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人物造形のヒント⑨ 追い込め!追い込め!追い込め!

自由ってどんなときに感じますか?

大丈夫、ちゃんとタイトルに関係あります。どうでしょう。

何の予定も入れずにふと有給休暇を取って家でゴロゴロし、あーなんもすることないなぁ、と思うとき?

侵入風に髪を煽られながら近づいてくる電車のヘッドマークを眺めて、自分はいま、飛び込めるんだな、と思うとき?

1年間のあれこれの思い出に浸りながら、青色申告を作っているとき?

初めて女装で登校する朝?

白紙80000字を提示されて、1字に100円お支払いします、なんでもいい、好きに書いてくださいと頼まれるようになったとき?

大好きな人が向こうを向いていそいそとブラジャーを外した、その露わな背中にうっとりして、抱きしめようと歩み寄るとき?

スーパーで、今日の夕飯は何にしようかなぁと思案を巡らすとき?  

どんなとき、自分は自由だと感じますか?

これは重要な問いです。なぜなら今回は、登場人物が最も自分に囚われ、かつ、最も自分から自由である瞬間、追い込まれた瞬間をテーマにしたいと思っているから。

もう無理。

もう動けない。

「自分」を捨てて別様にふるまわない限り、状況が打開しない。

こういう瞬間ですね。自分からさえ、本当は自由。その自覚を強制するのが、追い込み状況。今回は、こういう追い込み状況の読み応えの仕組みについて、つらつら、考えていきたいと思います。

(…といっても、すでに全貌がだいぶ見えてますね…追い込み、窮地、自由の自覚、自由の実践、カタルシスというこのつながりを、以下、ゆるゆるとなぞっていきます。告白しますと、ここから先を読んでも、これより分かりやすい話は出てこないのです…ここで膝を打って納得できたかたはどうぞ、ご自分の原稿へ!)

さて…タイトルを見ればよろしい、答えはもう出ています。人物造形のうえで読み応えを出そうと思ったら、追い込むに限る。

問題は、どう追い込むか。な、の、で、す、が…どう追い込みましょうか…?

もちろん、追い込みに関しては書き手がどれくらいギリギリまで攻めることができるかがその読み応えの最たる部分のように見えますよね。見えますし、大抵はそうです。追い込んだ感じで全っ然甘っちょろく、薬指だけじゃなくて中指にもささむけができちゃった、いたた…(うわ、ちっちゃ!)は明らかにアウトです。反対方向のよく見かける例として、私ってばダメな奴ダメな奴ダメな奴ダメな奴ダメな奴ダメな奴ダメな奴ダメな奴死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう逃げて逃げて逃げて逃げて助けてください助けてください助けてください…からの自殺…とかはもう、個人的には辟易のひと言なのですが「個人的に」は措いておき、これは追い込みではなく屠殺であるので、別ジャンル。

早めに、大事な公式を言います。「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」。これが追い込み。いいですか、逃してもダメ。潰してもダメ。ましてやです、死なせても、ダメ!

思うにやはり、追い込みの最たるものといえば、ほら、探偵ものやヒーローものなんかでありますよね、愛しているからこそ手酷い意地悪をしてくる、偏執的な強敵でしょうか。主人公が誰を想い、何を考え、どんな選択をするか分かっているからこそ、その判断を根本から揺すぶるようなパラドクスを仕掛けてくるやつ。翻弄され、苦悩する主人公の切実な表情…からの、強敵の歪んだ愛情を逆手にとった、肉を切らせて骨を断つギリギリの展開。うん、もうこれを書いてる時点でドキドキしちゃう。たまりません。追い込むに限りますね…。

私はいつも、心が震える瞬間にはあと一歩、踏み込んで考えてほしいと、言ってみます…追い込みでもそう。どうぞ、ありったけ、人物が追い込まれる様々な場面を思い浮かべ、あなたの心の捜査室の壁一面にそれらをびっしり張り、じっくり考えてみてください。

追い込まれた人物を見て、いい意味でぞくっとするのは、どんなときですか?

どうでしょう。必要なのは何? 書き手の勇気? 読み手の感情移入? 主人公の強さ? 大胆な展開?

…残酷な場面しか思いつかない? どうでしょう…ちょっと目先を変えてみて。

追い込みに、残酷や暴虐は必ずしも必要ではありません。

そうですね、例えば…髪を切る。

それも普通にです。

美容院に行って髪を切るエピソードに、読み応えなんて…? 妊娠検査キットの窓に青く滲む陽性反応や、親友を殺すほど憎むに至った人物が握りしめる果物ナイフの反射光に比べれば、そんなの、大したことないですか?

お話を書くうえでは…それに私の経験では、読むうえでも…そうでもないと私は思いたいです。日常のひっそりとした会話にだって、追い込みは忍び込ませられなくもない。

A:髪、切っちゃったんだね。
B:うん。Aにさ、その髪型好きだなって言われて、…不安になったから。切っちゃった。
A:「    a                」

例えばですよ、例えば、こんな感じの追い込みは、いかがでしょう。

来ましたねこれ、こんにちは世界にありがちな、ふわふわした気難し屋のB。Aの頭は解析・判断・打算で忙しく、フリーズぎりぎりに違いない。…不安? 試したいってこと? 媚びたくないってこと? いま何か言ったらまた、もしかしてそのせいで行動するの? 好きなの? 嫌いたいの? 好かれたいの? どゆこと?!(や、私も書いてから追い込まれてますのでね、あまり深追いしないでいいですよ…!)

うーん…。私がAなら、現実世界では「なにそれ自分ないね(苦笑)→不自然に話題を変える」が関の山ですね…。でも、そんな死ぬほどつまらない自分が、私は死ぬほど嫌いだったりもします。だからこそ物語を書くのだとも言える。

そう、「あなたがAなら」ではないんです。Aなら、「 a 」をどう乗り切りますか? …次に、Bなら、Aの渾身の「 a 」に、なんと切り返しますか? …これは創作作品です。あなた自身の話をする必要はもちろんありませんし、大喜利ではないわけですし、無論、人間関係改善セラピーとかでもない。だから、この場を乗り切るだけでは、ダメですよね…彼ららしいか? それだけでもまだダメ、読んでいて「お」と思うか? 重ね重ねになり恐縮ですが、これは創作作品です…読むのは1秒、実際の場面も30秒かもしれませんが、だからってあなたが1秒、30秒でここを埋めなければいけないわけじゃありません。3ヶ月考えたっていいし、物語を最後まで描ききってから埋めたっていい。たぶん、この「     a       」にはその価値はあります。なぜか? ここは台詞が「詰む」場面。追い込み場面だからです。

大きなコンテクストでは、「私のこと好き?」「もちろん好きだよ」のバリエーションですね。たいしたこともない、Aは「もちろん好きだよ」と言えばよろしい。ゴールはそこと分かっている。読み手の心は「もちろん好きだ」をもう知っています。しかし…いっぽうで、そこに辿り着くための具体的な道が全く見えません…

A:髪、切っちゃったんだね。
B:うん。Aにさ、その髪型好きだなって言われて、…不安になったから。切っちゃった。
A:「    a                 」

はい。チャンス。このお話がただの面倒臭い女の子と阿呆丸出しの男の子の話になるか、あるいはイメチェンした長髪オタク男子との明るい恋の話になるか、それともプライドの高い人同士の、濡れそぼった恋心が刀を交えるひと幕になるかは、書き手の腕にかかっている。腕が鳴る…? 素晴らしい…!

…なるほど、残酷さは必ずしも要らないようです、確認できました。戻りましょう。人物を追いつめるものの正体とはいったい、何でしょうね…?

ヒント。読み手にとってはここが、ジェットコースターで言うと頂点になるのですね。

登ります、登ります、登ります…そして頂点に至った時、レールのほうはといえば、どこに行くも自由、読み手はけれども、読み手には予測不能なレールに沿って、落ちるしかない。(いまから落ちるとはっきり悟るときの、あの確信とドキドキをどうぞ思い出してください!)詰み切った瞬間というのは、その切り替えのまさに頂点なんですね。

そう、追い込みのいちばんの秘密は、見た目の派手さや書き手の容赦なさに潜んでいるのではなくて、人物の目的の明確さに対する次の行動の計り知れなさにある。どんなときに目的がはっきりしていて、かつ、行動が計り知れないか? それがまさに、どうしようもないとき、つまり、追い詰められたときなわけなのです。

追い込みと聞いて、袋小路に追い詰められたアクション俳優が敵を振り返る場面を想像した人は…? そうですね、それは、心象風景としては正しい。けれどもあなたはその感情のためにアクション俳優を描いたり荒唐無稽な陰謀を編み上げたりしなくてもいいんです。お話が緩くてもいい、ただ緩んだ頃合いにたとえば、なんと答えていいかわからない、けれどもその答えが関係を決定してしまうような、ギリギリ攻めた会話を差し入れる、それだけで、場がきーんと引き締まる。

コンニチワールドへ、ようこそ。

私のお話の緊張感は、ここで生まれます。

そう。もちろん、追い込みについても、筆を取っている意図はいつものように、秘密のレシピの公開と、書き手の皆さんへの応援です。

私はというとですね、「恋人に監禁されてズタズタにされましたが最終的には殺される前に殺して脱出しました」とか、「欲望にまみれた生活の末に報いとして全てを失いました」とか、「ここは地獄で女も男も消耗品、誰も彼もどうせ畜生」とかいった、華々しくもけばけばしく、艶々しくも毒々しく生い茂る木立の陰で、シダかキノコかコケのようにひたひたと暮らし、地味な、日常的な、何も起こらないお話を書いている人です。だからこそ、そういう書き手さんたちをここで、応援したいのですね。

ええ、私たちの…と、言ってもいいですか? ピタゴラ装置と私たちのお話には、共通点がありますよね…準備が大事、思わぬ失敗の連続にも諦めず、地味に地味にちょっとした計算違いを是正して、初めからピタゴラフィニッシュまでの全てを計算通りに滑らかに動かした、そこに、ぞくっとさせるようなウルトラCがあったりするものです。地味だからってつまらないわけじゃないし、小さいからってドラマがないわけじゃないし、事故がないからってスリルがないわけじゃない…!

姦しい字面にはうんざりしているものの、いっぽうで日常にドラマを見出せなくてお困りの書き手さんに今回は特に、きっと役に立つと信じています。はい。


さて。選手宣誓…をしたところで、もう少し紙面を許していただいて、実践的に深いところに分け入っていきたいと思います。

人というのは日頃、ふんわり「自分」があるような気がしています。…、就活生が他己分析を受けたり、プロマネが研修で自己分析させられたりする背景として、やはり「自分はこういう人間だ」という認識と「この人はこういう人だ」という認識とはズレている場合が非常に多い。しかもそのどちらも、ただの一面でしかなかったりする。これはあまり否定されないと思いますね、従って、実態として、本人ですら自分の本当の性質を知らないわけです。対して、多くの面白くない(すみません…)小説を省みるに、人物が自分を知りすぎている問題、あるいは、書き手が人物をコントロールしすぎている問題というのがある。

人は必ず、意外な性質を持っています。

それは第一に本人にとってそうですし、第二に…こちらのほうが大事です…書き手にとってもそうです。でも、そのどちらもを書き手は忘れていることがある。そして、その描写を忘れると、人物の底がかなり浅くなってしまうわけなのですね。そうすると、他のところで戦うことになります…精緻な人生哲学とか、超現実的で綿密なプロットとか、目にも綾な文体とかです。とはいえ、結局、人間を描くという面では、残念、あまり深くなりません。

しかし、前回ギャップについてお話しした時にちらっと出ました、書き手だけが知っている意外な点を提示するのは本来、フェアじゃないんですよね。世の中には学習性無気力というのがあり、あんまり続くと読み手は知る楽しみより支配される屈辱が勝り、関心を失ってしまいます。(私は読書家なんです…読み手にとってもこれは、失恋にも似た、悲しい瞬間です…。)

じゃ、どうやって人物の深い人間味を暴くか? 

ええ。追い込むんだよ、追い込め!追い込め!追い込め!というお話を、それで、冒頭からずっと、しているわけですね。

ね、「フェア」である。せっかく追い込むなら、ここにも気を配ってみましょう。人は必ず意外な性質を持っている。せっかくです、意外な、しかし本質的な何かを提示してください。人物にとって、人物以外の人物にとって、書き手にとって、読み手にとって、つまり全ての関係者にとって、意外な、性質をです。人物がそれをすることで、やっと、決定的に何かがわかる。それはとても甘美な…全員がはっとして、その人がどんな人かを知る、ね、それは、なんと甘美な瞬間でしょう…!

ふむふむ…そう考えてゆくと、物理的制約より精神的制約のほうが性格は出しやすいですね。なぜなら…

爆発するぞ!伏せろ!

これで伏せないと死ぬ。選択肢はありません。

3日後、16:00までに2千万用意しろ、さもないとお前の娘は…

この辺りから行動には選択肢が出てきますが、これも究極的には選択肢は「娘を救うために最善を尽くす」つまり、最上級が登場するので、あまり余地がない。

助けてください!救急車を!誰か救急車を!

これは? 大事な面接がある。ので、呼ばずに無視して通り過ぎる…それはもちろん、選択ですが…。

というように、物理的に「どうする、自分?!」へと追い込むと合理的な行動が一択化する傾向にあるため、人物の人間性が正常と異常、適切と不適切、善人と悪人、賢明と愚鈍に分かれてしまいがちなのですね…。

物理的な追い込みに面した読み手の興味関心の矛先は、サバイバルのための知識、危機的状況におけるベンチマークを得ることにあります。追い込みに追い込んで、その困難な状況を極めて合理的かつ倫理的に問題なく解決する…これはいわばパズルやゲームであって、人間の多様性とか心の深みとかにはあまり重きは置かれません。ですからまあ、こちらの方向で追い込む場合は、むしろそこに注目するといいわけではありますね。求められるのは主人公が有能で・倫理あるいは真理に即していることであり、主人公の取る行動以上に素晴らしい選択など他になく、答えはひとつだけ。こういう場合には、読み手は納得するし、安心しますし、関心を持って読んでくれます。

ただ…ね? 私が今回注目したい追い込みは、もっとこう、エンタメやサバイバル読本から若干距離のある、生活的で文学的な追い込みでしたね…? 

正解はない。

けれども、行動とその結果はある。

どちらが「いい」というわけではない…単純に、人物にはいくつかの、あるいはたったひとつの、自分が普段は取らないような選択肢しか残されておらず、そして、選択しなければならない。そんな追い込みです。

さっきの例をぜひ、思い出してください:

A:髪、切っちゃったんだね。
B:うん。Aにさ、その髪型好きだなって言われて、…不安になったから。切っちゃった。
A:「    a              」

この「      a      」にAの心の深みが出ると、読み応えがぐっと出ますよね。このシーンはね、Aがどんな人かわかってないともちろん埋まらないんですが、Aがどんな人かわかっていても、なかなか埋まりません。ここ。ここに追い込みましょう。で、答え自体が意外だったり、Aらしくなかったりしてもドキドキするし、ものすごくAらしかったりしても、ときめきます。追い込めているとですね、このように、読んでいてなんとなく居心地が悪くて、先が気になって、ドキドキするんですよ。ぜひともこの感じを目指してください。(もちろん、あんまり頻繁だと疲れますから、それは匙加減を。)

…思ったのですが、解答例がないのも、肩透かしですよね…。お楽しみも兼ねて、人物造形とこの出題がどう関係してるか、具体的に、考えてみました。(ご興味のあるかたは『愛を犯す人々 / 大人の領分』の大人のほうや、『春を謳う鯨』マガジンをパラパラ読んでみてください、読まなくても、ここは読めます。台詞からどんな人か想像するのもまた、ご一興!)

私が描いてきた彼らが、もしAなら…そうですね、「        a        」にもきっと、彼らの存在同様、唯一的で、とても彼ららしい、少しどきりとさせるような言葉が入るでしょうね…。

智史なら、「意地悪。揺すぶらないで。俺はね、不安になりたくないよ。」…晴人なら、「あー、実は俺も…こないだ切るとき、そんな感じだったな。…お互い、不安なんだ? なんだか、安心するかも。」…詢なら、「好きだよ。これも好き。全部好きなんだもん、ほんと、困る。」…ユキなら、「はは、確かに言った言った。とはいえ、変わるってどきっとして、いいよね。俺は男だからこういう楽しませかた、させらんねーんだよなぁ。…大丈夫? 飽きてない?」…柚希なら、「ふうん。ヘアオイルも、変えたんだ…?(chu♡)可愛い。ねえ、可愛いね…? 食べちゃおうかなぁ。」。

…あ、ミナガワなら「そんなこと言っちゃ駄目だよ。思いあがっちゃう…。」、佐竹さんなら「うーん、どうかなぁ。だって、僕だけじゃないでしょう、好きって言った人?」、麗なら「それ、好きだってこと? …好きになるの、怖い? 俺はね、好きになるの、好き。」…で、楢崎くんなら「好きにすればいい。切らないで、そんな鬱陶しいことも言わなかったら、俺にはベストだったけどね。」かな…。うわ、またみんなに会えて、これ、嬉しいな…。

ええと、このように、私が書くと、なにかしら溢れます(笑)。

もし、あなたが準備するジェットコースターの、頂点の場面までに、しっかり人物造形ができていれば…追い込まれた彼らは、書き手であるあなたでさえ思ってもみない方法で、しかしながらとても彼ららしく、事態に対処するでしょう。

こうやって長々と書きながら、どこかで大切なことを示そうと思ったまま、おしまいに近づいてきてしまいました…。大切なこと…お気づきでしょうか?

彼らは本当は、そして本当に、自由です。彼らがそれまでの自分から自由になる瞬間とは、即ちあなたが、彼らを自由にする瞬間でもある。

そのときあなたは、彼らを見て奇妙な印象を覚えるかもしれない…ああ、そうか、彼らは決して、自分ではないのだ、と。それはまるで、やっと、初めて、彼らに出会ったかのよう。書き手にとってその瞬間に居合わせることが、どんなに素晴らしいか…書き手の皆さまには、きっと、お分かりでしょう…。

追い込みには、勇気が要りますよ。人をドキドキさせるような人物の追い込みは大抵、骨の折れる、自分の心を傷つける、つらい作業ですし、追い込んだあとの人物の行動がどう評価されるか、…だって、彼らはついに、あなたから自由になった…あなたには読めないところもあるかもしれない。しかし、あなたが書いているそれが小説なのだとしたら、書き手が読み手に対して勇気を持っているかどうかではなく、描出する人物がその厳しい「現実」に対して勇気を持っているかどうかが俎上にあるのだということに、きっと同意いただけるはず。

あなたは、勇敢にならなければそれを書けないかもしれない。けれども忘れないでください、読み手にとって勇敢であるべきは、書き手たるあなたではない。登場人物です。




グダグダ書かなくても数行で終わる話だった? いいえ、今だからこそ瞼に焼きつく、今日のまとめ:
追い込み、窮地、自由の自覚、自由の実践、カタルシス。窮地はストーリーのみの産物というわけではない。人間関係さえあれば、あなたの観察力と筆力で生じさせることも、できるんです。合言葉は「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」。大好きなあの人をそんなに追い詰めるなんて、心が折れそう? 大丈夫、あなたの心はモノではありませんから、実のところ折れたりしませんし、その人物にはたぶん、あなたが考えるよりずっと、生命力がある。全方位、全力で追い込みましょう。



次回までの宿題:
あなたの描く人物は「そそり」ますか? そうならば、あるいはそうでないなら、それはなぜ? 官能的であることと性的に露わであることは必ずしも一致しません。あなたの物語の性と官能がまだ狭く、浅いと仮定して目を閉じ、あなたの物語の性と官能が非常に広く、深いと思い直して、目を開けたら…あなたの視界は、どのように変わりますか? 現実に存在する、多様な性に対して、文学の性と官能はどのようにアプローチできるでしょうか? →答えがある宿題ではありません。これは「きっかけ」という、私なりの感謝の表現形(のつもり)です。ひらめきがあったらぜひ、教えてください!

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。