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西洋美術雑感 11:カラヴァッジオ「ホロフェルネスの首を斬るユディット」

カラヴァッジオはいわずと知れた巨匠なわけだけど、彼の画布もやはり本物を見るとだいぶ驚く。ただ、カラヴァッジオの描写は極端で、色彩も、デッサンも、劇的なシーンも、明暗の激しいコントラストも、すべてにおいて「強い」ので、それらはデジタルのダメさを乗り超えて残っていて、ひょっとするとデジタルでも分かりやすい絵なのかもしれない。

しかし、カラヴァッジオの実物の画布を見ると分かるが、そのあまりにものすごいテクニックは、本当に驚異的である。

さて、この「ホロフェルネスの首を斬るユディット」であるが、なんといっても注目は、首を斬りおとしているユディットのむちゃくちゃ特異な表情であろう。ユディットの物語は典型的な主題で、多くの画家が描いているが、こんなユディットを描いたのは彼だけなのである。以下は僕の見立てで、これはおそらく人によってだいぶ変わると思うので、それはちがーう、という人、悪しからず。

まずユディットの顔は「いやだー! うそー! 気持ちわるーい!」という嫌悪の表情と、「なんで私がこんなことする回り合わせになっちゃったのよお」という悲しい表情の混合に見える。ユディットは若くて美人で、体つきなども若さにはちきれんばかりで、腕の筋肉なんかも若い女性的にたくましく、ほれぼれする肢体である。一方、右の婆さんの表情には迷いが1ミリもなく、「そうじゃ、切れ、切り落とすのじゃー!」と斬首に雑念抜きで集中している。つまり、このユディットの斬首作戦は、若い美しい本人と婆さんがコンビで初めて成立しているのであって、したがって物語を伝えるためにこの醜い婆さんは必要なのである。

世の解説などを読むと、このユディットの表情は、嫌悪と強い決心という相反する感情を表していて秀逸、と解説されていることが多いが、僕にはそう見えない。というか、この若い娘、日本ならさしずめ渋谷かなんかにいる女の子とさほど変わらなく見える。

実際、カラヴァッジオの絵をたくさん見ると分かるが、たとえば古い物語や聖書を主題に取っておきながら、そこに描かれる人物は、実際に当時そのへんに実在していたあんちゃん、おねえちゃん、じーちゃんばーちゃんをモデルにしているとしか思えないのである。実際、このやり方は時に不評を買うことがあり、たとえばマリアのモデルに娼婦を使ってみたり、やりたい放題をしたせいで、発注主から納入作品を突き返されたりしたことがだいぶあったらしい。

カラヴァッジオという人は、実際はとんでもなく人騒がせで、酒を飲んで喧嘩ばかりしている傲慢な天才で、彼は自らが持つとんでもなく完璧な鉄壁の絵画テクニックにたのんで、やりたい放題なのである。すなわち、聖なる物語に、俗なモデルを当て、それを恐ろしく完全なテクニックによって無理やり結び付け、強引におそるべき傑作に仕立てていた、という風に思える。

そういう意味で、カラヴァッジオは作風の点でバロック芸術の完成者である、とかいうよくある解説は、ぜんぜん表面的で、いかにも学者が立てそうなつまらない話なのであり、彼は、その極端な明暗を合わせ持つ自らの特異な精神を、天才の技術で強引に画布の上で融合して具現化した人で、もうこうなると画家というよりは、一種の軍事的英雄に近いと思えるのである。

そんな彼だもの、女も、男も、夢中になるよね。で、僕もそのひとり。

Caravaggio, "Judith Beheading Holofernes", 1598-1599, Oil on canvas, Galleria Nazionale d'Arte Antica, Rome, Italy


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