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字が汚いのは思考の速度に追いつかないとのツイートが回ってきた。例えば、私はスイカが好きだ、と書きたい時、わを書いてる時に思考が好きだにいっている感じだ。その方はパソコンで文字が打てるようになって助かったと言っていた。本当にその通りだ。

けれど私は手帳を書いている。やはり汚い字で。それでも書きたいのは、手帳が少しゆるりとする機会だからではないか。思考が早いのもメシが早いのも何か考え動きたくなるのも素晴らしいけれど。それでも緩やかな時間に魅力を感じたのではないだろうか。この数年、仏教で言う中道や瞑想に関心が高かったのも、フラットさや日常から離れて自己の本質を感じられるからだろう。

習字をする時は、ジャポニカ帳に大きく書く。そこではゆるりと書けるようになった。手帳サイズでも同様になれば、精確に字を書けるかもしれない。思考は変化する。早くに慣れていても、疲弊すれば止まる。数ヶ月に及ぶ時もある。それでもぼくは書いた、考えた。書くのが好きだから。心地よい思考の速度を探ってもよいのかもしれない。

生き方は自由で自在という。ならば心地よくあれるように、メシを食べるのに必要なことさえ呑んで、楽しくにこやかに機げんよくある方が、きっといい。いよいよ近づく、新しい職場を前に緊張して、その思いを書こうとしたけど、もっと楽しいことが書けたと思う、嬉しいな。こういう文章を発信する。小説でも、ツイートでも何の形であれ、きげんいいなぁ、楽しそうだって、自分がファンとなる字列を奏でていたいね。

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