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西洋美術雑感 13:ジョット「聖フランチェスカの死と昇天」

ジョットは僕には特別な画家である。思い出すに、最初にこのルネサンス最初期の画家のことを知ったのはゴッホの書簡集においてだった。ゴッホは、このジョットを、その当時の画家でひとりだけ異なる存在として見ていて、ひとりだけ非常に近代的だ、と言うのである。

その意味は当時の自分にはそれほど分からなかったが、ゴッホから紹介されたジョットということで、画集で見て、のちにイタリアへ行って実物も見て、自分はもちろんジョットを好きになった。しかし、たとえば、ピエロ・デラ・フランチェスカとか前期ルネサンスの自分の好きな他の画家たちと比べて、特別にどうだったかというと、その絵画にそれほど引っかかるものはなかったのである。それでも好きなので、自分にとって特別、というわけだ。

フィレンツェのウフィツィ美術館へ行くと、その最初の広い部屋に、三つの聖母子像のテンペラの絵が掛かっている。どれも高さ3メートル以上ある大きな絵で、真ん中に聖母子、その周りを天使や聖者たちが囲んだ、同じ主題で描かれた宗教画である。まず、チマブエ、そしてドゥッチオ、そしてジョットの三枚だ。いわば時間順に並んだこの三枚は、まさに中世の夜明けに立ち会っているような印象を受ける。彼らはこの順で、年齢が十歳前後ずつ若くなってゆくのである。

ジョットは、それまでの中世のキリスト教絵画の厳密な慣習に基づいた極度に形式化された絵画に、現実の観察に基づくリアリズムを明確に取り入れた最初の画家で、その後のイタリアルネサンスへの道を開いた人なのである。そういう意味であまりに偉大な画家で、ゴッホのいう、一人あまりに現代的、というのもまさに定説通りである。

このジョットが出てから、僕らが見慣れたルネサンス盛期の絵が出てくるまで、百年ほど前期ルネサンスの時代が続く。そして実は、そこでの画家たちには、中世の古い精神とリアリズムによる近代精神の、まだ、こなれていない混合や、精神的な意味での屈折のようなものが見えるのである。

しかし、このジョットは、時代的には前期ルネサンスの最初期で、そのスタイルは明らかに古い中世を引き継いでいるのにも関わらず、なぜか、他の画家たちに感じられる屈折した感じがまったくなく、むしろ、前期ルネサンスのあとの、たとえばレオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロのようなルネサンス盛期の画家たちの健康さを持っているのである。そういう意味で、その時代において一人だけ周りと違っていて、驚く。

僕は前期ルネサンスのその奇妙なアンバランスさの愛好者で、ルネサンス盛期になると均衡が取れ過ぎて興味が薄れてしまう、そういうタイプなので、ジョットは実を言うと苦手の部類に入るはずなのだが、ジョットだけは別格である。

前置きが長くなったが、ここには僕の好きなジョットの画布のひとつを上げた。「聖フランチェスカの死と昇天」である。やはり何よりも最初に、ここに現れている非常に人間的な悲しみの強さを見るべきだと思う。こういう感情表現は中世には皆無だったのである。加えて、天上の天使を見上げる左の人や、聖人の聖痕に手を差し込んで本当かどうか確かめている人も描いている。

ジョットは、宗教的な物語シーンの中の人間たちの、悲しみ、怖れ、怒り、のような純一な強い感情を描き出したが、決して、その単一の感情を強調するために意図的に舞台を整えて描くような、ルネサンス盛期以降に常に行われた絵画における美化をしなかった。その物語に必要な脇役的なものがあれば、それが絵の全体の調子を壊そうがお構いなしに、ふつうにそこに登場させた。

その様子が、いかにも率直で、飾りが無く、しかし不思議とそれにより絵の神秘性も壊れていない。自分は、そのまるで、私は揺るぎない敬虔な信者なのだから、絵の上で何をしても大丈夫なのだ、と言わんがばかリのその大胆さが素晴らしいと思う。

Giotto, Death and Ascension of St Francis, 1325, Fresco, Basilica of Santa Croce, Florence, Italy


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