『ひと夏っ恋』⑤/⑯

まもなく竹林を抜け、駄菓子屋が見えてきた。
ちょっとだけ付き合うと言ったって、駄菓子屋はもうこんな時間じゃ店じまいしているし、ましてや華の高校二年生がこんな田舎の小さなお店で駄菓子を買うわけもないか。
ちょっとだけ付き合って、と言ってもこの先は団地しかない。いったい、何に付き合うというのか?あるいは、後日どっか行きたい所があって僕に同伴してほしいとか?例えばお父様にあげる誕生日プレゼントを一緒に選んでほしいとか?

「いいですよ。どこ行きたいんですか?」
「ううん、違うの。ちょっとだけ、一か月だけ付き合ってくれないかな?」
 一か月だけ付き合う?行きたい所がある?けど期間限定?何のことかさっぱりわからない。「一か月の間、どっか行きたい所があるとか、ですか?」
「そうじゃなくて。一か月。八月に入ったら一か月の間、私とお付き合いしてほしい、ってこと。ダメ・・・かな・・・?」

あぁ、もう神様ったら。こんなに甘い果実を目の前に見せつけるように置かれたら、夢から覚められない。もうずっと夢の中から抜け出せなくなっちゃう。ここが天国なの?極楽浄土?ここはどこ?俺って誰?この子は何を言ってるの?なんかもう意味がわからないけど、とにかくなんかもうこれはスイート。
熟れ過ぎた甘過ぎる果実の果肉の海に体が沈んでいく。もがく気もなくなるほど、手足や思考がしびれて動きが止まるくらい気持ち良い刺激的な香り。これはダメだー。鼻の奥に抜けるすっぱい香りが甘さを際立たせるスパイスか。

「お付き合い、って。つまり、彼氏彼女ってこと?」
「うん。私じゃダメかな。」
「そんなことない!酒井さんとお付き合いできるなんてこんなうれしいことない!ぜひお願いします!」と僕は言った。
「良かった。田渕くんがそう言ってくれて。来週から八月だけど、良い?月曜日から。」
「はい、よろしくお願いします!」

甘美な言葉の誘惑に、断る理由は見つからなかった。学年のマドンナと付き合えるなんて、こんなことってあるのか。居残りしてサッカーに励んだおかげか、あるいは偶然を装って校舎の角から飛び出したおかげか。

何はともあれ、部室にケータイを忘れて、みんなと遅れて帰ることになったおかげで、今日から新たな景色を見ることができた。廃れた田舎の駄菓子屋の角も、今日からは想い出の場所として光り輝いて見える。ネオンでもイルミネーションでも、なんでもこの駄菓子屋さんに飾ってあげちゃう。僕にとって夢の曲がり角。ワンダーコーナーがここにある。そしてこの曲がり角から僕の、僕とユキナさんの恋愛が始まる。

ありがとう愛しき悪友たち、愛すべきサッカー部の仲間よ。僕は君たちの遥か上空へ飛び立った。君たちの手の届かない境地へ。成層圏の下で見守っていてくれ。このフライトは誰にも邪魔させないぜ。ユキナさんの笑顔の為なら、どんな嵐も乗り越えてみせる。

「ありがとう。田渕くんとこんなに親しくなれて良かった。これから宜しくお願いします。じゃあ、私こっちまっすぐだから。ここで。また来週。良い週末を。」
「はい、良い週末を。またね。」この土日を挟んだ三日後から、僕の新しい毎日が始まる。

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