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概念なんて必要ない

マインドフルネスな記事です。
言葉があるから想いを伝えられる訳ですが、言葉とは時に厄介で、言葉があるから概念が生まれ、概念があるから区別が生まれる。
概念の無いものはそもそも無くて、そもそも無ければ区別はない。
あらゆるものはただの状態で、両極とその間にグラデーションがあるだけ。

あくまで現在の「状態」が全てで、行動によって「状態」を変化させるだけなので、概念は足枷にしかなりません。
「今この瞬間」に留まるかぎり、「概念」は消失します。


概念と区別

例えば経済。
貧乏とお金持ちとは、どこから区別されるのでしょう。
年収?それとも資産?どれだけ資産があればお金持ち?資産の形は現金?
証券を10億円保有しているとして、すぐ使える金額が20万円だった時、それはお金持ちですか?
月収1000万として、月の出費がそれを上回っている方はどうでしょう?
10億円の不動産を保有していたとして、それがすべて山林だったら?築60年のマンションだったら?それはお金持ちでしょうか?

逆に、年収100万円として、ほぼ自給時自足の生活で出費がほとんど無い状態は貧乏でしょうか?
月収20万円でなんとかやりくりしていたとして、そこに不満も不安も感じていない方がいたとして、それは貧乏人でしょうか?本人が貧しさを感じていなかったら、それは貧困なのでしょうか?

これら概念は、すべて主観が生み出す区別でしかありません。
莫大な資産がある。という状態から資産ゼロという状態。その間にグラデーションがあるだけで、ただの「状態」です。
金額は豊かさに繋がらず、本人の「感覚」が豊かであると「感じている」かどうか。違いは外面的なものではなく、あくまで内面的なものです。

そしてお金持ち。貧乏。という概念が無ければ、その「状態」があれど「区別」は生まれませんし、自らをそこに押し込めることもありません。

区別しないので豊かな方は勝手に豊かな「状態」ですので、わざわざ貴金属や高級車でアピールすることはありませんし、貧しい「状態」も、生きていけているのならばそれでOKだし、苦しいと「感じる」ならば必要なところにアピールしつつ、向上させるための行動を起こすだけです。生活保護申請(アピール)しながら職安に通うとか。


適切な行動

今この瞬間に留まることで、適切な判断を下しやすくなります。

前段でアピールについて触れました。
意味のないお金持ちアピール、気分の良いものではありません。哀れささえ感じます。意味のない行為です。

逆に適切なアピールはどうでしょう。
骨が折れたら救急車を呼びます。適切なアピールです。
赤ちゃんは不快な時、泣いて保護者を呼びます。適切なアピールです。
こちらは適切で意味のある行為です。
赤ちゃんは自他の区別や時間の概念が限りなくゼロに近いため、適切なアピールが得意です。快を快として、不快を不快としてそのままアピールしてきます。逆に、不要なアピールは一切行いません。なにかしらの「感覚」に従っているのでしょう。


区別のはじまり

概念に戻ります。
これらの事を基に考えると、例えば精神の問題。アダルトチルドレン(AC)やHSPなど。これらも概念があるからカテゴライズしてしまうとも考えられます。
もちろんそれで苦しんでいる方もいらっしゃいますので気のせいで済ます気はありません。しかし、カテゴリーという区別ができた事でそこに当てはめにいってしまうという現象も少なくないと感じています。

経済の話と同様です。ACの状態、HSPの状態。これらはどこで線引きされるのでしょう。ある意味鬱も同様で、鬱と診断がおりる方とギリギリ鬱判定されていない方、これらの明確な線引きはあるのでしょうか。診断があるかどうかというだけで、苦しい事に違いは無いでしょう。
また、その日の体調や気温で左右される程度の揺らぎによって診断に差が出る事は無いのでしょうか。

あくまでグラデーションがあるだけで、どこからが精神疾患であるという明確な判断基準は無いように思います。
批判もあると思いますが、概念があるからそこに寄って行ってしまう方も少なからずいるはずです。自分からはまりに行ってしまう。
また、そういった区別が生まれる事で、勝手に他人をそこに押し込めて評価判断の材料にする事もあるでしょう。断絶の始まりでもあります。

豊かさや安心などという一見ポジティブな概念も同様です。
収入による断絶、健康状態による断絶、宗教や思想による断絶。相手を受け入れる姿勢を奪うことにもなりかねません。
しつこいですが、あくまでグラデーションがあるだけで、そこに違いはありません。

このように概念があることで評価判断や区別。つまり人間の苦しみが始まるという側面が見えてきます。


概念の枷を外す

これら概念の枷から外れるにはどうしたらいいでしょうか。
根本的な問題解決として、「概念を消す」以外には無いように感じます。
あくまで個人の内面的なことで結構です。自分の中から好ましくない概念を無くすことが重要だと感じます。
観念的な話ですが、人を評価する限り人から評価されます。評価判断の無い地点に立つことで、社会的な価値に振り回されることなく生きる事が可能になります。

概念の無い状態、評価判断の無い状態。「今この瞬間」しかない状態。
いいかえるとマインドフルネスな状態を目指す事が、生物として根源的な生き方に繋がるように感じます。
もちろん「マインドフルネス」も概念です。あくまでグラデーションなので、すでに今この瞬間である事。そしてどれだけそこに長く留まるか。こういった意識を持つことから始まります。
みんな「感じている」か、「感じていない」かが違うだけで、「今この瞬間」に生きています。感度を高め、「今この瞬間」にいる事を「感じる」努力を重ねれば、生きる上での苦しみは限りなく少なくなっていくでしょう。

マインドフルネスを強化するにはとにかく感覚です。
思考で到達することは難しいでしょう。
マインドフルネスな「状態」には、左脳の自動思考を静かにすることで近づくことで強化されていきます。
思考の暴走を止めるには感覚に注目することです。幸福は「感じる」もので、感じるというのは「感覚」です。

私は日頃から運動をお勧めしていますが、その他にも呼吸や瞑想、あるいはマッサージなど、五感が主役になる行為を日常に取り入れるといいでしょう。思考と折り合いをつけ、好ましくない概念にとらわる事をやめた瞬間から違う自分が始まります。生きたまま生まれ変わるようなもの。
生まれ変わるたび、世界の見え方も変わります。
是非、概念から逃れ続け、変わった世界を楽しんでください。

感覚についての記事はこちら ⇒ 心のこわばり 身体のこわばり

左脳思考との付き合いはこちら ⇒ 悩みと心拍数



今回はここまで。最後までお読み頂き有難うございました。
精神的ストレスも同様。比較や評価判断を減らしただけ減っていきますよ。

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