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西洋美術雑感 9:フランシスコ・ゴヤ「パラソル」

マドリッドのプラド美術館へ初めて行き、ベラスケスの女官たちのあまりのもの凄さに呆然としたのだが、そのまま放心状態で、そこを出て、なにはともあれ順路に沿って部屋から部屋へ歩いていた。次へ連なる部屋には、ムリリョやリベラ、といったスペインの巨匠たちの絵が掛かっており、すべて素晴らしい絵だったのだが、ぜんぜん目に入って来ない。わずかに、ムリリョの描いたマリアの白と青が破格に美しかったのを覚えているが、それでも上の空だった。僕の感覚はあのベラスケスのたった一枚の絵で完全に飽和してしまっていたのだった。

そんな状態で細長い部屋を通り抜け、角を曲がったら、そこがゴヤの部屋だった。そこには、ゴヤが宮廷画家になる前に描いた、タペストリーのための下絵を油絵で描いた絵がたくさん掛かっていた。

なにも考えず機械的に部屋へ入り、目を上げてこれらを見たときのショックをいまも覚えているが、反射的に、これらの絵は狂人が描いた絵だと思った。そのとき自分は若くもあり、まったくに無防備で、それゆえにいわゆる「やられる」状態になっていたのだろうが、それにしても衝撃は激しかった。

前回、ロココのブーシェの絵を出したが、実は、この初期のゴヤはそのロココに強い影響を受けた画風だったのである。色彩はまさにロココだと思う。極めて美しくて、官能的な色彩である。それで、そのタペストリーの下絵はすべて当時の風俗を描いたもので、奇妙な主題を描いたものじゃない。ここに出したのは「パラソル」という絵であるが、ごくごくふつうに、美しい貴族の女が野外にいて、風が強いので、優男がパラソルで風をよけてやっているところを描いただけである。

ところが、ショックを受けている自分には、この絵が怖くてたまらず、どうしても異常な絵に見えてしまうのであった。

なんでこの女の顔をこんなにあからさまな逆光に置くのか。膝の上の犬はペットの狆だろうが、この狆の大きな目と、女の目はあきらかに呼応していて、おそらくこの狆は犬ではなく邪悪な小さな怪物だろう。そして左から吹く強い風はおそらく狂気であろう。もし、この仮面のような優男がこの表だか裏だかはっきりしないパラソルをどけたら、きっとこの女は即座に恐ろしい怪物に変身するに違いない。

などなどと、妄想が広がるのであった。これはそこにあった絵のほとんどに言えていて、すべてが不気味で、恐ろしい絵で、どう考えても主題が示す牧歌的な絵に見えない。

いま思い出すと、こういうのは、自分の精神状況が作った特異体験だと思うのだが、そのとき自分はほとんどゴヤの絵画を知らない状態で臨んだので、後年の彼の悪魔的主題は知らず、それでもショックを受けたわけだ。なので、やはり、ゴヤという画家は、もともとそういう奇怪なものをどこかに持っていて、初期の絵にそれはすでに表れていて、それを、たまたまベラスケスの絵のせいで異常にセンシティブになった自分が検知して、反応したのだと想像する。

そして、この自分も、おそらくなにかしら同じものを持っていると想像してもいいと思う。目の前の対象とおよそ全く異なる、なにか奇怪なものをそこに見る、ということ、そういう性質が自分にもあり、ゴヤの絵は自分にそれを語ったのだと思う。そして、それに気づくには、おそらく特異な精神状態が必要だったのだろう。

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Francisco Goya, "The Parasol", 1777, Oil on canvas, Museo del Prado, Madrid, Spain


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