苦しみの根本を取り除く その5 身体は間違えない

さて、今回は身体です。
身体は間違えないってどういう事でしょうか。
例えば食事。何か食べたいと思っているのは脳なのかい?身体なのかい?
どっちなんだい?パワーーー💪

はい、無事滑ったので続けます。きんに君は悪くない。

お腹が空いていないのに食べたい。食べたのに満足できない。
こんな経験ありませんか?
空腹と関係ない食欲。
これ、何なんすかね?
明確な区別はできないけれど、たぶん栄養が偏っているか、または体調か。
それともう一つ。脳の欲求か。

大きく分けて、脳が食べたいと身体が食べたいの2種類存在しているように感じます。
見分け方は、後で後悔するのは脳の食欲って感じかな。大体変なもの食べたくなるし。
あくまで僕の見分け方ですけどね。
今回はそんな感じのお話です。

今までのシリーズはこちらから👇


身体の声ってなに?

身体の声と言われても良く分かりませんね。
明確な定義は無いでしょう。
私の場合、思考を通さない欲求や感覚と捉えています。
眠いとかお腹空いたとか、分かりやすいのはこんな感じ。

小さな子供って、広場に行くと走り回るじゃないですか。あれも身体の欲求だと思います。
広場だ!走ったら気持ちいい!って考えて走り出す子供はいないと思います。
完全に気分ですよね。思考を挟まず、感じるままに走り出します。欲求のままに!
親御さんは大変だ😂

子供じゃなくても、開けた場所に行くと開放感ありませんか?
あの開放感、頭でなく身体で感じてるの分かりますか?胸の辺りからスッとする感じ。
またはムズムズする感じ。
私もなんだか身体を動かしたくなります。
子供なのかもしれん👶

他にも登山して、目の前に開けた風景が現れたとき。やはり胸がスッとします。呆然とするに近いかもしれない。
なんだか敬虔な気持ち。
ただただ圧倒されるような、そんな感じ。
以前、ある山の山頂から富士山が見えた時、まさにそんな感覚でした。
人間はちっぽけ。個としての自分が吹っ飛ぶような感じです。


身体の声は役に立つ?

身体の声が分かる方には大いに役立つと思います。
しかしそもそも身体の声が判別できない可能性がある。
もう言っちゃうけど、私は身体の声って直観みたいなものだと思っています。ていうか直観として使ってる。
言葉にならない声みたいな、そんな感じ。

私の感覚だと、胸の辺りから湧き出る感覚。
胸があつくなるとか、胸が躍るとか。胸が苦しいとか、胸がざわつくとか。
思考のように理屈をつけず、好きなものは好き。嫌なものは嫌。とはっきり反応を返してくれます。

直観を役立てるには直観を鍛える必要があって、それには脳を鍛える必要があると考えています。
脳を思考型から感覚型に作り変えるという事。
そのための方法は別な記事にまとめますね。

直感型になるという事は、思考を減らすという事。
または、感覚が優位になっていくという事。
私が登山中に開けた景色に圧倒されたとき、完全に感覚優位でした。
思考など必要ない。ただただ在るだけ。さいこう🤤

思考が限りなく少なくなっていくと、感情面も大幅に安定します。
特に負の感情が無くなるので悩み事も無くなる。たすかる。
困ったことがあっても取り乱すことなく淡々とやる事をこなすようになる。
便利ですなあ。

というか言っちゃいますけど、思考では悩みの解決は難しいです。
悩みは思考が原因の場合が多いので、思考で解決しようとしても悩みの思考回路が強化される恐れすらある。
だから一時的に解決しても、何度も同じことが繰り返される。
難儀なもんやで
😫
悩み、困りごとにはそれを引き起こす根本があります。
その根本は、自分でも気付かない思考の癖に隠されている事が多い。
思考の死角にある癖。根本。それは思考では取り除けません。
だって見えないので。
そこで登場するのが感覚。そして直観ってわけ。

んで、直観とは何かというと身体の感覚や欲求。
つまり、身体の声というわけです。エビデンスは無い🤪

不思議な感覚なのですが、身体の声を聴けるようになるに従い、何も考えなくても物事が進む感じがあります。
何も考えて無いのにタイピングが進んだり。
この記事もほとんど直観で書いてます。楽。
そうなのです。思考が限りなくゼロになると楽になります。
あと愉快。

思考でも直観でもどちらを選んでも良いと思います。
直観型になると、愉快で楽。それだけのことです。
ある意味、苦しみの根本を取り除く究極系なのかもしれませんね。悩まなくなるので。


今回はここまで。最後までお読み頂き有難うございました


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