林 晄史

会社員をしながらシナリオライターなどをやっています。カクヨムにて「この想いになんと名付…

林 晄史

会社員をしながらシナリオライターなどをやっています。カクヨムにて「この想いになんと名付けようか」を連載中https://kakuyomu.jp/works/16817330647811851545

最近の記事

電飾

ちいさな駅に飾り付けがされていて、迎えにきてくれるたびに、楽しそうに喜んでいる。電飾がきらめいていて、2人の世界には背丈に応じて、ぼくより大きな感動があふれているのだろう。 子どもたちの愛らしさに癒され、またぼくも感動する。ありがとう。 笑顔を隠して、帰りを促して、2人をチャイルドシートに乗せた。無人駅が、ぼくたちを見送った。

    • 秋夜

      私に誇りがあるとすれば、少々、ニヤつけるノートを持つ時だろう。重みというには軽いけれど、何とも面映ゆくも心地よし。時折、忘れては気ままに筆任せ。そんな積算がぼくという人生を構築する。その事実が理解される秋夜だ。正直でいて誠心に思えるからかな。

      • すきなひとのバンドを聴くのは

        35thのアルバムを、妻はきいている。DISKごとに系統が分かれているようだ。その内のDISK4は、よい曲がまた多くて、いいねと言ったらXでも今、きいてるって声が多いと。 毎年、ライブを行ってきた。アルバムもたくさん出していた。甘やかされていると、他のバンドファンから言われる。本当に愛されたバンドなんだな。 密室、形而上 流星の2曲は、前もきいたし歌ってもくれたから、ぼくもすきだな。 好きな人のバンドを聴くのは、ちょっぴりわかち合えたようでうれしいね。

        • 仕事が変わる

          最後の日。菓子折り下げて出社。入社時の説明と異なる業務について、半年が経過。上層部のミスにより、仕事がなくなったため、配属先の変更となった。けれど、次の配属先も入社時に受けた業務内容ではない。幸い、次の配属先の稼働日までは内勤扱いとなった。嘘がなければ、ではあるけれど。 やさしく、つよく、おもしろく。ほぼ日の社員ではないけれど、ぼくはこの信念で働いている。そこに会社が応えてくれるかどうかは関係ない。 さて、準備だ。準備が足りれば、自ずと境遇は変わるだろう。はずれくじを持っ

          さみしい夜にはペンを持て

          さみしい夜にはペンを持て、を読了した。20日に読み終えて、22日に手帳に感想を書いた。それから少しでも紹介したくて、noteに書いている。 この本の素晴らしさは内容はもちろん、本の装丁やページの色や文字のサイズ、挿し絵、どれもが心地よく読み進められるように作られているところだろう。電子書籍で読む機会が増えていたから、紙で読む喜びを存分に楽しめた。ページをめくるたびに、手が心地よいのも、たまらなくよい。 本は苦手とする妻にも、初めて読むのを勧めた。読んでくれるとよいなぁ。ま

          さみしい夜にはペンを持て

          6/14。23:20

          今朝もお姉ちゃんとかわいい幸せな時間を過ごした。とても幸せな気持ちで働いて、帰りもダッシュで帰宅。お姉ちゃんが風呂から出てこなかった。どうしたの? と聞くと、ぱぱを待っていたという。一緒にでて、そのまま眠るまで一緒。妹もだっこしたり踊ったりかわいい。明日も定時ダッシュで駆け抜けたいぜ! ピヤホン4を忘れて、iPhoneに付属していたイヤホンで久々に聴いた。聴き込んでいたから、しっかり低音が響く。入れっぱにしておいてよかった。雨の中、気にせず、共に走ってくれた。 今夜はトロイ

          庭にどろぼうさんがいた

           帰り道を10分ほど走ると1時間早い電車に乗れることに気づいてから、毎日、走っている。走るのに慣れていない38歳は汗みどろとなって、電車にある。この甲斐あって、最寄りの駅に辿り着くと車で迎えに来てくれる日があった。妻と娘2人、家族総出である。昨夜、その車内で聞いた話だ。  ボケとお姉ちゃんが言うと、そんなキレイな花の名前を誰に教えてもらったん? と妻が尋ねた。しばらく考えた後に、どろぼうさんに教えてもらったと答えた。 「どこにいたの?」 「庭で逆さまになってたの、それから

          庭にどろぼうさんがいた

          22:58

          字が汚いのは思考の速度に追いつかないとのツイートが回ってきた。例えば、私はスイカが好きだ、と書きたい時、わを書いてる時に思考が好きだにいっている感じだ。その方はパソコンで文字が打てるようになって助かったと言っていた。本当にその通りだ。 けれど私は手帳を書いている。やはり汚い字で。それでも書きたいのは、手帳が少しゆるりとする機会だからではないか。思考が早いのもメシが早いのも何か考え動きたくなるのも素晴らしいけれど。それでも緩やかな時間に魅力を感じたのではないだろうか。この数年

          書き流し

          自分の見つめる世界が開けるタイミングは不明だけど、見つめていないと機会を逃してしまうのだろうね。 日常の中で、いつでも見つめているのって大変そう、緊張しっぱなしやん? みたいに思うけど、逆かもしれません。緩めるほどに、ぼーっとするほどに、自然体な自分に近づくことができて、そこからはよく見えるのだろうな。 人という生物は、好奇心という欲を満たすために進化したという説があるけれど、人は何かを探し続けることが本能で運命づけられているのでしょう。わからなくなったらあがいても何して

          子どもは柔軟

          子どもは柔軟なんだ。朝の支度をやめてテレビを観る、おねえちゃん。幼稚園に行くなら支度、休みなら言ってというと、行くといったそばから、またテレビに夢中。 ここで怒るのって大人だけかも。間に合う? と素直に心配するのが子どもかも。言い換えれば上からか、対等か。子どもは大人の下で生きてはいないんだ、当たり前だけど。子どもは自らの判断で、いつでも自らを信じて生きている。そのサポートをするのが大人だ。 だって、ぼくが大人になってから求めてやまない理想が、子どもは自然とできている。ト

          子どもは柔軟

          ほんもの

          ほぼ日手帳を見返すと、一年前のぼくは古賀さんの本を書写したり体操したり、育休の最中でも、自分なりに研鑽をしていたようだ。今日は新しい職場の研修です。 最近、日課となっている早寝早起き。今朝は「どうする家康」「ヴィンランド・サガ」の最新話を観た。家康では、松山ケンイチが演じる本田正信。今年も配役が良いけれど、抜きんでてよいと感じる。「時に殿」と献策して去るところが、表情も含めて、すでに正信らしいなって思える。今までは渋い俳優が配役されていたけれど、ぼくの中で本田正信は松山ケン

          ほんもの

          マーティンと共に

          今朝は一晩、眠れた。久々だ。これほど熟睡したのは何年ぶりだろう。起床し、お茶を飲んで、体を解して、noteに向き合った。クラプトンのロックダウンセッションを聴きながら。allマーティンで演奏している。粒の細やかな美しい音色だ。tears in heaven が流れている。 ダルビッシュ有さんって、左でも投げられる。バランスを大切にしているそうだ。右で投げられる球種を左でも投げられる。これは書くのを左でもと考えて、時折、ちょっぴりやっているぼくには少し納得できた。そういえば糸

          マーティンと共に

          鈴虫の鳴る世界

          秋の風物詩で思い浮かぶのは中秋の名月だ。 あのマクドナルドが月見バーガーを出すのだから、多くの日本人もまた同じように月を思い浮かべるに違いない。 ぼくの通勤路は街灯の少ない、山道が続く。草もいっぱいで、山の斜面いっぱいにのびている。 この草たちを人の手で、どうにもできない。 家の庭という小さな場所での草むしりすら、どうにもできないんだ。1本の草と共に、ぼこりとえぐれた地面を放っておくと、次の日には群れを成した小さな草たちが現れる。 何の話だったか、そう、草いっぱいの山

          鈴虫の鳴る世界

          悲哀

           8月6日は、広島の日だった。ぼくは悲惨さを感じていながらも、無関心であった。調べるのが恐ろしく、ただ戦争への忌避はあった、  戦争とは何か。敗戦とは何か。この心を何と言えば良いのか。  ぼくは、今回、その感情を恥であるとの文が刺さった。 読むたびに、刺さる言葉は違うのではないか。けれど、一年に一度が精一杯だ。  帰宅したら、娘が絵を見せてくれた。 ぱぱ、まま、妹と順番に紹介してくれた。それぞれ、シチュエーションも交えてくれて、よくディティールされていた。  姉として

          視覚だけの記憶

           先日、なおぽんさんが夏の匂いのnoteをあげていた。  情景が思い浮かぶnoteに感心しながらも、ぼくは匂いの記憶が思い出せずにいた。  小学生の頃の、今でも鮮明に覚えている記憶。 草が光り、夏の青さに照らされ、フェンスを置き去りにする。  なんてことない日。 それが、毎年、夏になるたびに思い出されるのだ。  ぼくの記憶は、写真のように視覚だけが残っている。 初めて暮らしたマンションで迎えた冬に、めずらしく雪が積もった。  妹と二人で喜び走り回ったはずだが、そこに

          視覚だけの記憶

          自分に嘘はつかない

           ぼくはわかりやすい言葉にこだわりすぎていた。  自分の気持ちを捨てて書いていては、自分の心から離れた言葉になるのは、当然だよなぁ。  だいたい相手にわかりやすいと決めつけて、言葉をチョイスするなんて、傲慢でひとりよがりな思想だ。  自分に嘘はつかない。読みたいことを、書けばいい。  この本と高井さんのnoteで、書く敷居は格段に上がった。そして急激に下がった。  現時点での自分にとって、読みたいものを書けばいい。そう折り合いをつけると、何とか書けるようになった。

          自分に嘘はつかない