか、かつ、これを肝に銘じてください、それは天賦の才やセンスによって生じる分かれ道ではない。だからまず、お手元の原稿を冷静に、建設的に、仔細に、眺め渡してほしい。あなたの手元にあるのは、間違いなく、素晴らしい物語です。だからこそです、忘れないでください、ね、どんな作品だって傑作なんですよ、きちんと推敲さえすればね…!

不意に取り乱し、熱くなってしまいました…戻ります…さて、講義のほうはですね、二度の「いいえ」により、ポイントが見えて来たところです…:

1.「一般的であること」と「普通感」は似て非なるものである。

2.その人物について明示的に語られる「特徴」は、物語構造上の「個性」ではない。

3.したがって、人物が特徴として「普通」であるかどうかと、人物に「普通感」があるかどうかとは、単純に、関係がない。

勘のいいかた、あるいは、バックナンバーをお読みの受講生には、お考えのところもあるのでは…書き手はいったいどこで、普通感を醸し出すべきでしょうか? …そうなんです、書き手が通常頭を捻って絞り出す、「特徴」「背景」「出来事」「台詞」などの静的・明示的な部分では、普通感の出しようがありませんよね。ええ。そうですとも…普通感が最も効果的に出るのは、判断行動…つまり、物語がその人物を起点として動くところ、いわば、物語の真の転換点においてです(物語を動かす力のない判断や行動が物語力学上「無」でしかないことについては、これまでにもお話しして来たつもりです、ですから普通感を出す箇所も、これから話します、普通感にすり替えて幻覚を見せる箇所も、あくまで「物語を動かす」判断や行動のある場所と、ご承知おきください)。

具体例を出して詰めていきます。

冒険譚の典型と思われます、浦島太郎を例にしてみます:

・普通の若者
・子どもにいじめられている亀を助ける
・熱心な亀の申し出を流れで受ける
・酒池肉林についつい溺れる
・家がなくなっていて驚く
・玉手箱を開けたくてたまらない
・取り返しがつかず、呆然とする

荒唐無稽もいいところのこの物語が、なぜ人心に深く刺さるのか考えましょう。

浦島太郎が普通の青年なのは、初めに「普通の若者」と書かれているから、ではない…ですね。子どもにいじめられている亀じゃなくて武士に囲まれている浮浪人なら助けなかったかもしれませんし、亀が言い出さないからといって業つくばって自分から返礼を求めたりもしないでしょう。乙姫が積極的じゃなければ遊び耽ったりしなかったかもしれないですし、家がなくなるみたいな驚天動地がなければ玉手箱を誠心誠意、開けないかもしれません。浦島太郎って、ストーリーの異常性に比して、なんだか身近じゃないですか。それはね、彼がフツーの若者という設定だからじゃないんですよ、あまりにも彼の判断と行動が尋常だから、普通に見えるんです。

騙されてはいけません。

普通なわけがない。物語上のありとあらゆる要素が、彼が特別な存在であることを示しています。しかし物語は同時に、彼が唯一無二の存在ではないことも示している。彼は判断と行動において、あまりに平凡なんです。ここです。ここがこの話の仕掛けの巧妙なところです。だって、彼は特別なことをしたわけじゃない。特別なのは彼に起こった出来事であって、彼自身ではないんですから…ほらね…普通感の魔力は非常に強力で、なかなか抜け出せないんですよ、自分にも似たようなことが起こるのでは、とか、普通に生きててもこれくらいのことはあるかも、とか考えちゃう。起こるわけないのに…!

ははあ。OK。じゃあ、普通じゃない人に敢えて普通感出さないといけないのは、どうして?

はい。思考実験として、浦島太郎に尋常じゃない挙動を期待してみましょう。子どもたちを惨殺するとか、乙姫を人質に取って籠城するとか、村が滅んでて大喜びするとかね。それはそれで面白いかもしれません。とはいえ、より一層、浦島太郎への書き込みが必要になるはずです。どうしてですか? 浦島太郎(新)の奇妙奇天烈な挙動にリアリティが必要だからですよね。どうやってリアリティを出しますか? …そう、「そんな浦島太郎がそんな反応/行動をするのは彼の性質に則して当たり前」という印象を与えて、リアリティを出しましょうね。

おや…?

そうなんです、結局、その人がその行動を取ることが「普通に思われる」必要があるんです。

ほらね、意外に奥が深い…普通「感」は、人物や世界にリアリティを与えるために、必要な要素です。

おお…やっと、リアリティ、というキーワードが出てきました。

余裕があれば、第④講「どんな人かわかるように書く」に登場したアンドロイド、リカを思い出してやってください…物語世界のリアリティは、物理的なものではありません、心理的なもの。つまり、境遇や状況が身近である必要はない。一方で、感情が身近であれば、その人物は読み手に「近」くなります。ところで、物語において読み手の感情が人物と共に動くためには、物語世界にその人物がきちんとコミットしていなければならない。そのために、その人の行動は他の事象を動かす駆動部になっていないといけません。そして…浦島太郎をこのような観点から振り返って見た目が、その構造の堅牢さに向けて見開かれることを、私は期待します…浦島太郎がこれらの要請を、大変な優秀さで満たしていることには、論を俟ちません。

なんという魔力。

まさに。普通感によって生じるリアリティというのはね、実は、まやかしです。言ったでしょ、「冷静に考えれば」「そんなこと起こるわけがない」。「でも」、共感を覚えてしまう。このリアリティは、今まで他の講で述べて来たリアリティとは違う、ある種の幻覚、むしろリアリティから遠いものでさえあるのですが、大変強力ですし、現実と物語世界を、彼らと私たちを結びつける、大切な絆なんですね。

というのも、この普通感があるからこそ、尋常ならぬ物語に没入する醍醐味を味わえるわけです。皆さんは物語の何に惹かれますか? 惹かれるところは様々かもしれませんが、ええ、没頭し、ドキドキしながらページを捲るときのあの快感というのは、何にも替えがたいものです。読み手は日常を生きています…少なくとも私は平生であれば、骨が折れてるのに誇りをかけて戦ったり、大事な人が目の前で殺されるのをなすすべもなく見つめたりするのは、はい、真っ平御免ですし、大抵の場合において友人に窮地を切り抜けさせてやるほどの機転はありませんし、裏切った人を助けるほどお人好しでは決してないですし、たぶん一生、学校1のイケメンの意中の人になりません。しかし(この「しかし」が重要です)物語世界に没入しているとき、私は普段なら絶対に踏み出さないはずの奇跡の一歩を踏み出すことができる。心の世界で。登場人物として。

それを支えているのが、彼らの普通感なわけです。

見えて来ましたか。よかった。ついに辿り着きました。読み手にとっての普通感がある箇所のなかには実は、書き手が普通感を普通感として埋め込む箇所と、奇跡を普通感で包んで埋め込む箇所が混在しています。書き手はしかし、この二つを書き手として意識できていないことが多い。それで、モヤーっとした人物、ノペーっとした人物になるわけです。どっちつかずだったり、片手落ちだったりするからです。

どっちつかず…片手落ち…耳が痛い!はい、意識なさってて、ヒントをお求めの書き手さまのために、以下に実装例を示します。(いままで意識してなかった書き手の皆さまは、とりあえず以下を読んでいただいて、その手と目のまままずは是非、ご自分の原稿に戻り、書き手としてのこの魔術の使いどころを探してくださいね!)

※簡単に想像がつくとは思いますが、表現方法は無尽蔵にあり、私にできるのはそのなかから数例を書き留めてみることにとどまります…皆さまにおかれましてはどうか、読んでいるうちに素晴らしい啓示が、訪れますように…

例1
失敗させる、欠点を示す
これは優れた人物に親近感を与えようとする書き手によく見られる手法ですが、やりすぎるとその人物がただの人になってしまうという恐ろしい落とし穴があります。読み手はその「優れた」人物について読みたいわけですから、ただの人になるなんて、幻滅です。したがって、共感できるような「うっかり」、よくできて見えるけど一般の域を出ない推測、などによって失敗させてからの、目を見張るような再起、という救いかたをすると、読み手の心が安心するはず。そもそもの問題として、物語の読み手の親近感は、身近な存在に対して持たれるものでは必ずしもありません。読み手にとっては通例、インターハイを目指さないより目指すほうが「普通」ですし、うだつのあがらない、つまり一般的な人物よりも、自分が持ちえない夢を持っている人物のほうが「普通」だったりさえします。無論、いずれにしてもその人物が魅力的に映るかどうかは書き手次第であることは、意外でもなんでもありません…この点は上でも述べました…、書き手が気をつけるべきはその人物が「普通」かどうかではない。書くべきは、そんな人がいるのが「普通に見える」かどうかであり、その鍵は状況ではなく、感情が握っています。ですから欠点にしても、普通の人が普通に「俺ってダメだなぁ…」と自分で思うような欠点が共感の側面からは望ましいし書き手にも楽でしょうが、それを示すだけでは人物がパッとしないままです。基本に立ち返って。その欠点は、提示は先んじても構いませんが、必ず物語が動くときに持ち出して、結果に影響させてください。いい結果でも悪い結果でも構いませんが、必ず、その欠点のせいで何か大事な出来事が起こるよう、工夫しましょう。そうしないと、あなたがいかに身近さや共感を狙っても、無味乾燥で邪魔なだけの、ただの無駄設定になってしまいます。そもそも、何かよくないことが起こらないのに欠点と評価するのはただの先入観で、浮薄ですし、大して悪いことが起こるようにも見えないのに欠点のように書いて共感を狙っても、いまいちしっくりきません。読み手の世界(イコール、現実)では、そのせいでよくないことが起こるから、欠点なんですし、簡単には直せないその性質のせいで取り返しがつかない何かが起きてしまうから、どうしようもなく、欠点なんです。そして、そんな欠点を敢えて乗り越えて彼らが大事な局面に挑むから、現実に即す気持ちと理想を信じたい気持ちの間を行ったり来たりし、ハラハラして目が離せなくなるんです。ね。物語の読み手の親近感は、現実的な類似性とは別のところで発生します。完璧すぎるかな…と思ってハズしたい? 第一に、完璧すぎるから共感が湧かないのではなく、もしかしたらあなたの書きぶりがよくないから共感が湧かないのではと疑いましょう。敢えて欠点を持たせる場合にも、彼らを引きずり下ろしてしまわないよう、注意しましょう。


例2
感情的に普遍的な反応をさせる

敵の残酷な手口を見せて「なんてことを…!」と歯軋りさせ突発的に斬り込ませる、成績を褒められた照れ隠しにツンなことを言わせる…などですね。忘れてはいけないのはここでも、それが場面が動く時であるほどいいということ。ね。その成績のせいで国費留学が決まるんだけど、実は病に伏してる恋人がいて悩む羽目に…とか…。かつ、ええ、こういう場面は書いていても楽しいものですが、これが読者との絆のために引いている普通感という補助線であるということもお忘れなく!ここで、その人らしさを出そうとして独特な感じにすると、ほぼ確実にブレます。行動はその人らしくていいですが、誰もが抱く感情を、ナチュラルに抱かせ、しかもそのナチュラルさを読み手にしっかり印象づけてください。

例3
万人受けさせない

登場人物全員がその人の敵または味方という構図もよくありますが、これは結構、共感しがたい状況です。現実世界は人で溢れていて、必ず、その人のことを知らない人、その人を嫌ってるわけではないけど大して評価もしてない人、その人をどうでもいいと思っている人がいますよね。したがって、その人のことを知らない人や、どうでもいいと思っている人も配置すると良いでしょう。繰り返しになりますが、この部外者を巡って人物の物語を大きく動かすことで、登場人物の思い通りになるわけでもない世界、登場人物と違う原理で動いている世界という立体感が出て、一気に普通感が増します。例えば、稀代の名歌手である主人公を知らない人が、主人公に「普通に」接する。そこで得た一見「普通の」情報が、わらしべ長者的に大きな展開の呼び水になる、などですね。これもただ登場させただけでは、読み手は登場の意味を掴んでくれません。ついでに必ず場面を動かして、読み手の気を引いてください。

例4
脇役に花を持たせる

主人公の書き込みはすごくいいんだけど脇役に個性がなくて、読み手として頭を抱える…ということがパワー読み手としての私にはよくあります。主人公じゃなくても生きてますからね。彼らのことも忘れずに。いいですか、脇役にステキ要素を組み込む話をしているんではないです。脇役は書き込みが甘いだけでなく、存在感を出すための場面が十分に用意されていない場合が多い。脇役にもしっかり存在してもらってください。つまり、脇役にも普通感をアピールする場面、主人公あるいは物語世界に対する影響力を示す場面を用意してください。それがない脇役は「普通感がない」、つまり逆に異様な存在になったりモノと化したりして、浮きます。そんな彼らにまともに接してる主人公までつられて浮いてしまいますのでね、ご注意ください。あるいは、これもよくいるタイプの脇役になりますが、ゴニョゴニョピーピー言って主人公にまとわりつき、主人公の決心や生活を変えられない、いてもいなくてもよさそうな脇役がいたりすると、読み手の心は相対的に主人公の人格的な重みを見失ってしまうんですね。この場合も主人公に敢えてゴニョゴニョピーピー言うのがなぜ普通なのか、主人公に聞いてもらえないのがなぜ普通か、提示が必要です。逆に、主人公が彼らの話を聞き入れるなら、それだけの重みが彼らにないといけない。脇役が普通の人だと、普通って書いておけばいいと思いがち。まさかまさか。普通な脇役にも、普通感は必要なんですよ。脇役が弱いと主人公までモヤモヤしてしまいますから、お気をつけて…。

※実例を付します。

まずは、普通の主人公が普通に苛立ち、何も起こらない例:

タカアキは歯を食いしばりながら誰もいない廊下を足早に通り抜けた。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。はらわたが煮え繰り返るようだった。タカアキは黙々と歩いた。窓から西陽がさして、タカアキの足元を真っ赤に照らしていた。

次に、何か起こる例:

ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。タカアキは叫びたかった。頭が割れるくらい壁に頭突きしたかった。それで、廊下の隅に置いてあるバケツを蹴った。するとバケツは思ったほど飛ばないだけでなく、汚れた水を廊下にぶち撒けた。空だと思っていたのに、水が入ったままだったらしい。軽く、八つ当たりするだけのつもりだったのに…。
「大丈夫? すごい音がしたけど」
教室から声がした。間宮先生だった。教室の窓にかけた右手の薬指には、さっきなかったピンクゴールドの指輪があって、西陽に照らされてきらきらと輝いていた。

行動すると、そのせいで何かが起こる。それが主人公の主人公たる所以なのですね。人称に頼って、演出を忘れて気持ちだけ押し付けないよう、是非注意してください!

次に、ヒロインに帰ってほしくない主人公が何もしないせいで何も起こらない例:

樹貴は、泊まっていけばいいのに、と言おうとして、やめた。愛美はそんな樹貴に気付く様子もなく、終電、早まっちゃったのはちょっと、寂しいなぁ。と、苦しそうな笑顔を向けた。じゃあね。うん…。愛美はいつも通り、帰っていった。

まあ普通のやりとりなんですが、これもモヤモヤしますね…どちらの思いもわかるっちゃわかるんですが、泊まったら、泊まらなかったら、何が起こるのか、これだけではわからないからですね。こういう「場面が動かない」曖昧なシーンは、書きたくても削るか、書くなら場面が動くよう、または場面を動かすシーンになるよう、工夫すべきではないでしょうか…という、…はい。そこで、同様に何も起こらないんだけど、泊まることの立ち位置が明らかな例(ポイントとして、更にこのあと、梨恵が珍しく、晴人の家に泊まることになるのですね。しかし、それは晴人の望んだ形ではなく…という、切ないお話です。色々と思い通りにできるはずの自制心も魅力もある人が、努力しても努力しても、思い通りにならない状況に直面する、このつらさ…):

泊まればいいのに、と言うのは、いつものことだ。梨恵は仮眠のような眠りかたをする。寝顔を見たことは何度もあるのに、朝陽を浴びる梨恵の肌を見たことは、数える程しかない。駅まで見送りに出ないのは、晴人なりのポーズだ、けれども、寝巻き姿で玄関までしか見送らない晴人に、やっぱり泊まって行こうかな、と呟く梨恵を、期待していないといえば、嘘になる。
大人の領分②晴人

物語世界へのコミットのあるなしは、普通感には重要な要素。設定・気持ち・行動が当たり前であるだけでは、いかに詳らかな筆致で素晴らしく描かれていても、強い共感を呼び込めません。また、コミットがあれば、一番目の例の間宮先生の指輪みたいに、普通の人が見落としそうな(だってイライラしてバケツ蹴るくらいの精神状態なのに、冷静に人間観察できますか?)ことをさっとやってのけても、なんだか普通に見え、しかも読み手の視線も間宮先生の右薬指に釘付けになるわけですね。これはコミットによって読み手の心がイベントモード…「何か起こってるぞ、注意しろ」にスイッチし、タカアキに入り込んだ状態になるからです。

おお。なるほど…。

いかがでしょう。お手元の原稿に描かれている人物は、そんな人もいるかもと読み手に思わせるに足る普通感を搭載していますか? プロットの合間に組み込んでもいい、どこかで、普通感をアピールしてみましょう…そのうえで、そんなはずはない、起こり得ない、私たちにはできない言葉を、行動を、出来事を、同じテンションで展開してみてください。浮いていた場面に足場ができたように感じられること、請け合いです!

したくても勇気がなくてできないあれこれのことを実行する勇気を、彼らが持っているとき、本当は言うべきだと思っていてもエゴが邪魔して上手くいえないような、声に出すべきことを、彼らが真摯に言葉にするとき…そんな瞬間にはとても、心が顫えます。そんな瞬間を読むのは、とても素晴らしい経験です。ですから、書き手はそんな瞬間に着目しがちです。しかしながら、その英雄的な行為があまりにも自然に彼らの行為であるには、逆説的かもしれませんが、彼らはまず私たちに近しい存在でなければなりません。彼らと私たちを同じくするものがあってこそ、彼らと私たちを別つものの大きさが、私たちを脅かし、唆すのです。


ここだけ読んでもいいけど初めから全部読むとじんじん響く、今回のまとめ:普通感、足りないと必要以上に浮世離れします。一瞬でもいいので読み手の感情を盗んで、想像できる、ありそうだな…と思わせてください。場面が動くシーンに当たり前のように共感ポイントを入れると、くどくなりません。普通と言っても、一般化して人物のエッジを潰さないように注意すること。脇役を主人公じゃないというだけで軽んじると、主人公が軽くなります。見せ場が書けたら、見せ場を魅せ場にするために、ぜひ推敲し、周辺を掃除してください。


次回までの宿題:
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」(W.ジェイムズ)、「優秀さは訓練と習慣の賜物である。私たちは美徳と優秀さを持っているから正しく行動するのではない。むしろ正しく行動するから美徳と優秀さを持つ事ができるのである。/ 人はものごとを繰り返す存在である。つまり優秀さとは、行為でなく習慣になっていなければならないのだ」(アリストテレス)。物語の人物に習慣がある場合、その習慣は物語の構造に、人物の運命に、どう影響しうるでしょうか? それは小説という形式にどのような可能性を与えるでしょう? 生きている人間の心身には、必ず習慣があります。あなたの物語の人物には、習慣がありますか?
→答えがある宿題ではありません。これは「きっかけ」という、私なりの感謝の表現形(のつもり)です。ひらめきがあったらぜひ、教えてください!

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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。