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人物造形のヒント⑧ ギャップでは「驚き」と「より深い理解」を意識する


ギャップ萌え

…と検索し、どれかひとつを題材にさっそく一人ぶん、描写練習してみることを強くお勧めします。noteでギャップ萌えアンソロジー企画組んで欲しいなぁ(※読むほうが好き)。

心の声はさておき、書いてみると気づくはず(すみません尺の都合で巻きますが、ぜひとも書いてみてほしい)、ギャップというのは二重人格ペルソナ系氷山の一角ミステリー系があるんですね。ご想像がつくと思われますが、私は二重人格系は苦手。サバサバしてるのに二人の時だけ甘えんぼ♡ みたいのは私にはちょっとその、精神的葛藤が解決しないまま大人になろうとしてるみたいで面倒臭いです。

いえ、好みなんでしょうね、読み込んでみると、その「俺だけに見せる弱い部分」的なニュアンスに萌える人は多いみたいです。私? 本当の自分とか、分かると対応しないといけなくなるから隠しといて欲しい(斜)。というわけで、はい、好みです。ので、以下も、どっちがいいとかわるいとかのお話はせずに、進めたいと思います。社会的な観点からのペルソナはペルソナの描出としてどこかでまた書ければと思います(※野心)。

さて、私がギャップ萌えという言葉について考えるようになったのは、はっきりとはたぶん、ジルベールが完璧なラテン語を話せるとわかった時からですね。結びつけにくいような、それでいてひどく腑におちるようなこの奇妙な事実から、彼の悲しい過去や感受性の素地が窺われる、これに膝を打ち、ギャップというものについて、その魅力について、考えるようになったわけだろうと思われます。(ジルベールをご存知ないかたは想像力で埋めてください。御免!)

この「ラテン語がばっちり」というギャップの効果を考えてみましょう。

一に、驚きます。

二に、ジルベールへの理解が深まります。

はい、ここ大事、さっそく今回のお題が来ました。物語におけるギャップの機能とはすなわち、「驚き」と「より深い理解」から成り立っています。

え、そんな一面が?!…と、いう、この驚きこそが無論、ギャップのギャップたるゆえんですよね。しかし、そこにより高次の人間的一貫性が見出せるか否か。これも実は、ギャップには欠かせない重要な性質なんですね。どちらかが落ちるとどうなるか…順に考えていきましょう…まずは、「より深い理解」からいきましょうか。

先ほどの「ギャップ萌え」検索を思い出してください…ギャップを知ったあとは、そのギャップのない人物には戻らない。こういう不可逆性を持っているのもまた、ギャップの特徴。そもそも「ギャップ」というのは、生活的局面で使用される場合、矛盾する点もしくは印象に対する実態の対照性を称しがちなんですが、その辞書的な意味は「差異」「解離」です。こちらの理解のズレを判明させる瞬間がギャップの瞬間であって、それはあちらの人格的破綻が判明する瞬間ではありません。ここを間違えてギャップ付きの人物を書くと、人格崩壊するばかりでなく、登場人物の人格崩壊のせいで物語まで泣きそうなほど現実感失っちゃうので、気をつけましょうね。というわけで:

ギャップは埋める前提で作る。

説明的に埋める必要はありません。というのも、あまりにも滑らかに埋まると、ギャップで作った人物的陰影まで、埋まってしまいますから…。モヤっと感覚的にでいいんですが、とにかくギャップ提示後、より一層その人らしくなっているかは、必ずチェックしなければなりません。

ええ、そうですとも…人間を完全に理解するなんてことがありえない以上、人間的理解の差異という意味でのギャップは必ずあるもの。従って、埋める前提で作るのも大事ながら、更なる前提として「必ずギャップがある」という視点も大切なんですね。

ギャップは必ずある。

これをね、忘れがち。基本的にやはり、一貫性を大切に人物造形をするわけですから、忘れててもあまり問題ないんですが、仕上げに目を通した時に、なんか深みがないなぁ、という場合、ここの陰影が薄くてニュアンスがないかもしれません。ギャップをどこかに仕込んで、少し揺さぶってみましょう…ただし、そう、必ず埋まるギャップであること!きっちり人物造形できてれば、あまり苦労しないはず。だって、必ずあるものなので。

ちなみに、無論、遠ければ遠いほど埋め甲斐があります。が、遠すぎると線が延びすぎて、切れます。その場合はやや説明を含めたり、カスケード式に同じ方向性のギャップを小出しに提示したりと、ヘンゼルとグレーテルのパンくず的な工夫で乗り切りましょう…ただし第一にはやはり、全体を視野に入れた匙加減を、お忘れなく。

と、いうことは…はい、呼吸や寝食のように、生身の人間であれば(大小を問わなければ)ギャップはどんな時にも必ずある。わけですから、書き手としてはギャップは基本的に「選んでみせる」ものなんですね。

毎度毎度うるさくして恐縮ですが、読み手に必要以上に期待や好奇心を持たせることは、読み手の心を疲弊させてしまい、読み手の心が焦点を見失ってしまう。ギャップは、さっきも言ったように説明で埋めるものではなく、むしろ説明しがたい性格を示すための言外の方法だから、読み手の心的エネルギー消費が割に大きいツールなんですよね。ギャップは作ると楽しいし、書き手には読んでいてもとても楽しいんですが、必ずしも読み手に優しくて・読んでいて楽しいとは限りません。

人間の機微というのは非常に多種多様です。あなたにはよくわかるギャップでも、読み手には理解できないかもしれないという恐れは、いつも抱いてはおいたほうがよいでしょう。楽しみのためだけに不必要なギャップが入っているのは私は大好きですが、あまりやりすぎるとやはり、騒がしいでしょうね…。

以上から、従って、文学のうえでは…どうしてそこに思い至らなかったんだろう、なんでレッテル貼っちゃってんだろう、みたいな、こちらの無理解にじんじんと響くギャップが「いいギャップ」です。と、私は思っています。反対の…理解を拒むギャップは、あまりよくないギャップ。というのも、読み手の好奇心が「物語を通して心を解明する」ことに駆動されていることは以前にも書きました(ヒント②や③)、ギャップ描出においてもこれは大きなポイントなんですね。ギャップを見つけると、読み手はこのギャップをいかにもその人らしいという文脈で読もうとし、本当はギャップではないという結論を期待します。なので、連続ドラマやアニメで出てくる引っ張り効果(驚き)に憧れるとかで「より深い理解」の抜けた見切り発車なギャップを作ると、ギャップが本来の機能を果たしません。

ギャップ = 驚き + より深い理解

どちらかが落ちてないか、注意深く観察しましょう。

…そう、公式を穴が開くほど見つめてください! 驚きが抜けてもアウト。世の中のギャップには、「変人だけど能力がすごく高い」「めっちゃ細可愛いけど武闘系でパンチ超重い」のように一部テンプレ化している「けど」が存在しますね。ここには「驚き」がないため、これをテンプレとしてでなくギャップとして使いたい場合には、ここに上乗せしてギャップが必要です。「変人だけど能力高い」+「粋なはからい」とか、「めっちゃ細可愛いけど武闘系でパンチ超重い」+「敵を拷問すると性的快感を覚える」というようにです。そしてこの例でもなんとなく窺い知れる通り、「より一層、その人がどんな人かがわかる」ギャップであることが読み手の読みの快感に寄与するわけですね。ここの深みについては…あなたの独壇場、書き手の腕の見せ所。ぜひ頑張ってください!

なるほど…書きたくてムズムズしますね、でも、もう少しだけ待って。実践面で困ったことがひとつ、あるんです。それを確かめてから、書きに行ってください。

お気づきでしょうか…?

はい。意外に簡単ではありますね。読み手の視線がリネラルであるという、物理的な制約です。

まず理解Aを形成し、理解Bを呼び込むような出来事や発見を作る。この転換点たるギャップを作るためには、ギャップ以前に理解Aが定着しているべしという、これまた難題が潜んでいるんですね。というのは、いままで何回も述べてきたように、読み手は基本、安心して読みたい。だから、読み手の頭の中に「この人はこんな人」というイメージができてから揺すぶりにかけるべきで、のっけからギャップを使うと、「どんな人かまだ判断のつかない人」として、せっかく打ち込むあらゆる行動が棚上げされてしまう。必ずしも「こういう」が明言されている必要はありませんが(人間は言葉で表せるほど単純ではありません)、揺さぶりにかける前に「この人はこういう人なんだな」と読み手がひと心地つけるかどうか、確認を怠らないようにしましょう。

ギャップの提示は効きすぎるカンフル剤でもあります。ギャップが出てくると、物語の上でのその人物の挙動範囲がシフトして、読み手には新しい視野がばばっと開ける。だから間延びした頃合いに便利のために使っちゃったりするんですが、しかしながらこういう展開法の多用はですね、読者には後出しジャンケンが何度も続くような印象を与え、ヒントを読み解いて人物像を作り込んでいく、あの読みの喜びを読み手から奪うばかりか、挙句、読み手に理解の努力を投げ出させてしまいます。その先は…そうですね愛の反対、無関心です…ぶるる。です…。

ギャップを入れるタイミングは読み手の信頼にも響きます。どこでお蔵出しするかは、テスト版を作るなど(これができるのもギャップ描出の楽しいところ。だってこればっかりは、書き手にしかできませんから…)慎重に考えたほうがいいかも。後出しジャンケン禁止。ギャップ提示のうえではこれもぜひ、覚えておきましょう。

今日も、たくさん書きました…。

ところで…私のお話を読んでいただいたかたの中には、私の描く人物たちが数々のギャップを、そんなのどうでもいいよ、自分は自分、とばかりにさらさらと流れ落ちていく不思議なさまをお見かけになったかたもあるかもしれません…それぞれのギャップはそこまで突飛でもないのだけれど妙に彩かで、まるで、そんな人はこの人しかいないかのよう。最後に、その秘密を公開…!

私がよく使うのはもう少し応用的なギャップの使いかたであることが多いのですね。例としては、

①ギャップのメタな部分を丸め込んでギャップを描く方法

・本人が故意に作っている
・その人を見る人の、人を見る目がない
・あまりにも性格が複雑
・ギャップの大元に根本的な思考や性質がある

など、ギャップをどう見ればいいかを提示した上でギャップを描くことで、読み手をギャップの観察者からギャップの創造者へ転換する工夫をしてい(るところもあるかと思い…)ます。新参の登場人物が出てきたとき読み手が、「あー騙されてる騙されてる…この人、本当は〇〇だから!」とハラハラしたりしたら、やったぁ☆ですね。うん。

②類似ギャップの群れを列挙したうえでちょっとずらして、「ん?テンプレじゃないな…」と気を引く方法

基本の理解Aがあったときに、B.B'.C.B"…くらいの頻度で基本のギャップBにさらにギャップCを埋め込んで、揺さぶりまくるという…(笑)しかも反対じゃないというか、レベル感の違うやつ。

・社交的で大人な人物に「愛嬌、元気、秘密、子どもみたいな笑顔」のギャップをつける

とか、

・ふんわりした人当たりの良い人物に「ごまかし、軽佻浮薄、深刻な過去、風任せ」とギャップをつける

とか…ですね。最終的な理解Aへの統合という面で、書き手的にはかなり苦心惨憺させられますし、惨憺というか辛酸というか、…その職業の人のブログをネットストーカーする勢いでまじまじ読んでみる、その人が読んでそうな謎すぎる哲学書を読む、しそうな行動を片っ端から書き出して片っ端から否定する、ぽい人の運営してる団体のサイトを隅々まで読み込んでみる、星占いに頼る、年齢に合わせてファッション誌の特に投稿欄、統計欄、セラピー系エッセイを舐めるように読んでみる等々、(※すみません妄想です、というのはリアルに妄想しますという意味で妄想です、私は劇場版試写会まで妄想して小説を書くような、重度の妄想家なのです…)おそらく真面目にやると、こんなしょうもないこと(人から見たらきっと、小説を趣味で書くとはそんな感じです)に多大すぎる労力を割いているだろう自分への客観的評価を想像して胃がキリキリするか、私のように妄想過剰のせいで現実が遠のいて日常生活が立ち行かなくなりますが、もちろん、きちんと仕込めば、登場人物の人間の深みが出ます…(苦…もあれば喜びもあります。たぶん)。

そうなんですよ。見た目、単純・派手なくせに、意外にもツールとしての奥が深い。それが、ギャップなのですね。


はい。

お話を書くのが、大好きです。

いつも、ありがとうございます。お話を書くのが大好きな皆さまの、どうかほんの少しでも、お役に立ちますように。



結局、道具は使いよう。今回のまとめ:
ギャップ = 驚き + より深い理解 !

次回までの宿題:
人物の性別を反対にして同じ主題で書いてみましょう。例えばカフェでパートナーと久しぶりに静かにコーヒーを飲んで大切なことに気づく、個性的な友人に酷い目に合わされるも重要な学びを得る、等々…。おかしな点、変わらない点はありますか? あなたはそれらの人物に対してどちらの性を選ぶべきでしょう? あるいは、選ばないで書くべき? 戻って、元の原稿を見直してみましょう。あなたはいま、物語の主題をどう考えますか? それは初めに考えていた主題と同じですか? 違いますか? →答えがある宿題ではありません。これは「きっかけ」という、私なりの感謝の表現形(のつもり)です。ひらめきがあったらぜひ、教えてください!

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。