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到底納得できなくて。支援を使いやすくする「お悩みハンドブック」をつくった話―① #孤独 #孤立 のリアル

はじめまして、佐藤まみです。先日リリースした、支援を使いやすくするウェブサイト「お悩みハンドブック 全国版」の企画・開発をしています🙋‍♀️

いきなりですが、わたしとわたしの家族には、支援の対象となる悩みがたくさんあります。

でもいつだって、必要なときに適切な支援を使えず、事態が悪化してしまうことばかりでした。

あとから「そんな支援があったんだ」と知るたびに、「あのときもし使えていれば…」と、どうしようもない虚しさでいっぱいになりました。

たられば話の、ほんの一例 😶‍🌫️ 💭 
■ もし、わたしが児童相談所に保護してもらえていたら、
・ストレス要因から離れることで、朝から晩までうつ病の症状(自己肯定感の低さ、気分の落ち込み、動悸がするほど不安な気持ちなど)に悩まされずに済んだかもしれない。
・父から各種の深刻な被害を受けず、複雑性PTSDの症状(トラウマ記憶のフラッシュバックや夜中の絶叫など)に悩まされずに済んでいたかもしれない。
・もしかしたら母と信頼しあえる関係で過ごせたかもしれない。

■ もし、母がDVシェルターを使っていたら、
・毎日怒鳴られたり殴られたりする環境から逃れることで、統合失調症にまで苦しめられずに済んだかもしれない。

そうした経験が重なるうちに、「支援は困っているひとのためにあるのに、困っているときに使いづらいのはどうしてなんだろう」と疑問が生じ、いろいろ調べたり考えたりしてみました。

世の中には、個人の努力や意志では対処するのが難しい困難に対して、多種多様な支援が用意されていました。
困ったときに、その時々で適切な支援を使えていれば、状況がより複雑化したり深刻化するのをある程度防ぐことができるようでした。

なのに、さまざまな要因(後述)から、必要なときに支援は使いづらく、運と偶然で場当たり的に支援とつながるしかないようでした。そのために、本来なら避けられるはずの困難が生じてしまう現状がありました。

テレビやニュースを見れば、同じような思いをしているのは私や家族だけではないのは明らかでした。

現状に到底納得できませんでした。誰もが、しんどいときに役立つ支援をかんたんに利用できるようにしたいと思って、この取り組みをはじめました。


***

この連載について

これから数回にわけて「困ったときに支援を使いづらいのはどうして?」をテーマに、これまで当事者として経験したこと、考えたこと、課題だと思ったこと、解決するためにやってみたことを、ふりかえりを兼ねて書いてみたいと思います。

(直近、業務や持病対応タスクが溜まりすぎているため、少しずつ書けていけたら良いな…と思っています)

今回は、「支援使いづらい問題」の当事者として、大変だったことについて書いてみたいと思います。

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#孤独 #孤立 #複雑困難事例 のリアル

ちょっと自己紹介:家庭環境、大変でした
社会的に孤立した閉鎖的な家庭に生まれ、物心ついたころには各種虐待があたりまえの環境で育ちました。父の暴力や怒鳴り声、視線から逃れるため、荒れ始める兆候(飲酒、大声、雰囲気)が現れるたびに、押入れやカーテン裏、屋根瓦の上など、家中を死にものぐるいで逃げ隠れする毎日でした。小学6年からは、統合失調症を発症した母の看病と、妹の世話をしながら育ちました。

🙇‍♀️ 以下、特定の誰かを責める意図はありません🙇‍♀️
当時感じたことをそのまま書いていますが、そのときわたしと関わりがあった特定の個人や組織に対する批判ではありません。

ただ、わたし含め同じ立場にあるひとがこうした経験する要因となってしまう、構造的な負の仕組みは強く憎んでいています。このことについては、また別に書きたいと思います。

当事者として、比較的大変だった時期のこと
その中でも比較的生き地獄だったのが、中高生の頃でした。この頃、母の調子が特に悪く、統合失調症の症状の影響で学校に毎日怒鳴り込みに来ることもありました。授業中呼び出され、母を説得して帰ってもらい、教員室に謝りに行き…家に帰れば、父親のご機嫌をうかがいながら、母の服薬管理、炊事洗濯、母の入院時はお金が足りず、遠くにある激安スーパーまで買い出しにいったりもしていました。

山奥で暮らしていたわけではありません。閑静な住宅街でした。私、母、妹が「痛い」「やめて」「ごめんなさい」と泣き叫ぶ声や大きな音が近所中に響き渡っていたはずです。屋根瓦やカーテン裏に逃げたり隠れている姿は、外からも見えていたはずです。あとで仕返しされるのを覚悟したうえで「助けて、殺される」と叫びながら家の外に逃げたことも何度かあります。

でも、一度だって警察や児相などの公的機関がうちに来ることはありませんでした。「関わってはいけないヤバい家」として20年近く、見て見ぬ振りをされたことになります。

こうした経験は、これまで無数にあります。学校、病院、警察、保健所、自殺対策の相談窓口、親戚、友達……なにか深刻な事情がありそうだと気づいた時点で、距離を置かれたように感じました。

だんだんと無意識に、誰かに助けを求める発想は消え、ひとを心から信じたり、頼ったりすることが難しくなりました。どんなことが起こっても、ただひたすら耐えるしかない、避けたり抵抗しても無駄だという世界観が形成され、「地域」「支援機関」という単語に、なんとなく不信感を持つようにもなりました。

その後、ほんとうに行きあたりばったり、運と偶然で、一つずつ支援を知っていきました。
とはいえ、支援を知ってから利用に至るまでにも、たくさんの壁がありました。その中で、「やはり誰も頼れない」という考えは強くなりました。

世の中にはたくさんの解決手段があること、中には熱意ある支援者さんもいらっしゃること、支援者さんにも大変な事情があること、本当は手を貸したいけどどうすればいいか分からなかったひとがたくさんいてくれたであろうことに気づけたのは、大学に入り実家から離れ、6年ほどの年月が経ったあとのことでした。


続く✍️

<自己紹介:佐藤まみ> 
社会的に孤立した閉鎖的な家庭に生まれ、その後も精神障害や指定難病の当事者として複合的な困難に直面。その時々で適切な支援を使えず苦労した経験から、一人ひとりの状況に合わせた支援を案内するサービスを構想。行政サービスのデジタル変革をする株式会社グラファーに出会い、質問に答えるだけで、悩みに役立つ支援がわかるウェブサービス「お悩みハンドブック」の企画・開発に取り組む。

▼【2023/07/31】ようやく…続きを書けました…! 
Scrapboxに移行しましたmm



\📣イベントのお知らせ/
<開催終了>

2月28日(月)18:30から、これまで個人で運営にも少しだけ関わらせていただいていた、サイボウズ社長室主催の勉強会「障害者の理想の就労環境を目指す夕べ」で、お話させていただけることになりました。
「困った時に支援を使えないのはなぜなのか?」をテーマに、みなさんとお話してみたいです。
無料なので、ぜひ申し込みしていただけたらうれしいです🙌 ✨


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