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人物造形のヒント⑦  設定は行動とセット

こんにちは! 

えっとですね、今回は(今回も?)お題が全てを物語っているため…楽しく、教材の各自制作からスタートしていただこうかなと思います。

(※作る手間のないかたや読み手の皆さんのために、こんにちは世界版をご用意してますが、書き手の皆さんにおかれましてはどうか、ご自分の筆を取って、下の要領で教材を準備なさってみてください!)

では、さっそく…いま私が講師権限で勝手かつテキトーに名前を決めた康太という人について、2通り書いてみてください(できれば実際に!)。ほんとテキトーでいいです。なんなら康太という名前の女性でもいいですし、幽霊やコタツでもいい。まさかとは思いますが、人物であるという要件からは、外れないように。違いを意識して2パターン作ってください。

1.は、なるべく具体的にその人に関する事実的情報をなるべく多く考え出す。

2.は、1.と同じ人物が取るだろう、ある行動に注目し、その動機、結果としてどうするか(どうなったか)について書いてみる。

なにを書いても構いませんが、それぞれのルールの違いははっきり意識して書いてくださいね。

※1段落ぶんあればOKです。私は、こんな感じかな。

1.
康太は32歳で文京区の医療器具メーカーの営業マン。身長は172cmで体重は60kg、髪型はスポーツ刈り、よく見るとニキビ跡あり、髭は薄め。二重で、睫毛ほぼない。日頃はコンタクト。ニュースはネットかテレビで済ませて、新聞、雑誌、本は読まない。年々、額が広くなってきている。好きな色はスカイブルーで趣味は特にない。酒は強い。高校では柔道部だった。彼女は3人いたことがあり、経験は1人で、全員、康太のほうが振られ、30以降、彼女はいない。通勤中はツムツム系のゲームをする。
2.
康太は休みの日は二度寝して、起きてもしばらく天井を見たまま動き出さない。今月の休みは起きて一番にはスマホを触らない、と固く誓ったのだが、起きてすぐにすることなんて、ぼんやりスマホをいじる以外に何ひとつ、思い浮かばないのだ。趣味を探すのを趣味にすればいい…職場で趣味がないとぼやいて返ってきた、上司の言葉だ。片っ端からやってみるんだよ。それぞれ、それなりに気張って当たれば、そのうち引きがでる。営業と同じだろう。…ああそれな、CMでよくみるぞ、「古い営業」だろ? 康太は目を閉じて、三度目の眠りに落ちていく。

まあクロッキーなのでそんなに精度あげてませんが(何回くらいこんな朝なのかとか、とかとか、読んでて気になること書いてない)、それでもどちらが康太という人に小説的に迫っているかといえば確実に2.です(…よね?)。息遣い、性格、世間との接しかた、暮らしぶりや、一人でいるときの気分。この断片の全行で康太は「私はここにいます」と主張しています。何かが起こりそうなのは? もちろん2.ですね。康太が、古いものを否定して、まだ形にならない、しかし確かな何かを求めていますからね。なるほど。翻って1.に「生活に退屈し、新しい何かを求めている」と書き込んでもいいでしょう。こういう具合に1.と2.を往来するのも悪くないですね。矯めつ眇めつしていると、康太は一人っ子っぽい気がするとか、なんとなく、お母さんはいい人かもしれないとか、振られたのは康太に性格的牽引力がないからだろうとか、部屋があまり綺麗そうでないとか、そうか二度寝しているのは深酒の習慣があるからだろうとか、なにかと妄想が膨らみ、そうすると結構、泥臭い人っぽいから名前くらいはキラキラにしようかな、などと名付け辞典を紐解き、樹貴とか尚人とかにしてみようかなぁ、お、迅ね、うわ崇紘とか華奢硬派な名前もギャップ萌える〜。略。妄想を逞しくし、あとは事件を待つばかりとなります。うん。

わかってます、まあ実際にはこんなにパッキリとは、分かれてませんよね。通常、2.の間に1.が説明的に挟まれる形で語りが進行します。が、ここでは話をわかりやすくするために、分けてみています。

さて、材料ができました。考えていきましょう。1.と2.の差はなんなのか?

1.に比べると2.は圧倒的に情報量が少なく、これだけでは康太(仮)がどんな人かはっきりとはわからないはずで、なのに、しかしながら2.のほうが「康太(仮)っぽい」ですね。詳細なら詳細なほどグリッドのマス目が小さくなりますから、個別性は高くなるはずなのですが、はい、ここ大事、設定だけでは「個」性は生じません。ディテールを書くなと言っているわけではないんです、だって、1.は1.で大事ですよね? 誰かにリアリティを持たせて掘り下げるには、こういう具体的な設定は欠かせませんし、ここに矛盾や調和を持ち込むことで、人物固有の色を鮮やかに彩ることができるわけです。それに、さきほど康太の人柄や来歴を詰めかけたときに追記のための鉛筆を乗せたのは、1.のシートだったはず。設定は設定で大切ですので、またどこかで取り上げたいと思うのですが、いまは康太(仮)に纏わるこれらの文章群のうち、「いったい何がリアリティに寄与しているのか」を意識してみてくださいね。

見えてきました?

そう、設定というのは人物を定義するためにあるんではないのですね。さっき1.のシートにザクザク書き込んでいったみたいに、書き手にしてみれば人物の定義集のようなものです。一生懸命考えるとすればここですし、これがないとその人物がその人物でなくなってしまうような感情が書き手にはある。物語で説明としてこれを示すことで、自分の思い浮かべている人物が読み手の頭のなかに再現されるような気がしてしまうのも、わからなくはない。しかし…。

作った教材に目を移して、1.のシートと2.のシートの違いに目を凝らしてください。

まず2.に注目。ここに描いた人物には、おぎゃあとこの世に産み落とされてから物語的現在時のここに至るまでの、ほとんどは誰にも知られていない、たまには誰かに知られてきた、この人物だけの個人史があります。1.をその視点から見てみて、2.に戻って、できればしっくり来るように直してみましょう。

ちょっと時間を取ります。直してみれる人は、直せたかな…?

どうでしょう…そうですね、設定というのは、ある思考と行動を彼らに与える「原因」であり、彼らが彼らなりに生きてきて得た「結果」なんですよね。設定は、物語の現在時に影響を及ぼすことがあっても、物語自体にはならない。設定とは、彼らが「何かする」、それで「何かが起こる」ときの、蓋然性や期待のためにあるんです。

ヒント④「どんな人かわかるように書く」に述べたように、人物にリアリティを与えて読み手の心を引き込むのは主に、判断と行動と結果の連鎖です。読み手の主たる関心と読みの快感は「こんな人がそんなことをしたらどうなるか」という点にあり、判断のたびに「お、そう来るかー…」とときめく。その没入こそが、読み手の手を動かし、心を開かせています。

重ねて言いますが設定を軽んじているわけではないです、設定があるからこそ出てくる出来事ってありますし、そういう出来事に限って大事な局面で作者の知見をすり抜けるような仕方でピリリと効いてくる。それに、設定は書き手のインスピレーションになるのと同様、読み手の好奇心を刺激するでしょう。ただし、それらは全て、行動とセットにされることによってやっと活かされる。と、いうことなんですが…。

セット?

ここで…いつもの通り、少しばかり現実界にも目を向けましょう…私たちはどんな時に、行動するのでしょう? 行動の周辺に視界を広げると、行動自体は単品で存在しているわけではないことが見えてきます:

背景、動機、契機、行動、結果

このように成立しています。いわゆる設定は「背景」の一部ですね。困ったことに…書き手は、自分が頭を捻る箇所であるため、設定を人物描写の要と思いがちなのですが…設定を含む「背景」が人物造形のリアリティの要である「行動」からかなり遠いところにあるのが、お分かりでしょうか。

なるほど。けど…「結果」…? さっきから気になってたんだよね、そんなに大切? 意識したことないなぁ。

それは、もったいないですよ…!

実はですね、結果にこそ、人物描写の秘密があるんです。物語を自分の腕一本で牽引している書き手は、ついつい「どんな行動をするか」に注力しがち。しかし…しかし…世の中には「落とし前をつける」という言葉があるように、その行動の結果が生じるまでは、その行動は人物描写の役割を完全には果たせていないんです。

次段の追加演習によって明らかになることを信じますが、自然に思い浮かんでいることばかり書いていると、登場人物の性格にも物語の展開にもバリエーションがなくなり、永劫回帰に諾う以外に書き続ける方途がなくなります。自分の殻を破るためにも、「結果」にはぜひ、敏感かつ、勇敢になりましょう。

さて、その追加演習ですが…さっき演習した用紙の、2.のほうを出してください。

2.
康太は休みの日は二度寝して、起きてもしばらく天井を見たまま動き出さない。(中略)康太は目を閉じて、三度目の眠りに落ちていく。

例で言うところの「康太は目を閉じて、三度目の眠りに落ちていく」にあたる箇所を探してください。この場合は納まりの都合で結果的に取った行動を書いてます…ご容赦を。早速ですね、この結果部分を書き換えてみましょう。

うーん。…ここで、康太(仮)が天井を見つめていたことにより、天井の穴から誰かが覗いているのを見つける可能性だってありますよ。そうすると物語が一気に動き始めます。その発見によって康太(仮)がどのような行動を取るかに再び読み手の関心が集中するのが手にとるようにわかりますね…? 結論は先延ばしにされますが、この展開が上手に続く限り、読み手の楽しみは切れないでしょう。そのうちに康太(仮)の対処によってちびちび、その性格を明らかにしていけばいい。

あるいは、まあこちらが本題なんですが、ここで単純に、代替的に違う行動を取らせてみましょう。例えば、ここで康太(仮)が勢いよく立ち上がって料理し始めたりする。と…どうですか…康太(仮)の性格がガラッと変わるのを、確認いただけたでしょうか。

読み手は、情報を提示された順序で収集しなければいけない都合上、常にある程度の留保を持って臨んでいます。認知的不協和の理論が詳しく知っている領域になりますが、行動の結果の部分が変わると、読み手の心は記憶の中にあるヒントを再構成して「これはあり得る」と思いたがります。康太(仮)のこのわけわからん決意は、康太(仮)が弾きだす結果によっては、康太の人生同様なんの意味もないくだらない思いつきにも、くさくさした康太の人生がガラッと変わる運命の一日の開始を告げる鐘の音にもなる。結果がなければ、こういった全てを読み手は留保したまま読み進めることになります。これがかなり心理的負担を要するのは、想像に難くないでしょう。はい、ええ、よくおわかりで…せっかく読んでくれてる読み手に対して、おもてなしの心は忘れないでいましょうね。

(どうぞ、時間をとります、ご自分の演習用紙に戻り、できれば実際「結果」部分だけ、色々書き換えてみて、康太の性格や物語の行く末に思いを馳せてください!)


さて…今回の人物造形のヒントがようやくはっきりと見えてきたところで、もう一度論に戻っていきますね。

設定がやたら詳しいのに全く個性のない、不思議な人物描写、たまに、みかけませんか。そんな時はチャンス、よく調べてみましょう…この人物には行動の動機、あるいは先ほど見たように特にこちらが大切なんですが、結果がきちんと書き込まれていないことが多い。「個性は「個」性」で述べたように、その人物が物語世界に作用しているか否かが、現象系と存在系の分かれ目です。その人が登場人物としてある一定の重要性を持っているとすれば、その人が何かしたら、何かが起こらなければならない。ここを間違えてディテールだけを掘り込むと、ただの列挙になって

A:{m,3n,p,q,0.8r}

的な、要素の集合を眺めているような感じになってしまいます。…まあこれはこれで乙なものではありますが…というか、私なんかはこの集合に対する偏執的な好みがあるために、自宅で人物図鑑をせっせと生産しているわけなのですが。

私事はともかく、この集合の印象に象徴されるように、ディテールは結局、どんなに列挙してもイデアの世界の言語なんですよね。実体化することで、初めてこの世の営みに落ちてくる。人物の挙動によって、書き手はディテールを実体化しているのですが、たまに書き手がそれに気づかずにイデアの世界の住人になっていることがあります…繰り返しになります、が、絶対に覚えてください、詳細は、残念ながらそれだけでは書けども書けども、個性にはなりません。

そうですね、例えるなら…あなたは、とあるバーにふと入りました。するとものすごく魅力的な女性または男性がいて、彼女または彼を大変魅力的に思わせる一件が起こった。そこに彼女または彼の来歴や社会的文脈は確かにあることでしょう、しかし魅了されてしまったいま、知らない国のお経のようにそんな詳細を囁かれることに、どんな意味があるでしょう? 物語の世界では常に設定より存在のほうが強いんです。

「ポケットチーフは光沢からして絹だろう」「気の強そうな美人だった」「清潔感があった」「爪がよく手入れされていた」「ボディラインに男たちの視線が吸い込まれた」「話ぶりから、最近離婚したばかりだと知れた」「マスターと什器業界の話をしていた」…いいえ、どんなに写実に優れようともその人は、物語世界の何かに反応して脚を組み替えたり、髪を耳にかけたりするまで、「生きて」いません。そして、無言で持ち上げたグラスをマスターに見せ、所在なさげに頬杖を突いてコースターの染みを指でなぞる、これでやっとこの人は「存在」することになり、その美しい目があなたのまなざしに出会って、あなたの心が大きく揺り動かされる、そこでやっと、「人物」としてのその地位を獲得するにいたるわけです。

必ず意識してください。あなたが用意した綿密な描写が活きるのは、人物がそこに「存在」しているからなのです。

…登場人物が存在するためには? これは、リアリティのための一連のヒントでお話してきました。

その人が何かをして、そのせいで何かが起きる。

彼が、彼女が、これから何をするかわからないとき、そのあと何が起きるかわからないとき、彼や彼女はあなた自身ではないという簡単ながら厳しい事実に悩むとき、あなたが一生懸命考えた設定はかならず、あなたを助けてくれます。なにより…そうやって設定という形而上界から行動という形而下界へ落とし込まれた彼らの存在の、その根拠あるリアリティは、設定に対する納得や驚きとあいまって、読み手に強い印象を与えます。読み手は心の経験の1ページに…書き手としてこれほど嬉しいことがあるでしょうか…思い出として、彼らの感情を、彼らの思考を、彼らの言葉を、彼らの仕草を、差し挟むことでしょう。



今日のまとめ:
設定は行動とセット。かつ、その行動の結果が重要!

次回までの宿題:
物語における比喩の可能性について考えてみましょう。散文的な比喩と詩的な比喩の違いはどこにあるでしょうか。直喩、暗喩、換喩があると思われますが、そこにはどのような種類の技巧があるでしょうか。(例えば、日本語ではように、ごとくに、くらいしかない直喩ですが、西洋語へ漕ぎ出すと形式別品詞別に厳密な文法があり、直説法と仮定法(接続法)のように《法 mood》によるニュアンスの違いさえ存在しています。)あなたの作品の比喩を抜き出して、書いた時のあなたの心に何が起こったのか、読み手の心に何が起こるか、考えてみましょう。効果的な比喩の使い方は? リアリズムとリリシズムは両立可能でしょうか? →答えがある宿題ではありません。これは「きっかけ」という、私なりの感謝の表現形(のつもり)です。ひらめきがあったらぜひ、教えてください!

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。