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【連載】西洋美術雑感

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西洋美術から作品を取り上げてエッセイ評論を書いています。13世紀の前期ルネサンスのジョットーから始まって、印象派、そして現代美術まで、気ままに選んでお届けします。
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#芸術

西洋美術雑感 40:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「オーヴェールの教会」

ゴッホは僕にとって特別な画家である。かつて上野のゴッホ展で「刈り取る人のいる麦畑」という絵を見て、それによって僕は西洋美術に開眼したからだ。したがって彼は僕の好きな画家というだけではなく、いわゆる人生の恩人であった。僕に、膨大な西洋美術のめくるめく魅力を教えてくれた人、ということになるからである。そんな大切な存在であり、その後自分は、ゴッホに関するエッセイ評論まで書き上げ、そこに、彼の芸術について自分が考えたことをすべて書いた。 その本に書いたことの骨子は、ゴッホという人

西洋美術雑感 37:オーギュスト・ルノワール「ピアノを弾く少女たち」

さて、だいぶややこしい話が続いたので、ちょっと息抜き。印象派を紹介しているのに、このルノワールを出さないのは、ルネサンスを紹介してるのにモナリザを出さないようなものかもしれず、でも、モナリザを出したときも雑談だったっけ、ということで、ここでも雑談である。 ルノワールの絵は、それは自分も見事だと思うけど、僕のガラじゃないといった感じだろうか。 ルノワールの絵をネットで調べてみると、この人、女ばっかり描いているね。しかも、彼に特有な顔つきで描かれていて、肖像画であってもだ

西洋美術雑感 16:マティアス・グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画・磔刑図」

ついでなので、北方の絵画で行くところまで行ってしまおう。この陰惨極まりないキリストの磔刑図は、グリューネヴァルトのものである。 グリューネヴァルトを知っている人はどれぐらいいるのだろう。その特異さのせいで一部に有名ではあるけれど、メインストリームにはやはり乗らないのではないだろうか。時代的には、北方絵画の後年の巨匠であるデューラーと同じである。デューラーは知る人も多いと思うが、あの人の絵が北方ルネサンス後の正統な方向を決めたものだとすれば、このグリューネヴァルトはそこから

西洋美術雑感 15:ヒエロニムス・ボッシュ「快楽の園・地獄」

引き続き北方の絵画から、ヒエロニムス・ボッシュである。 彼の絵は、いまのこの科学とリアリズムが常識な時代から見ると、もう破格に奇妙な絵で、おそらく今の人はこの絵の分類に困ると思う。というか、まず、ここに描かれたおびただしい数の半怪獣みたいな生き物と、奇妙で謎めいた人間の振る舞いについて、これがなにを意味をしているか、という詮索に明け暮れる始末になると思うし、実際、大半がそうなっている。 でも、そもそも、そういう反応を僕らがしてしまう、というところに、僕ら現代人の画一化

西洋美術雑感 14:ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」

さて、北方ルネサンスの画家である。北方の絵画は、僕はおしなべて敬遠ぎみとはいえ、その独特の魅力を捨てるわけにはいかない。この文はただの自分の感想なので好きに言わせてもらうと、北方の絵はとにかく暗い。イタリアルネサンスと北方ルネサンスの絵を並べてみれば、どんなに絵に不慣れな人でも、イタリアはあっけらかんと明るくて、北方は重くて暗い、と答えると思う。 重くて暗いというのもあいまいな言葉だが、もうひとつ言うと、醜い、というのも入る。ところがですねえ、こと芸術の話になるとこの醜い

西洋美術雑感 13:ジョット「聖フランチェスカの死と昇天」

ジョットは僕には特別な画家である。思い出すに、最初にこのルネサンス最初期の画家のことを知ったのはゴッホの書簡集においてだった。ゴッホは、このジョットを、その当時の画家でひとりだけ異なる存在として見ていて、ひとりだけ非常に近代的だ、と言うのである。 その意味は当時の自分にはそれほど分からなかったが、ゴッホから紹介されたジョットということで、画集で見て、のちにイタリアへ行って実物も見て、自分はもちろんジョットを好きになった。しかし、たとえば、ピエロ・デラ・フランチェスカとか前期

西洋美術雑感 12:ピエロ・デラ・フランチェスカ「キリストの鞭打ち」

僕は好きな画家は誰かと聞かれると、このピエロ・デラ・フランチェスカを筆頭に答えることが多い。今回、彼のどの絵を引こうかと思い、いろいろ見てみたが、どうもこれ、といったひとつに絞れず、困った。彼はルネサンス前期の古い画家なので、それほど点数が残っていないのだが、それでも見慣れた絵をいくつも見ているうちに、なんだか分からなくなった。 しまいに、オレは本当にピエロがいちばん好きなんだろうか、みたいに思う始末で、しばらく考えてしまった。でもすごく好きなのだけは確かなことだ。で、おそ

西洋美術雑感 11:カラヴァッジオ「ホロフェルネスの首を斬るユディット」

カラヴァッジオはいわずと知れた巨匠なわけだけど、彼の画布もやはり本物を見るとだいぶ驚く。ただ、カラヴァッジオの描写は極端で、色彩も、デッサンも、劇的なシーンも、明暗の激しいコントラストも、すべてにおいて「強い」ので、それらはデジタルのダメさを乗り超えて残っていて、ひょっとするとデジタルでも分かりやすい絵なのかもしれない。 しかし、カラヴァッジオの実物の画布を見ると分かるが、そのあまりにものすごいテクニックは、本当に驚異的である。 さて、この「ホロフェルネスの首を斬るユディ

西洋美術雑感 10:パオロ・ウッチェロ「サン・ロマーノの戦い」

僕は細々と真面目ブログをやっているのだけど、その記事の中でいちばんアクセス数が多いのが「昔の人がなぜ遠近法で絵を描かなかったか分からない、という発言はなぜおかしいか」なのである。 遠近法が現代のわれわれの感覚に染み渡ってしまった様子は、ほとんどまともとは思えないレベルだ、というのが僕の考えなのだけど、おかしなことに、絵を描くときは遠近法、当たり前じゃん、って言う人も日ごろの生活では、遠近法に沿っていないデザイン画の中に暮らしていて、特になんの違和感も持ってない、ということだ

西洋美術雑感 9:フランシスコ・ゴヤ「パラソル」

マドリッドのプラド美術館へ初めて行き、ベラスケスの女官たちのあまりのもの凄さに呆然としたのだが、そのまま放心状態で、そこを出て、なにはともあれ順路に沿って部屋から部屋へ歩いていた。次へ連なる部屋には、ムリリョやリベラ、といったスペインの巨匠たちの絵が掛かっており、すべて素晴らしい絵だったのだが、ぜんぜん目に入って来ない。わずかに、ムリリョの描いたマリアの白と青が破格に美しかったのを覚えているが、それでも上の空だった。僕の感覚はあのベラスケスのたった一枚の絵で完全に飽和してしま

西洋美術雑感 8:フランソワ・ブーシェ「褐色のオダリスク」

そのむかし西洋絵画に夢中だったころ、自分のメインの興味は不気味なゴヤだったり、行き過ぎたリアリズムのカラヴァッジオだったり、前期ルネサンスの奇妙な宗教画だったり、いろいろだったのだが、おしなべて自分は奇妙なものやシリアスなものや、なんか、こう深刻で高尚な芸術にあこがれがあり、そういうことについて語ることが多かった。 これはまたのちほど書くつもりだが、僕が西洋古典絵画に惹かれるようになったのは、上野でゴッホの絵の本物に初めて出会ったのがきっかけだった。そこで僕はまず、彼の一枚

西洋美術雑感 7:シモーネ・マルティーニ「寺院で見つかったイエス」

実は僕はイタリアルネサンス最盛期の芸術が苦手である。画家でいえば、ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロがいちばん有名だと思うが、そりゃあ奇跡的なほど美しいことは分かっても、どうしても自分のネイチャーと合っていない。ヨーロッパの美術館へ行くと、このルネサンス期の絵画がこれでもか、と掛かっているが、だいたい素通りしてしまう。 なにがダメかというと、僕には健康的過ぎるのである。 ところが、これが前期ルネサンスとなると、ひょっとすると自分が西洋古典絵画でもっとも好きな画家はそこ

西洋美術雑感 6:レオナルド・ダ・ビンチ「モナリザ」

「モナリザ! 出た!」みたいな反応しかできないほど、おそらく世界でもっともよく知られた画布である。言わずと知れたレオナルド・ダ・ビンチの絵で、これはパリのルーブル美術館にある。これを出したのは、絵画について書いていてちょっとくたびれたので、くだらない無駄話しようと思って、これにしてみました。 ルーブルへ初めて行ったのはだいぶ昔の30年以上前だったけど、このモナリザも、そのころはそれほど激しい注目を集めてはおらず、もちろん観光客は絵の前にたむろしていたけど、よくある有名な絵の

西洋美術雑感 5:ヨハネス・フェルメール「レースを編む女」

出すのは気が引けるぐらい、フェルメールはすごく人気のある画家になったね。なぜ特別にフェルメールなのかは、よく分からない。彼の名前を、僕はずっと昔にゴッホの書簡集で知った。レンブラント、フランツ・ハルスらと並んでフェルメール。なにせ同じオランダの画家だから。 数えるほどしかない彼の作品はどれもすごい出来なので、なにを出せばいいか、と思うけど、この「レースを編む女」にしてみました。これはルーブル美術館にあるけっこう小さな絵なのだけど、実物を見て、これには参った。 この絵はひと