マーティンと共に

今朝は一晩、眠れた。久々だ。これほど熟睡したのは何年ぶりだろう。起床し、お茶を飲んで、体を解して、noteに向き合った。クラプトンのロックダウンセッションを聴きながら。allマーティンで演奏している。粒の細やかな美しい音色だ。tears in heaven が流れている。

ダルビッシュ有さんって、左でも投げられる。バランスを大切にしているそうだ。右で投げられる球種を左でも投げられる。これは書くのを左でもと考えて、時折、ちょっぴりやっているぼくには少し納得できた。そういえば糸井さんも左ではみがきなんてしてたな。

ぼくは保育園のとき、左利きだった。当時は右利きに直すとされていたし、実際に左利き用の道具は少ない。お姉ちゃんが左利きで、幼稚園に通い始めてから、道具を揃えるのに苦労している。ぼくは右利きであってよかったと思う。少し左利きに憧れてもいる。ジミヘンとか、秋山澪ちゃんとかいるし。

そんなちょっぴりな憧れは、小学校のときに少し満たされた。アイススケートで転倒して右手首を負傷して、しばらく左で生活したことがあった。ぷるぷるの字で書かれた1ページは授業中の1コマとして、喜びと自信として刻まれている。人は好奇心という欲を満たす為に進化した説があって、ぼくはこの話が好きだ。よくもわるくもで、それでこそ人だと思うから。

元左利き(覚えてない)は、字は右手で消しゴムは左手という所で少し残っている。投げるのもやろうと思えばできる。もちろん使っている時間が少ないから、しょぼい。それでも字を左で書くことや、ダルビッシュ有さんの話は、心惹かれるんだよね。

左で字を書きたいと思ったきっかけに、お姉ちゃん(娘・長女のことね)が左利きで気持ちが知りたいってのがあって、まぁ、興味は尽きない。好奇心の上位に入っているんです。万年筆だと力をかけすぎずに書けるから、ちょうどいい。しかしなくても困らないものでもあるから、継続あるいは時間をかけるのも難しい。これはやりたいこと上位にあるギターにも共通している。やることや優先順位にどうしても容量が割かれるから。

先日、糸井さんが機能にこだわっている世の中といった話をされていた。まさにそうで、こうした趣味や無意味にこそ、価値がある世界もあって、ぼくが好きな世界なんだ。ぼくの欲は、この世界に常駐できることだ。そしてこの書いてる時間が、けっこう好きなんです。

こういうのを書くのは、「ぼく1人で分かっていればいい。誰かに言うもんじゃないって。」思っていた。でも、これが誰かの心に引っかかったり、面白いやんってなったりするんなら嬉しいかも。そう思います。


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