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マインドフルネス瞑想と思考の存在

心身の不調は、何かが停滞し起こることが多くあります。
東洋医学の概念では、血・水・気のどれかが停滞することにより、”未病”いわゆる病気(病気の手前)になりやすい状態になってしまうと言われています。

思考の停滞は”気”に準ずるものにあたると考えられ、思考の蓄積、停滞、散漫、それらが起こりすぎると判断能力の低下、やる気、モチベーションの低下、原因不明の倦怠感などに襲われてしまう状態になります。

一番よくない事として、自分自身が不調状態になっていることに気づいていないという事です。

マインドフルネス瞑想で”今”この瞬間に集中した時、
頭に何が思い浮かぶでしょうか。


それは不安であったり、やらなければいけないことであったり、全然関係のない事であったり。勝手に湧き出る思考がたくさんあればあるほど、思考の渦に飲み込まれてしまっている状況にすでにあるかもしれません。

”今”この瞬間に意識を向ける、ことができないくらい思考が渦巻いている時は、一歩離れて自身を見てみましょう。
俯瞰視する事です
そういう自分がいるという事だけを、評価をせずに見てみましょう。

大切なことは、自分が今、思考の渦に飲まれてしまっているということに
気づくということです。

そういう状態で、流れに逆らいながら”今”をみつめようとすることは
マインドフルネス瞑想ではありません。

マインドフルネス瞑想はあくまでも、
”今”起こっている事そのものを感じ、
ここにいる事を認識することです。

よく瞑想の講座の中でも、雑念が多すぎて集中できなかった、という意見を頂くのですが、マインドフルネスの概念的には、今までそういう状態であったことにすら気づいていなかったのであれば、その部分に気づけたという事だけで瞑想の効果は十分だと言えます。

マインドフルネス瞑想は苦痛の中、
無理やり浄化させるために行うものではありません。
雑念や渦巻く思考にとらわれすぎている事すら否定するものではありません。そういった思考も自分自身から生まれる大切な感情です。

思考とは自分自身であり、自分自身の生きてきた価値観の完成体です。

思考の渦に飲まれている時は、ただその量が多く自分の中で受容や整理がされていないということです。

それに気づくことこそ、マインドフルネス瞑想です。
そんな自分を、ただ見つめ、判断をせずに感じること。
それこそが自己受容、自身を認め受け入れる事に繋がります。












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