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西洋美術雑感 5:ヨハネス・フェルメール「レースを編む女」

出すのは気が引けるぐらい、フェルメールはすごく人気のある画家になったね。なぜ特別にフェルメールなのかは、よく分からない。彼の名前を、僕はずっと昔にゴッホの書簡集で知った。レンブラント、フランツ・ハルスらと並んでフェルメール。なにせ同じオランダの画家だから。

数えるほどしかない彼の作品はどれもすごい出来なので、なにを出せばいいか、と思うけど、この「レースを編む女」にしてみました。これはルーブル美術館にあるけっこう小さな絵なのだけど、実物を見て、これには参った。

この絵はひとことで言って、なんというか、催眠術系の絵に思える。見ていると、頭が空っぽになってなんだかあっちの世界に行っちゃう感じ。

で、これは僕の場合だけど、その「あっちの世界」ってどこか、と言うと「宇宙」なんだよねえ。この小さな絵をルーブルで至近距離で見ていたら、なんだか、宇宙空間を連想して心がそっちへ行っちゃうの。というのは、フェルメールの絵というのは、画布のところどころに光の点をほぼランダムに置くでしょう? それがまず宇宙の中の星に見える。それで、このレースを編む女だけど、そうなると、この左側に流れ落ちている、白と赤と青のレースの糸がまるで宇宙で起こっている大爆発の末に溢れ出す光束の激しい滝のような流れに見えたりする。

女がレースを編んでいる、超平凡な風景はなんかのカモフラージュで、実は宇宙の無機質なエネルギーの爆発を描いているように見えたりする。自分にとってフェルメールの絵はそういう感じのものが多い。

それから宇宙の他にもう一つ。彼の画布はものすごく静かで派手なところがなく平凡な風景なのだが、そんな中間色な柔らかな光の中に、いきなり原色を配置するのだよね。この絵ではそのレース糸の白、赤、青だし、アムステルダムにあるミルクメイドという絵では、胴着の黄色と前掛けの青だったり、とにかくすごく純度の高い色を塗る。なぜ、これが絵の静けさを壊さないかまったくに不明なのだが、完全に調和している。それでこれを見ると自分には今度は色分けされたどこかの世界地図が連想されたりする。

宇宙だ、地図だ、ってまるで奇をてらったような見解を書いていて、ちょっと心苦しいのだが、これはたぶん、フェルメールの絵というのは、見ている人が、なにかぜんぜん違うあっちの世界の視点に強制移動させられて、そこから眺めているように感じられるように描かれているからかも、しれない。

しかし人はなんで進んでそんな催眠術にかかりに行くんだろうね。でも、そのあっちに行ってるときの時間って、とっても気持ちがいい。そのときは分かってないけど、あとから思い出すと。

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Johannes Vermeer, "The Lacemaker", 1669–70, Oil on canvas, Louvre, Paris

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