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学びあいのシェア生活① −自分の殻をやぶって、他者の中にとび込んで見える世界

今回は、シェアハウスでたくさん学んだことについてちょっと語ってみたい。

実家を含む、場所と人を変えながらの30年以上の他者との共同生活は、常に心のトレーニングだった。
異なる価値観を持つ人に出会うことで異なるジャンルに関心も広がり、視点が増えた。けれどその中のでの、共通項があることも感じた。


そんな違いの中で、自分を知るような経験をし続けてきたようです。


それと、とてもとても楽しい日々でもあった。日本でのシェアハウスは優しさと、人生を楽しく彩ろうとする愛に溢れていた。(今はちょっと美化されてるかもしれない笑)


人生は、自分の心と向き合うことで、それまで以上の存在になることを目指していくようなところがあるようにわたしは思っている。

それぞれがどういった場で学ぶか、心の欲求に沿って登る「山」を選択している。それは人それぞれのテーマがあり、生まれ育った家族と上手くやってくことだったり、パートナーと家庭を築くことだったり、会社でチームをリードすることかもしれない。その時々に難所のある山を一人で登り高みを目指したり寄り道をしながら、経験を積んでその人の深みと魅力をましていく。

シェアハウス生活もまた、さまざまな挑戦と経験の機会が与えられる場でもありました。


シェアハウスを選んだ理由は、一人暮らしの初期費用や家賃の面でもリーズナブルだったもあるけど、いろんな種類の考え方の人に出会ってみたかったから。変わった価値をもつ人々に出会いたかったから。

中高校生の時、何を話せばいいか分からず、すごくコミュニケーションが苦手だった。自意識過剰なのに自信もなくて。男子なんてもってのほかで、赤面症で少し話をすると顔が赤くなっていた。


大学の時に、世の中について知識をつけていくうちにネガティブ思考になっていて、自分の思考回路に他者を巻き込みたくないのもあって、全然人と話せなかった。いつも、深刻に考えて苦しくなっていた。

もっと友達と一緒に考えればよかったのかもしれない。でも、その前提として容姿や性格についても自分が好きにもなれなくて、誰に受け入れてもらえるんだろう?っていう八方塞がりだったんだよね。

社会に対する不安を共有できなかったのは辛くてしんどかったし、社会適合できるのかわからないのにわりとたくさんの奨学金まで借りてしまってて、なぜ生きているのかわからなった。心はどん底まで沈んでた。

それでもよかったのは、それで向き合うことを諦めなかった。
基本的には自分の考えすぎることが苦しめているんだっていうことにも気がついている自分もいた。
そんなに引きこもったりしたらもう社会に出られなくなるし、家族に迷惑かけられないって言っている自分もいた。

落ちるところまで落ち、あとは上がるしかないんだと気づいた瞬間だった。

社会に出たら、飛び抜けて特殊な能力がある人以外は、いわゆる日本社会において普通のことが普通にできる人が必要とされるのはわかってて、なんとかしなければと思っていた。

そんな中で、日常的なコミュニケーションってどうすればいいのかわからないし、他の人へは妄想ばかりで自分以外ってどうなっているのか知らなかったので現実世界を知るためのリハビリが必要があって、かくしてシェアハウス生活を始めることになったのでした。

長くなるので、次回に続きますね。

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