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西洋美術雑感 12:ピエロ・デラ・フランチェスカ「キリストの鞭打ち」

僕は好きな画家は誰かと聞かれると、このピエロ・デラ・フランチェスカを筆頭に答えることが多い。今回、彼のどの絵を引こうかと思い、いろいろ見てみたが、どうもこれ、といったひとつに絞れず、困った。彼はルネサンス前期の古い画家なので、それほど点数が残っていないのだが、それでも見慣れた絵をいくつも見ているうちに、なんだか分からなくなった。

しまいに、オレは本当にピエロがいちばん好きなんだろうか、みたいに思う始末で、しばらく考えてしまった。でもすごく好きなのだけは確かなことだ。で、おそらく自分は、彼の絵に共通して現れている、なんだか正体が不明なその空気のようなものが好きなのだろうな、ということになった。逆に個別の絵を取ってみると、彼の絵はさまざまに変化していて、絵の表面だけを見るとはっきりしたタイプが特定しにくい。

でも、やはりそこにはいつも、ピエロ・デラ・フランチェスカというなんとなく恍惚とした空気が満ちている。

というわけで、どの絵を出せばいいか困るのだが、ここでは彼の絵の中でおそらくもっとも有名で、かつ、もっとも謎めいたこの絵を出してみた。「キリストの鞭打ち」である。

この絵についての記録は残っておらず、これまで諸説入り乱れ、いったいこの絵でピエロがなにを描こうとしたかは分かっていない。しかし、一見して特異な絵であることは分かる。主題である鞭打たれるキリストはなぜか左の奥の遠くにいて、一方、右半分に大きく描かれた三人の男が主役のように前景にいて、あたかも鞭打たれているキリストなんか関係ない、みたいな様子をしている。

もちろん、この当時、絵の中にパトロンを登場させるのはよくやられていて、ピエロの他の絵にも、いくつか出てくる。しかし、パトロンの姿は、ふつうはメインの宗教的出来事になにかしらかかわった姿で描かれることが多く、この絵のように、まるで知らんぷりした状態で書かれることは、あまり無いのである。というわけで、この三人はいったい誰なのか、あるいは何を象徴しているのか、という果てしない詮索が始まるわけだ。

僕はそういう謎解きで絵を見ない人間なので、そっちはわりとどうでもいい。では、なにが、自分をいちばん惹きつけるのか。

まず、左側のキリスト劇の空間の、完全に幾何数学的な透視図法が目を引くが、よく見ると右側の空間にもそれはきちんと及んではいる。しかし、真ん中の白い柱と床のストライプのせいでそれが分断されているように見える。加えて右の人物の奥の建物のところには青空と木々の牧歌的な雰囲気がある。この、鞭打ちと、無表情な三人の男と、牧歌的な風景、という、なんだかおよそ互いに無縁に見えるものたちが、透視図法的な空間の中に、奇妙なだまし絵のように同じ場所を共有している。その、互いに関係ないのに一緒にいる、というのが、自分にはたまらなくいいのである。

実はピエロの他の絵も、だいたいほとんどが、なんというか、まったく奇妙に孤立した複数の人物や物が、同じ空間を共有しているように描かれて見えるのである。いったいこれはなんなのだろう。そして、なぜ、それにここまで魅了されるんだろうか。

ただ、現代的な意味で、非常にシュールレアリスティックな絵である、というのは言えていると思う。自分はシュール、好きだしね。

Piero della Francesca, "The Flagellation of Christ", 1455, Oil and tempera on panel, Galleria Nazionale delle Marche, Urbino, Italy


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