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自作小説

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詩ほど短くもなく、歌詞ほど曲は似合わず。 短編と呼べるほど長くもない、そんな物語たち。
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2020年5月の記事一覧

『ひと夏っ恋』⑯/⑯

 ベランダのいつものイスに腰掛け、ユキナさんへ電話を掛ける。
「はい、もしもし。」
「もしもし。今大丈夫?」
「うん、大丈夫。ごめんね。」
「大丈夫だよ。お休みで会えなかったのは淋しかったけど、こうして声が聞けるだけでも俺はうれしいのよ。」
「ありがとう。田渕くんはいつも優しいね。」
「そんなことないよ。ユキナさんのことが大切だから。当然だよ。」と言うと、電話では珍しく沈黙した。僕は心配になり「大

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『ひと夏っ恋』⑮/⑯

月曜日、ユキナさんの姿はなかった。いつもなら遅刻はしないまでも必ず一限目に間に合うようにチャイムの直前で駆け込んでくるはずなのに。
「ヒカル、今日ユキナさんどうした?」
「なんでアンタがユキナの心配してんの?」
「いや、休むの珍しいし、会えないと淋しいし。なんせみんなのアイドルだからな。」
「ふーん。ケガとか病気とかじゃないから安心しな。」
「なんか知ってんのか?」
「アンタが知ってどーすんのよ。

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『ひと夏っ恋』⑭/⑯

部屋のベランダに出るとすっかり秋の匂いがした。風はなく静かな夜だが、少し前の蒸し暑さはもう感じられなくなっていた。
ケータイのアドレス帳のユキナさんのところで発信動作をする。念のため親が急に来たりしていないか、改めて部屋の中を振り返る。誰もいない。大丈夫。
プルルルル、と発信音がしばらく鳴り続けたまま、三十秒近く経つ。タイミングが悪かったか、晩ご飯中だったか。

ユキナさんは晩ご飯のときは家族と過

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『ひと夏っ恋』⑬/⑯

 夏休みが明け、久しぶりの学校はまだ八月だというのにすでに気が引き締まった雰囲気に満ちている。九月に入るとすぐに始まる各部活の大会や、中間テストのせいだ。

「あれ、数学の宿題のテキスト全部やった?」
「やったけど最後の方全然わかんなかった。あんな難しいの載っけちゃダメだよな。」
「それでいて夏休み明け最初が数学の授業で即提出だもんな。たまんない。」
「ブチさんは?全部終わった?」
「当たり前だろ

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『ひと夏っ恋』⑫/⑯

「あ、」とユキナさんは顔を上げ、さっきまでの表情と沈黙の間なんてなかったかのように純粋に花火を楽しむ晴れやかな表情を浮かべていた。
「たった一発の花火、いきなり上がっちゃうんだね。せっかくだからカウントダウンとかしてくれたら良かったのに。もったいないね。だから他の地区の人もあんまりこの花火のこと知らないんだね。」
「うん、突然上がるから心の準備もカメラの準備もできないんだ。でもこの中央公園は大きい

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『ひと夏っ恋』⑪/⑯

子供の頃から変わっていない毎年同じ屋台やお祭りのはずなのに、どこかおじさんや子供たちがすごくうれしそうな笑顔でいるように見えた。得意げに綿あめをどんどん大きく作っていくおじさん。その様子を興奮しながら眺めている姉弟。いつも道路で遊んでいるところを注意し、注意され喧嘩ばかりしている三人だったが、今日は同じ綿あめを見つめ同じ喜びを共有している。
いつもはきっと欲しいものを買ってもらえない男の子も、今日

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『ひと夏っ恋』⑩/⑯

八月二十二日、昼間からお祭りの準備のため僕は屋台を組んだり資材を運ぶのを手伝っていた。子供の頃から手伝っていたので、手順はだいたい把握しているし慣れたものだった。
小さな地区の小さなお祭りだったので、屋台と言っても金魚すくいと綿あめとお面屋くらいしかない。あとはちょっとしたレクリエーションのためのお立ち台や景品の準備があった。

区長とのじゃんけん大会がこのお祭りのクライマックスで、最後まで勝ち続

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『ひと夏っ恋』⑨/⑯

 三年生最後の大会に向けて、サッカー部の熱も高まってきていた。ブラスバンド部を含む文科系の部活も同時期に最後のコンクールなどがある。学校中の雰囲気が夏休みに浮かれながらも、部活に没頭する適度な緊張感も漂っていた。
「ブチさんはお盆どっか家族で出かけるんだっけ?」
「ウチのお盆は毎年二泊三日で親戚のとこへいくんだ。これだけは絶対でね。」
「部活もお盆はお休みだしね。ヒマだ。やることないなー。彼女でも

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『ひと夏っ恋』⑧/⑯

「おはよー」と、いつものように朝練を終えチャイムが鳴るギリギリにユキナさんは教室に飛び込んできた。一瞬でも目が合わないか期待してユキナさんを目で追ってみたが、脇目も振らず自分の席に着き一限目の準備に入った。

 ユキナさんへの電話はまだできていない。学校にいる間や下校のタイミングでも、いまだに二人きりでは話せていない。お付き合いすることになってから初めての土日がやってくる。こんなとき彼氏ってものは

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『ひと夏っ恋』⑦/⑯

「ユキナさんから?何だろう俺なんか悪いことしたかな。」
「何言ってんの。バッカみたい。良いから早く中見れば。それでさっさと球蹴りしにいきなさいよ。」と言ってヒカルは自分の席へ戻っていった。
なんだかいつもよりトゲトゲしい。どんな感情なんだ。性別が違うと、こうも心が読み取れないものか。僕がヒカルに何をしたというのか。理不尽に冷たい言葉を浴びたショックをまといながら、それを押し返して余りある程の喜びを

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『ひと夏っ恋』⑥/⑯

土日とも部活があり、程々の疲労感はいつも通りあったが、回復はこれまでにないほど早かった。間違いなく、金曜夕方の、あの駄菓子屋曲がり角での出来事のせいだ。

サッカー部の連中にはまだ話していない。言いたい、けど言っていいものか。ユキナさんはどういうスタンスでこの恋愛をするつもりなのだろうか。
彼氏彼女として、周囲との距離感は?どんな間合いでこの愛しき悪友と向き合おうか。ユキナさんと、いや、僕の彼女と

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『ひと夏っ恋』⑤/⑯

まもなく竹林を抜け、駄菓子屋が見えてきた。
ちょっとだけ付き合うと言ったって、駄菓子屋はもうこんな時間じゃ店じまいしているし、ましてや華の高校二年生がこんな田舎の小さなお店で駄菓子を買うわけもないか。
ちょっとだけ付き合って、と言ってもこの先は団地しかない。いったい、何に付き合うというのか?あるいは、後日どっか行きたい所があって僕に同伴してほしいとか?例えばお父様にあげる誕生日プレゼントを一緒に選

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『ひと夏っ恋』④/⑯

九割九分二厘あきらめて期待もしていなかったこの出逢いに、願ってもいなかった「一緒に帰ろう」なんていう女神の一言。あぁもうこんな日が来るなんて。遅くまでサッカー頑張ってて良かった。今日は部室にケータイ忘れてきて良かった。ずっとユキナさんに憧れてて良かった。これまでの想いが報われたー。
「じゃあ、行きましょうか。田渕くんはこっち方面?」
「そうです。あ、いや、どっちからでも帰れるんで酒井さんの方向に合

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『ひと夏っ恋』③/⑯

 ある日、いつものように音楽室の消灯を見届けてから片付けを始め、部室で着替えてから校門に向かい始めた。サッカー部を含む運動部の部室は、校庭を挟んで校門とは真逆の位置に並んでいる。校庭を半分くらい横断したところで、僕は部室にケータイを忘れたことに気が付いた。
「ごめん、今日は先帰って。俺部室にケータイ忘れた。カギ俺が返しとくわ。」
「あー、今日こそユキナさんに逢える日だぞ、朝の占いで言ってたからな。

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