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西洋美術雑感 14:ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」

さて、北方ルネサンスの画家である。北方の絵画は、僕はおしなべて敬遠ぎみとはいえ、その独特の魅力を捨てるわけにはいかない。この文はただの自分の感想なので好きに言わせてもらうと、北方の絵はとにかく暗い。イタリアルネサンスと北方ルネサンスの絵を並べてみれば、どんなに絵に不慣れな人でも、イタリアはあっけらかんと明るくて、北方は重くて暗い、と答えると思う。
 
重くて暗いというのもあいまいな言葉だが、もうひとつ言うと、醜い、というのも入る。ところがですねえ、こと芸術の話になるとこの醜いというのは十分に魅力になるどころか、必須と言ってもいいものになる。もっとも、醜いっていうのも、美しい、という基準があって醜いなので、じゃあ、美しいっていう基準はどこのなんのことを言っているのか、と突っ込まれれば返す言葉はないのだが、少なくとも自分にとっては、美醜を合わせ持つものが芸術であって、それははっきりしている。
 
というわけで北方ルネサンスはまず暗い。そして醜い。しかしそれゆえに異様な魅力を持っていて、自分としては淫靡という言葉を使いたくなる一種の狂気のようなものがある。やはり寒い所というのはそういうものなのであろうか。イタリアにはこういう狂気は皆無だと思う。もっと南のギリシャになると今度はソクラテスとプラトンだ。もう、北方の濁って重くて淫靡な暗さなど、とっくに蒸発してかけらもなく、正真正銘ゼロである。その古代ギリシャの精神がイタリアで噴火して、それでイタリアルネッサンスなのだ。明るいに決まっている。
 
この絵は北方ルネサンスの巨匠のヤン・ファン・エイクの描いた室内肖像画である。見ての通り、この画布には陽気なところがかけらもない。それにしても、このほとんど偏執狂的なリアリズムが、イタリアの前期ルネサンスのあのあっけらかんとした幻想的な絵のころと同じ時代だ、というから驚く。この執拗な細部の描き方、布や家具を始めすべての物体の表面素材の正確な再現、完璧に表現された間接光、厳密な透視図法は正面の凸面鏡の中の描写にまで行き渡っていて、全体にほとんど異常な細密さ、と言いたくなる。
 
この絵がなんかおかしい、と見えない人の感覚を僕は疑ってしまう。こんな空間では人は息ができないし、その息苦しさをさらに助長するような、この描かれた商人の夫の冷たさ怖さ真面目さ、そしてそれに蹂躙されることを予感するような妻の可憐なひ弱さ、といったものに、やはり僕は北欧というものの元来の姿を見てしまう。いくらその後、あれこれ上書きしたとしても、北方というのは、こうなのだと思ってしまう。
 
悪い事ばかり言っているが、こと芸術の場合、これらは僕には褒め言葉である。抗いがたい魅力があると思う。ファン・アイクは北方ルネサンスの初期の画家だが、この後に続く画家たちは、このノリを引き継ぎ、次々と奇妙な画布を生み出してゆく。それはもう僕にはめくるめく幻想に見える。
 
やっぱり、人間、明るくてあっけらかんとしているだけじゃ、だめだね。

Jan van Eyck, "The Arnolfini Portrait", 1434,  Oil on oak panel of 3 vertical boards, National Gallery, London


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