僕のこれまでの歩み・そしてこれから実現したいこと|ビジネス投資家 林周平
はじめまして、林周平です。
この記事は僕に興味を持ってくれた方に対して、自己紹介をするために書いています。
僕が現在どういうことをやっているのか
これまでどういう経緯があったのか
これから何を行っていきたいのか
これらを知ってもらうことで林周平という人物を少しでも立体的に捉えていただき、一緒にビジョン実現に対して行動する仲間が増えたら嬉しく思っています。
僕が現在取り組んでいること〜スモールビジネス型のビジネス投資と経営塾〜
僕は現在、スモールビジネス専門のグロースハックスタジオFIELD-Xの代表として中小・零細企業の成長支援を生業としています。また、ビジネス投資家として10社のグループ企業の経営に関わっています。
他の言葉でいうとエンジェル投資家であり、ベンチャーキャピタルです。特徴は一般的な事業投資だとお金を提供するだけですが、僕の場合は資金だけでなくビジネスそのものをガッチリと支援していくスタイルなので、あえて『ビジネス投資』という言葉を使っています。
僕の投資スタイルでは、これまで培ってきたノウハウ・スキーム・人材・ネットワークなどを総動員して、ビジネスに投資をします。つまりお金だけでなく、林が持っているビジネス自体を投資するようなイメージです。実際に僕自身が手を動かすことも多くあります。
また、他の投資家やベンチャーキャピタルとの一番の違いは、スタートアップ型ではなくスモールビジネス型の立ち上げにフォーカスしている点です。
なぜ僕がスタートアップではなくスモールビジネスに興味があるのか?
僕がスタートアップ型ではなく、スモールビジネス型に興味があるのか、というと、23歳で始めて起業してから、これまで色々な事業を経験した中で、僕がやりたい事はスモールビジネスの方だと気づいたからです。
スタートアップとは、新しい技術で未来の産業をつくるチャレンジをするために資金調達を前提にした起業のことです。
今はスタートアップバブルとも言える時代で、ニュースでスタートアップの名前を聞かない日はないほどバズっているキラキラしたキーワードです。
国も国策として「スタートアップを増やすぞ!」と力んでおり、起業家は「スタートアップで稼ぐぞ!」と夢を持っており、投資家は「スタートアップに投資したい!」とみんな思っています。スタートアップが資本主義の最先端にある領域であることは間違いありません。
しかし、僕は正直あんまりスタートアップに興味がありません。
ですが、正直に言うと、僕もかつては自分がスモールビジネスをやっていることがコンプレックスでした。自分の事業ドメインが周りと比べて小さいことがなんとなく恥ずかしいと感じた時期がありました。
そして、スタートアップのようなキラキラしたワードに憧れて、VC(ベンチャーキャピタル)に入って、十数個の事業を立ち上げたりしました。
でも、実際にそういった事業をやってみると、何か浮ついた感じがして、自分の中で違和感があったんです。
その違和感とは「足元の売上を作ろう」「目の前の相手を喜ばせよう」という当たり前の話が無視されて、赤字になってまでユーザー獲得に過剰投資をすることを投資家が資金供給で支えている構図です。
また誰がそのサービスを欲しいのかよくわからないようなアイデアに優秀な若者たちが一攫千金を夢見て突っ込んでいく状況にも、どうしても違和感を感じてしまいます。
とは言っても、かつての僕もスタートアップを夢見ていました。それだけ資本主義の魔物的な魅力がそこにあるのもわかります。なんとなく「スモールビジネス」という言葉自体にダサさも感じていました。
しかし、今なら声を大にして言えます。
「スモールビジネスはダサくない!」と。
色々と経験し、回り道をしてきたからこそ、自分自身がやりたいのはスタートアップではなくスモールビジネスだったんだと気がつきました。コンプレックスを感じていたスモールビジネスこそが、資本主義に流されずに自分らしく豊かなビジネスを作る方法だと、気づいたのです。
僕が興味を持っているのは、スタートアップではなく、スモールビジネスです。
金融の文脈ではSMB(スモール&ミディアムビジネス)という分類になります。
日本には380万社の会社があり、99.7%は中小企業であり、そのうち75%が従業員10名以下の企業です。
一番多い売上規模は3000〜4000万円で、中央値は1億円です。
要は何が言いたいかと言えば、日本の足元を支えているのは年商1億円以下の小さな会社なのです。
起業家のほとんどは中小企業を興しており、その殆どが年商3000〜1億円程度なのが実態です。
これは僕がこれまで生きてきた中で出会った肌感とも合致します。
中小企業のビジネスモデルは、単月黒字を積み上げて、資金繰りを回して、事業を堅実に成長させていきます。
・売上がなくてもユーザーが獲得できればよい
・資金がなくなっても外部から調達すればよい
・急拡大しないとバリエーション(企業評価)が下がる
などのスタートアップとの考え方とは真逆です。
技術革新がなくても、困っている人に手を差し伸べることに価値はある
目新しい話じゃなくても、毎日誰かを幸せにしている
急拡大できなくても、安定した雇用を安心して生み出している
有り余るようなお金は無くても、自分で作った利益で自立している
そんなスモールビジネスって地に足がついていて素敵だなと、僕は感じます。
でも、スモールビジネスと言えばなんとなくダサく聞こえてしまうのも今の時代です。
実際に、僕もかつては「周りの人がキラキラとしたスタートアップで活躍しているのに、なぜ僕は・・・」と、スモールビジネスにコンプレックスを抱えていましたし、かつての僕のようにスモールビジネスがダサいと思ってしまっている人も多いと思います。
どちらも体験し、回り道をしてきて、「スモールビジネスの方がカッコいい」と心の底から思えるようになった僕だからこそ、今後の人生は、「スモールビジネスはダサくない!素敵なんだ!」と旗振りをしていきたいのです。
現在、事業投資をしている会社は10社。すべて年商1億円以下のスモールビジネスです。(もうすぐ超えそうですが)
それぞれ、社員数名の小さな会社ですが、それぞれが自立し、障がい者雇用や、障がい者の子どもを持つママさんの支援など社会問題の解決に挑んでいたり、念願だった自社ブランドを立ち上げ自分自身の夢や目標に向かって努力していたり、それぞれ着実に前に進んでいます。
決して大きくは無いですし、世の中のスタートアップに比べると地味に見えるかもしれませんが、これって素敵なことだと思いませんか?
上ではなく、前に向かって着実に歩み続ける、そんな世界観が僕は好きです。
小さくても幸せに満ち溢れたスモールビジネスを僕は、世の中にたくさん作っていきたい、そしてそんな僕の考えに共感してくださる方と一緒に力強く行動していきたいと思っています。
2022年8月に経営塾をプレオープン!
スモールビジネスをもっともっとサポートしていきたい、という想いで8月にプレオープンし、始めたのがグロースハックアカデミーです。
元々僕は、グループ会社の代表向けに週に1回、研修会を行っていたのですが、色々な方にお会いして、僕のビジョンなどをお話する中で、共感していただける方が増え、幸いなことにグループ会社以外の方からも「ぜひ、参加させて欲しい」というお声をいただくようになったのです。
それであればと、グロースハックアカデミーをオープンしたのが、経緯です。
グロースハックアカデミーは『スモールビジネスに特化した事例からノウハウを学ぶ』をテーマにした経営塾です。
2022年8月にプレオープンし、クラウドファウンディングを行い、2022年11月から公式オープンしました。クラウドファウンディングではネクストゴールも目標金額の179%を達成することができ、たくさんの方々に支えられ支援いただきスタートをすることができました!
今は、これからどんな仲間に出会えるのか、その仲間とどんなやりがいのあるビジネスを創っていけるのか、ワクワクしています。
僕のこれまでの経歴〜スモールビジネスの事業投資家に行き着いた経緯〜
僕が、スモールビジネスの事業投資家として人生を歩んでいこうと思ったのは、過去に23歳に起業してから、色々な人と出会い、色々な経験、失敗を重ねてきたからです。
自分なりに必死にもがき、葛藤し、本当に自分のやりたい事はこれだ、と気づけたからこそ、今僕はスモールビジネスの事業投資家として、世の中に幸せに満ち溢れたスモールビジネスを世の中にたくさん作っていきたいと心の底から思っているのです。
ここからは、僕がどんな出会いや経験を得て、スモールビジネスに行き着いたのか、その経緯についてお話したいと思います。
人生で一番暗かった会社員時代
高校生の頃に社長になりたいと思っていたこともあって、大学の時に起業の準備として学生団体を作り、中小企業経営者にインタビューしてPodcastで経営哲学を配信する活動を行っていました。
当時から倫理法人会や中小企業同友会のような経営者団体に学生なのに出席しました。そこで取材先を探していたわけです。もちろん学生でそんなところに潜り込んでいる人はおらず、謎の優越感を感じたりもしていました。
そうやって知り合った経営者たちに「将来社長になりたい」と話すと、みんな「営業をやっておけ」と言うのでそういうもんだと思って、営業志望で就活をしました。
ちなみにこの頃に神田昌典さんの著書「口コミ伝染病」を読んで、将来はマーケティングコンサルタントになりたいという夢を持っていました。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのあったソフトウェア開発のベンチャー企業にエントリーしたら受かり、しかも年収が550万円スタートだったこともあって、深く考えずにその会社に入社しました。
そしてすぐに独立のきっかけが訪れました。営業志望で入社したもののシステム開発に配属されてしまったのです。
ある日「君は製品開発本部の配属になったから、このプログラミングの本を読んでがんばってね」と言われプログラミングの本を渡されました。元々パソコンが苦手だったこともあって、1ミリもプログラミングに興味を持てず、次のキャリアをすぐに考えました。
「次は転職はないな〜」と思い、この際独立しようと。けど、独立の飯の種がなかったのです。この頃は会社を辞めたくて辞めたくて仕方ありませんでした。(人生で一番暗い時期でした)
手探りで掴み取った、最初の売上5万円
なにかやらないと何も始まらない。そこで思いついたのが、パソコンを教えるボランティアでした。元々パソコンが苦手だと言っても、開発会社で研修を受けている身なので普通の人よりは詳しくなったので、初心者になら、僕にも教えられるんじゃないかと考えたのです。
たまたま参加したセミナーで隣りに座っていた事業家の方にボランティアのことを話すと「気に入った!僕のメルマガで紹介してあげよう!」と紹介してくれて、あっという間に土日の予定が1ヶ月分埋まりました。
ボランティアを初めてみて、すぐに飯の種が見つかりました。行った先々で「ところで君はホームページは作れるか?」と聞かれたのです。
当時、ホームページの作り方を知らなかったのですが会社の同期に聞けばわかるだろうと思って「もちろん作れますよ」とハッタリをかまして5万円で受注したのが僕の最初の売上です(笑)。
帰ってすぐに同期に連絡して、ホームページの作り方を教えてもらいました。
そうして「ホームページを月に1〜2件受注できたら生きていけるんじゃないか」と思い、無事に会社を辞めて独立することができました。
この頃、2011年。僕は23歳でした。
「SNS活用」から始めたコンサルティングビジネス
独立した当日にゼロからスタートや!と思って、髪の毛もゼロからスタート。つまり坊主にしました。
ちょうどFacebookが日本に入ってきて、中小企業の経営者たちが「Facebookというのがどうやら凄いらしい」と騒いでいる時代でした。僕はmixi世代なのでSNSは肌感で理解できましたが、オジサンたちには「Facebookでコミュニティをつくるってどういうこと?」「いいねって何?」とさっぱりわからない様子でした。
これに商機を感じた僕は「Facebookをビジネスに活用しましょう!」というテーマを掲げ、経営者のオジサン達にアプローチしました。
セミナーや飲み会に顔を出したり、旅行に一緒に行ったりして、初めての顧問契約も取れました。
初めての契約書は印鑑をどこに押せばいいのかわからず、途中まで相手をチラチラ見ながら進めて、結局最後には教えてもらったりもしました。
契約書の製本テープも「カッコいい」という理由で黒色のテープを貼っていました。それくらい何もわからないまま社会に飛び出しました。
著者プロモーターとして活動開始!ビジネスのベーススキルを身につけるきっかけに!
次の転機になったのは、とある著者との出会いでした。
その方が読者コミュニティを作りたいと思っていたこともあって、Facebookに強そうな若者である僕を成功報酬でパートナーにしてくれました。
この頃は本当に何から何まで調べて実行しました。なんせ、元々僕は何の知識もノウハウもない中で独立していて、外注するようなお金もなかったこともあり、進めば進むだけ出会ったことのない壁にぶつかる状態でした。
この頃に、ウェブマーケティング、SNS運用、広告運用、オウンドメディア、ゴーストライティング、セールスライティング、動画編集、セミナー企画・集客、司会、営業、会場手配、講座の講師など、ビジネスに必要なベースとなるスキルを身につけることが出来ました。
この頃の武者修行があって今の自分がいるので、自分のスキルベースを作った貴重な期間となりました。
余談ですが、この頃にセミナーで同席していた方と最近会ったときに「あの頃の林君は空気も読まずに狂ったように講師に質問をしていた」と言われました。それくらいわからないことだらけで何でも吸収しようとしていました。
その甲斐もあって、マーケティングスキルが身についてきました。
ある時、その著者の講座の受講生に「事務局の林さんのセミナーも聞いてみたい」と言われました。まだ自分には早いんじゃないかと思いましたが、その言葉が純粋に嬉しかったこともあり、試しに一回セミナーを開催してみました。それが次の転機になりました。
初めてのセミナーにヒントを得て、マーケティングコンサルタントとして活動!法人化!
恐るおそるやってみたセミナーだったのですが、ものすごく評価を受けたのです。
(こう言うと生意気ですが)僕が思っていたよりも、自分のスキルは世の中で通じるらしいことがわかりました。これは成功報酬という厳しい環境でもがきまくっていたからこそだと振り返って思います。
そしてマーケティングのセミナーを自ら行うようになり、コンサルティングもはじめました。この頃は26歳。学生の頃の夢である「マーケティングコンサルタントになる」が思ったよりも早く叶いました。この頃に法人化し、初めて1人雇いました。
自分が関わってきていた著者や講座運営のようなコンテンツビジネスを対象に、商品作り、マーケティング戦略立案、実務執行までをトータルサポートしていました。
これも360度実務をやってきていたからこその強みでした。
営業兼コンサルタントを自分が行い、社内にはデザイナー・ライター・広告担当などを雇用していきました。
自分のビジネススキルが市場で通じる実感があったので、「みんなで俺を支えてくれ!」というスタイルで、まさに1人社長型の極みのような組織を作っていきました。
僕が全部考えて、決めて、細かく指示して、今思えば社員のことを一人前のビジネスマンとして扱わずにアシスタントとして見ていました。
自宅の一室で始めた法人でしたが、あっという間にタコ部屋状態になり、初めて神楽坂のオフィスビルにも移転。
この頃から、組織化や仕組化を強く意識するようになりました。
手前味噌ではありますが、当時は業界ではそこそこ目立つ存在になれていたこともあって、目線は次のステージに向いていました。
一定の成功を収めるも、自分の中に芽生えた違和感。はじめての壁がM&A挑戦のきっかけに!
しかし、社長である自分に依存した会社経営になっており事業として機能していないことにモヤモヤし、自分が稼いだ分を社員に渡している感覚にイライラして、毎日疲れていました。
この頃は周りからも「最近愚痴が増えたけどどうかしたのか」と心配されていました。
ここで23歳で起業してから初めて立ち止まりました。壁に思いっきりぶつかった気がしました。「果たして今自分がやっている事業は本当にやりたいことなのだろうか」と。
良く言えばわらしべ長者として、悪く言えば自分の意志ではなく、目の前のチャンスをひたすら掴んだ結果そこに立っていました。
事業がそこそこ上手く行っているからこそ、このまま進むとより今の延長線上に人生を固定されてしまう。その人生は自分が望む道だろうか?と自分に問いました。
メンターから頂いた一言がきっかけにもなり、結論として会社ごと辞めることにしました。自分の人生を変えるには今しかないと。
そうして会社の株式を譲渡して企業売却を行い役員を退任しました。これが初めてのM&Aの経験となりました。
この頃、僕は29歳でした。30歳を手前に1つのケジメをつけることができました。今ではこの時の判断は正しかったと思っています。
事業バイアウト後の挑戦①〜右も左も分からない状態で0から挑んだアパレル事業〜
そして、次なる船出です。とは言っても、何をするかは決めずにフラフラいろんなことをやろうと思いました。
有名な経営コンサルの先生に気に入ってもらったこともあり、一緒にコンサルチームに入れてもらって中堅企業のコンサルの現場も経験させてもらいました。
この頃にやってみたいと思ったことは「ものづくり」と「海外のビジネス」でした。
この2つのキーワードは、僕の中で未経験のまま行くわけには行かない、と思いつつも、自分自身が全く未経験の未知なる分野という事もあり、距離を感じていたキーワードでした。
ものづくりに関しては、僕が当時は身長167cm体重47kgと極度な細身体型で、何を着てもダボダボになってしまう悩みがあったため、自分の悩みを解決するために細身のメンズブランドをやってみようかと思いつきました。
アパレル業界の知り合いは1人もいなかったのですが、そのビジョンを出会う人に語りまくっていたら、前の会社のクライアントのクライアントになんと小さいサイズ専門のメンズブランドを運営してる人がいました。しかも、なんとも奇跡的なタイミングでその運営者はアパレル事業を辞めようとしていたのです。
ブランドコンセプトにとてもシンパシーを感じて、話し合いをさせていただき、アパレルブランドを事業買収させていただきました。
これが初めての買収経験となりました。
全くの未経験でのものづくり業界への参入だったので、右も左もわからずいろんなことが勉強になりました。
アパレル業界に関してバイトの経験すらない僕がいきなりパターンナーさんや生地屋さんと打ち合わせをするわけです。「この生地とこの生地、どっちがいいですか?」とか言われても正直全然違いがわからなかったりでした(笑)
経営の面でも、原価のことを「下代」ということも知らなかったし、卸売の掛け率の基準値もわかりませんでした。「OEM」という言葉はもちろん知っていても、実際の発注の流れや生産がどう進んでいくのかも想像がつきませんでした。
また、今まで無形のコンテンツビジネスの経験しかなかったことから、有形で在庫を抱えるビジネスモデルも初めてでした。今までは何も知らないくせにどこかで聞いた知識として「在庫を持つのはダメだ」と言っていましたが、なんと世間知らずだったことか。在庫は宝なんだなと知りました。
他にも事業展開の感覚も全く異なりました。今までの無形の事業では売上が倍々で伸ばせたのですが、アパレルはなかなか伸びませんでした。
生産のリードタイムがあるのでいきなり売上を大きく出来なかったことと、広告の費用対効果が合わずにグロースさせるエンジンが思うように作れなかったのです。
こんな、言われてみると当たり前のことでも、実際に体験してみると全くわかっていないもんだなと気が付きました。この頃から「無知の知」の感覚を自然に持てるようになり、何事も体験を持って学ぶ姿勢が強くなりました。
バイアウト後の挑戦②〜事業投資に挑戦!上手く行かなかった経験が今の原点に!〜
同じくこの頃から事業投資を始めました。
始めは、知り合いに事業プランと資本金を渡して、社長をやってもらったことがきっかけです。
事業投資という感覚もなく、「コンサル費をもらう関係じゃないし事業をやらせてみるか」という軽い感覚でした。
やってみて気がついたのが『事業投資はコンサルの上位概念』だということでした。これは今でも自分の指針になっています。
コンサルをやっているときは、セッション中はクライアントのことで頭が一杯になって、「もっとこうしたらいいのに」とか「今度こういう提案持っていこう」とか思うのですが、いざセッションが終わったら全くクライアントのことが頭からなくなっていました。
そしてまた次のセッションが来ると「あーそういえばこうだった!もっとこのあたりを指導しなきゃ」と思い出しても、結局時間が終わるとそこでおしまい。もっと介入したくても稼働したところで原価率が高まってしまうので動きづらい。
そうこう言っている間に契約が終わってしまうと、お金の切れ目が縁の切れめになってしまいます。
まだまだ教えたいことがいっぱいあるのに、契約が終わればそれ以上立ち入れないのがコンサルタントの悲しいところです。
一方で事業投資の場合は、株主とは言ってもイメージ的には役員くらいの距離感で案件と関わっているため、長期的に支援し続けることができます。
短期の成果を気にしなくても長期的なビジョンを一緒に追いかけられるので、足元の稼働単価なんて気になりません。
僕にとっては、長期間の関係性を前提に好きなだけ支援し続けられる事業投資の方がやりがいを感じられました。
念願の海外ビジネス参入でぶつかった2つ目の壁!
30歳を手前にして、自分の人生を変えようと思い会社を思い切って売却してアパレルや事業投資などにチャレンジしてきたわけですが、意外なことに人生が全く変わりませんでした。
なぜなら、以前とは違うことをやっているとは言え、ほぼ同じようなメンバーで、同じような雰囲気でビジネスをしてしまっていたのです。
それに気づき、やはり何か会社を上場させるぐらいの大きなことを何人かで目指すぐらいしないと自分の手癖パターンからの脱却や、人生を変えるのは難しいのかもしれないと思いました。
そこで、当時僕の友人の中で、一番勢いのあった友人に連絡し、何か手伝えることがないかを打診してみました。
この友人は元々いろんな事業をやっていたのですが、ある時仮想通貨ビジネスに参入して、あっという間に業界の中枢(海外)に食い込んで、あっという間に財をなしている姿を横目に見ていました。
仮想通貨に対して胡散臭いなという気持ちと、ついこの間まで一緒に東京で飲んでいた彼が、毎日のようにFacebookにドバイやらシンガポールやらでの外国人とのパーティーをアップしていて、そのキラキラした投稿を見て羨ましいなという気持ちが心の奥底にありました。
久々に彼と会えばいつも新しいテクノロジーの話と未来の話をしていて、まさにスタートアップでした。
仮想通貨の本質は何なのか。世界から見て日本はどう見られているのか。ブロックチェーンがどのように世界を変えるのか。
「既存の金融エコシステムを潰す」とまで確信した未来を見ている彼の話には、確かな希望を感じさせる力がありました。
彼が受け入れてくれたこともあって、僕は自分の会社は片手間で継続しながらも、その彼のシンガポールの会社のVC(ベンチャーキャピタル)のボードメンバーとして入ることになりました。
僕は代表である彼の懐刀として、各案件のプロジェクトマネージャーの役割で、案件組成、チーム集め、座組、プロダクト開発、マーケティングと営業の立ち上げなどを担当しました。
代表がビジョンを語り、事業責任者を連れてきて、資本を渡し、僕がプロジェクトマネジメントをするようなチーム体制です。
いろんな案件やビジネスパートナーが次々と現れるため、この時はとても刺激的でした。
新規案件が同時に何個も立ち上がって、それぞれのプロジェクトチームを組んで、僕は横断してマネジメントに入っていました。
月に1回はシンガポールを中心に飛び回り、タイ・ベトナム・韓国にもよく行きました。
仕事仲間は百戦錬磨のビジネスマンばかりで、出会う人が全員「あの案件の人なんですね」という感じで名前がわかるような人ばかりでした。
代表の彼は「経営者」というより「スタートアップ起業家」という感じで、とにかくスピード優先の結果主義者でした。
「人を時間をかけて育てる」という発想がなく、「できる人を連れてきてやらせる」という発想でチームを組んでいました。
彼の渉外活動力は超一流で、強い人をどんどん連れてきてくれました。
しかし、彼の誘いに乗って来る人は「短期的に稼ぐこと」が目的なので、誰も「どういう会社にしたいか」や「どんな事業を展開したいか」には興味はありません。
僕は全く真逆な人間で、短期的に稼ぐ量よりも長期的な会社作りをしたいですし、何をやるかより誰とやるかが大事なタイプです。
「未来の市場がこうなるから」とか「法律が変わった今がチャンス」とか、そういう外的要因から逆算するような考え方に全く興味が湧きません。
それよりも「目の前にいる仲間と何かできないかな」や「このサービスがもっと広がればこういう展開もできるな」という足元の延長線上で未来を捉えています。
ある時、僕が中心的に立ち上げていた案件で、僕が「高いサービスレベルを保つためにカスタマーサポートを充実させよう」と社内で旗振りをしていたときに、パートナーから「林さん、はっきりさせたいことがあるんですが、僕たちはいい会社を作るために集まっているんですか?そうじゃなくて稼ぐために集まっているんですよね?なぜそんな無駄なことばかりやるんですか?」と言われて驚いたときがありました。
その人は光回線を日本一売ったことがあるようなゴリゴリの営業系の人だったので、僕が見ている世界観とは全く異なっていました。要は「サポートなんて無くても売れるし、利益率が下がるから辞めてほしい」という意見でした。
この時ハッとして、「そうか、僕は正論を言っているつもりだったけど、このチームでは違ったんだ」と反省しました。
それまで僕は社内で「他社のクオリティが低いからこそ、ウチはクオリティを高く保って業界でポジションを取ろう」というの旗振りをしていたのですが、それは僕の個人的に趣味嗜好であり、チームの世界観から大きく乖離してしまっていました。
これはこれでビジネスマンとして反省なのですが、一方で僕は自分の意見を押しつぶして仕事を続けられるほど器用ではありません。
このチームで続けることはお互いの人生のためにならないと思い、その後チームから立ち去る決断をしました。
このスタートアップ的なチームでの経験はとても大きな経験になりました。
自分で自覚できていなかった考えを顕在化することができました。
僕はスモールビジネス的な考え方を持っていて、結果よりもプロセスにこだわりを持ちたくて、何をするかよりも誰とするかが大事なのです。
結果よりもプロセス、何をするかよりも誰とするか、「稼ぎたい」よりも「やりがいがある」が僕は大事!
ここで少し僕の考えに話しを移します。
スタートアップを否定している訳ではありませんが、僕は最近流行っているスタートアップの考え方があまり好きではありません。
「事業規模がこれくらいあるからこういうビジネスが成り立つ」とか「これくらいの時価総額が狙えるから参入する」とか言われても、正論なのですがあんまり心に響きません。
同じく、過度な結果主義者も好きではありません。
成功哲学的には「プロセスよりも結果にフォーカスしている人が結果を出す」ということが一般的ですし、僕の経験則からしてもそれは事実です。
でもそもそも「結果(売上や利益)が出ている方が成功」という成功の定義自体に僕は違和感があります。
僕は今の生活に困っているわけでもなく、ビジネスをやる理由は「稼ぎたい」ではなく「やりがいがある」です。
世界中で人類が豊かさを手にしている今、僕と同じような感覚を持っている人は増えている気がしています。
話を戻しますが、このように自分の考えがより明確になった貴重な経験をさせてもらったVC(ベンチャーキャピタル)のチームを抜けたのが31歳の頃でした。
さてこれからどういうビジネスをやっていこうか、と。
収入は3分の1になり、毎月赤字でしたが、不思議と焦りはありませんでした。
なぜなら自分の中でブレなさそうな軸が出来ていたからです。
その頃は個人としては社会との接点がほぼなかったので、何から初めていいかわからずにいろんな本を読んだりしていました。
というのもそれまではSNSも完全に断っており、Facebookも数年間ログインしておらず、Twitterもやっていませんでした。
リハビリのように自分の顔で情報発信や収集をしはじめ、久しぶりの人とも会ったりして、半年かけて決めていったのが今の僕の事業投資家としての道でした。
事業投資家としての活動を本格的に開始〜フィールドエックスグループとして約10社を経営
僕は今、フィールドエックスグループという約10社グループを経営しています。(”約”というのは、新しい案件の話もあれば、ほぼ撤退している案件もあるため)
最大の特徴は『人の可能性をデザインする』という理念を元にした、人ドリブンな事業方針です。
目の前のチャンスを追い続けて、あるとき立ち止まって会社を辞めたこと
僕が描いた事業企画を人に無理やりやらせようとして失敗したこと
強い人と仕事をした結果、世界観がかけ離れていたこと
スタートアップよりもスモールビジネスが肌に合うこと
こういった僕の経験から、「事業計画」ではなく「起業家」を軸にビジネスを捉えています。
例えば、僕のグループ会社に株式会社トビバコという会社があります。
この会社の代表は、元々は僕が売却した会社の契約社員だった人物です。
なぜこの会社を作ったかと言えば、彼が発達障害ぎみで社会人として生きることに苦労していたからです。
超絶マジメにもかからず、毎日遅刻してしまい、作業時間の見積もりが出来ず、納期が守れず、弱みにつけこまれてこき使われて、挙句の果てに騙されまくって借金まみれでした。
彼の努力が足りないのではなく、純粋に「一般的に社会人に求められるバランス能力」が苦手なのです。
彼の強みはマジメにがんばるところ。あとSEOライティングの腕前は一流で、集中力も常人離れしています。
しかし、弱みも正直言えばたくさんあります。例えば精神疾患がある人は体調も不安定であることが多いのですが、彼も月に1回は必ず倒れて業務ができなくなります。
一般的には「自己管理しろよ!」となりますが、彼にとってはある程度仕方がないのです。
彼の強みが生かされて、彼の弱みが気にならなくなるような方法がないか検討し、起業して自社メディアを立ち上げることを提案しました。
理由としては納品型の仕事でなければ自分のペース(急に集中力のスイッチが入ったり、急に倒れたり)で仕事ができる。しかも彼の強みであるSEOライティングを活かせる。
さらにはそこで同じように一般的な社会人が難しい人たちに対して雇用を埋めたら、彼と同じように社会の生きづらさに苦しむ人達の受け皿にもなる。会社から見れば採用戦略になる。
そのチャレンジの資金として資本金を出資し、始めたのが株式会社トビバコです。投資といえばたいそうな聞こえですが、たかが100万円の話です。でも彼にとってはその100万円とチャレンジできる環境は人生を変えるほどの大きな機会になりました。
始めの4年は何をやってもうまく行かず、泥水をすするような下請け案件も受けまくってなんとか生き延びていました。その中でノウハウも強化され、パートナーも開拓でき、5年目にして初めての正社員を雇用することができました。
しかも、記念すべき第一号社員はオンラインでしか会ったことがない精神障害者です。
一般的な会社では考えられないような話かもしれませんが、彼自身が僕から受けた弱みではなく強みを活かすチーム作りをそのまま継承した結果です。
この正社員の方はとても優秀な人材で、今では会社を支える重要な役割をになってくれています。
他の会社でも、アパレル事業にモデル応募で来てくれて、バイトの関係から始まったスタッフがいました。彼はパソコンも持っておらず、社会人経験もほとんどありませんでした。
始めはパソコンを買い与えるところから始め、ECサイトの更新など簡単な業務から始め、カメラの勉強をして、イラストレーターやフォトショップを学び、HTMLなどの簡単なコーディングも身につけ、商品の生産の打ち合わせも行い、今では会計までもをできるようになり、事業責任者として育ちました。ここまで成長した期間はわずか2年程度です。
他にも、営業が苦手だった自分が売れるようになったノウハウを広めたいという起業家を応援するために出資した会社もあれば、将来的には自社ブランドを作りたいがまずは受託で稼ぎながら様子をみて始めたいという安全志向の起業家を副業から起業までサポートしている会社もあります。
今では憧れだった自社ブランドもリリースできて、確実に自己実現の道を一歩ずつ着実に歩んでいます。
僕にとっての事業投資の主人公は「サービス」や「商品」ではなく「人」!
今も同時進行でいくつもビジネス立ち上げの話が出ていますが、それぞれの主人公は起業家である「人」です。
その人がやりたいことが何なのか。どういう思いなのか。何をサポートしてあげたらいいのか。
そういうことを一緒に伴走しながら考えて悩み、共に長期的に歩んでいくための"確かなつながり"として資本連携をしています。投資と言っても金額目当てで僕と付き合っている人はいません。一緒にビジネスをやりたいという気持ちを持ってくれているので資本連携をしています。
なので、事業投資と言っても売却やIPOだけを目的にしているわけではありません。
僕のゴールはその社長の人生が豊かになることなので、そこに僕の事業投資のインセンティブも連動させています。だから制限なくいくらでも応援できるわけです。
僕は、自分が培ってきた経験や能力をこの生き方に費やそうと決めることができました。この道を歩んでいることに誇りを感じています。
僕のように「利潤を生むことだけが企業の存在意義ではない」という考え方をポスト資本主義といいます。
今の資本主義制度に飲み込まれるのではなく、逆にうまく活用して自分の世界観を実現しようという考え方です。
僕が力強く旗振りすることで、希望を感じてくれる起業家もきっといるはずだと確信しています。
ここから多様で豊かなな会社や社会が生まれていくとステキだなと。
塾を通して、世界観に共感しあえる仲間と、やりがいのあるビジネスをしていきたい!
僕はこれから生きていく中で世界観が共感できる仲間を増やしてきたいと考えています。
その仲間とやりがいのあるビジネスを通じて、世界観を実現していきたいのです。
僕はこれまで事業の立ち上げをたくさんしてきたので、特に0→1のノウハウは多く持っています。
そのノウハウを気軽に提供することで、きっと多くの起業家にお役立ちできると確信しています。
起業家が増えることで、経済は強くなります。
起業家が成長することで、雇用は増えます。
起業家が増えることで、世の中の付加価値は循環します。
起業家をつくることは、社会をつくることです。
僕はその中でも画一的な経済指数を追いかけるような既存のスタートアップではなく、自分や社員や顧客などの「人」を大事にする起業家を応援したい。
僕の世界観に合う人が集まるコミュニティになれば、きっとその人にとっても貴重な出会いの場になるはずです。
僕が主催する経営塾である「グロースハックアカデミー」は、表向きには企業成長の支援をする場ですが、その本位は企業という器を通じた「人」の自己実現の支援だと思っています。
僕が旗を振ることで、そこで人が集まり、きっと何かが生まれるはず。
みんなで一緒にビジネスを楽しんで、貢献の輪が広がっていくのであればこれほどやりがいのある活動はないでしょう。
グロースハックアカデミーがそういう場になれば、本当にステキだなと。
まだまだ始まったばかりのコミュニティですが、少しでもピンとくるものを感じた方はぜひ一度こちらの記事をご覧ください。
僕が経営塾で伝えている中心となる考え方をこちらにまとめています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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