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第三十二回「うさぎとかめ」の後日譚 ~囲碁の初段挑戦~


それは何度でも繰り返される

慶びの舞

  2021年の夏合宿までに起きた、我が家の「うさぎとかめのデッドヒート」について三回に渡って書かせてもらった。大学の同窓会ブログの臨時号として気軽に書き始めたのに、うっかり書き過ぎてしまったようにも思うけれど、そこは許して頂きたい。

 子育てするということは、多くの先人たちが言われているように、実は親の方が育てられているのではないかと多くの場面で気付かされる。夫婦それぞれが知らなかった自分の子供時代について、また相方が真に持っている人間性そのものについて、改めて観させられる「出会い直しのプロセス」であるように感じる。ぼくらはそこから何を気づき、学べるのかを問われているような気がしてならない。

 さらに突っ込んで言うと、もう一度その機会が訪れるはずなのだ。それは老人になっていく段階において、幼児化へ向かう「時間の逆戻し」のプロセスをも追体験させられるからだ。

 もちろんこれは子育てや結婚に限ったことではないのだろう。ぼくらは何も無いところから「生」という可能性を与えられ、様々な体験の中で学びを得ながら、「死」へと緩やかに向かっていく。最終的には、色々なものを再び手放していかねばならないのにも限らずに……。

  敢えて大変な思いをしたくないという人もいるだろう。しかし、避けようとしても執拗にその体験の場面は何度でも目の前に訪れる。上手く逃げられたと思っても、時を変え、人を変え、シチュエーションを変えて、同じような何かに向き合わされ、試されていく。そこで何かを選択しなければ前には進めないどん詰まりにぶつかるのがオチだ。

 そういう世界観をもって、映画「人生ごっこ!?」という作品を今から十五年前に撮ったことがある。

 

2008年劇場公開作品 

囲碁で初段という夢

 話を戻して、うさぎとかめの後日談。その結果から報告しよう。兄のくらは10月31日に四戦全勝で初段になった。囲碁を始めて2年と2ヶ月、7歳のことである。(翌年、4月2日に四段へ昇段した)

 一方、歩みの鈍い様に見えた弟のかんじろうは、くらに半年遅れた翌年3月29日に初段、囲碁を始めて2年半、5歳で実現したことになる。(その翌月に三段認定された)

  さて、夢って何だろう。子供たちが碁を始めた四十級だった頃、夢のまた夢だった初段という大目標。初段といえば、全国にあるどの碁会所にふらっと行っても一目置かれる存在である。小さな息子たちが、近い将来そう成りうるかと考えた時、ひいき目にみても到底叶えられるものではないファンタジーの出来事のように思えたものだった。

 その大きな大きな夢への挑戦がいま、目の前に迫っていた。その昇段に向けたあの10月31日のことを記録しておきたいと思う。喜びとせつなさとが入り混じる、余りに衝撃が大きい出来事だったからだ。

 

彼らは何を思考し、打つのだろう

 初段挑戦という夢

  夏合宿のデッドヒートの段階で、くらは3級、かんじろうは6級だった。3級になってから八か月も停滞したままの兄くらと6級にも関わらず互先(ハンデ無し)で互角以上に戦ったかんじろうについては先に書いた通りだ。

そこから二ヶ月で二人はメキメキと実力をつけくらは1級に、かんじろうもひと月後に1級となり「初段挑戦」への権利を得た。年内には初段になりたい、ただその強い想いだけで二人は急坂を登ってきたのだ。

  侮っていたなと感じた。
 まさか本当にここまで来たかと……。

  正直ぼくら親チームとしては「無理してやらなくてもいいんだよ」くらいに思っていたし、この辺が潮目なのかなとも感じていたところもあった。

  ただ今回は、くらには頑張って欲しいと祈る想いがあった。なんとか今年こそ初段の夢を果たすんだと、以前は負けがこむといじける癖があったくらが、何度負けても歯を食いしばって向かっていく姿をみていたからだ。先月の大会でも1勝3敗、先週も負け越していたくら。対して大会になると無類のチカラを発揮する弟のかんじろう。

  前日の夜、子供たちを寝かして日本酒を舐めながら日奈子と語った。今回ばかりはくらが主役で、かんじろうはおまけ程度でいいよねと。最高のケース、最悪のケースなどいくつかのシュミレーションをしながら結論の出ない話をして僕らは眠りについた。

日本棋院の脇にそびえる石の壁

 運命の一日

 本番当日。直前に食べると集中力が上がるとも言われる、温かいうどんを茹でてあげた。「良く噛むんだぞ」と伝えると、「うんっ」と言いながら大好きなうどんを頬張るくらと「汁をつけないでそのまま食べるのがスキ」と手で一本一本取って食べるかんじろう。

玄関で見送ると「行ってきます!」という元気な声を聞き終わる前にドアが閉まる。今、いい顔をしていたよなと思い返しながら、もう自分らには出来ることはないんだなと、逆に緊張感が湧いてくる感じがした。

  運命の組み合わせ。同行している日奈子から携帯メッセージが届く。なんと、恐れていた組み合わせと対戦表がそこには記されていた。

 Aグループ

1回戦:そら 6年生(1級)
2回戦:かんじろう 幼稚園 (1級)
3回戦:かずま 3年生(1級)
4回戦:各グループ全勝者同志

 衝撃だった。この三つの組み合わせは、くらにとって最悪の想定だと僕には思えた。初戦の対戦相手のそらは、囲碁を始めたばかりの頃からの憧れの存在だった。囲碁のルールも良く分からない時から、優しく面倒みてくれる偉大な存在だった。

「9級以上の緑星リーグまで上がってきたら、いくらでも打ってあげられるよ、だから頑張って上がっておいで」

 そらは、サッカーでもバイオリンでも空手でも囲碁でも異才ぶりを発揮するカンの良い子だった。くらが緑星リーグに上がり、多くのハンデをもらいながら何十回とそらに打ってもらったことがあったが、勝ったのは運良く勝てた一勝だけで、大抵はぐいぐいとノータイムで打ち込んでくる勢いにのまれ、いつのまにか大勢が決してしまうようなのだった。

 まさか、ここでそらが出場してくるなんて、想定すらしてなかった。またもや、ここに来て大きな壁が立ちはだかるとは思っていなかった。

 そして嫌なことに、かんじろうと二回戦でぶつかることになっている。くじ運がいいのか悪いのか。本番に強い時のかんじろうは、何をしでかすか分からないから予測不能。
うーむ、困った。かんじろう、頼む!負けてくれ!

 更には、万が一上手くことが運んだとしても、3回戦で天才肌のサウスポーのかずまと当たる。くらは緑星グループに入った頃から、憧れのそらを目標にするのは難しい、だから代わりに、いつもリーグ優勝していたかずまを目指してここまでやってきていたのだった。

何かを取るときは、自然と碁石を掴むカタチになる

  僕は仕事を中断して、思わず日奈子に電話をかける。
トゥルルルルル、トゥルルルルル、なかなか日奈子は電話を取らない。
何度もかけ直してようやく繋がる。

 「日奈子、やばいね。今どんな感じ?」
「うんうん、怖くてわたし見てられないから離れてる…」

やはり、日奈子も祈る想いでいたようだ。電話をしたものの、だからといって何か出来ることがある訳でもなく、僕らの会話はあっという間に終わってしまう。

「日奈子、頼むね…」
「…うん、分かった進捗連絡する」

電話を切って一呼吸置く。

くらは大会で初戦に負ける確率が高い、その後は調子を上げていくタイプだから、なんとか初戦頑張ってくれればと、神に祈るしかなかった。

 奇跡を祈ることなんて親が病気で死んじゃうかもしれない時以来だったから、そわそわが治まらなかった。だから僕は、今日何度上げたか分からないお線香を仏壇に立てて、亡き父親にお願いをした。神の次は、仏様だと、こうなりゃ何でもありだなという感じだった。

 生前苦手だった父親にお願いしたのは他でもない。父はどんな勝負ごとでも負けたことがないような強靭な精神とオーラを持った人だったからだ。

  ブルブルブルッ。携帯から振動が伝わる。
  来たっ!結果はどうなんだ。
  見たいけど見たくない。

 『すごいよすごい!くら初戦勝ったんだよ』

 思わず、何度も画面を見返しながら
『えっ!ほんと?うそじゃないよね」
と文字を打つ。

同時に『かんじろうは、かずまに負けたみたい(泣)」との文字。
そうだろうな、まあそうだろう。
あのかずま相手じゃ、かんじろうの強運でも無理だったか。
と、妙に納得する。

もし、かんじろうが勝ってしまったらそれはそれで凄く嬉しいことなんだけれど、その勢いでくらとぶつかることになったら困る、非常に困るんだよと感じていた。

二回戦、再びの兄弟対決!

毎朝の囲碁:この数ヶ月一緒に打つことは殆どなかった

あの夏の決戦以来、二人は殆ど一緒に打っていなかった。坂道でしっかり脚を貯めて(なんと八か月も)ぐいっと伸びたくらと、じわじわカメの歩みで止まることなく進んできたかんじろうの対戦。

結果はどうあれ、二人が今の時点での対戦で何を感じるのだろう。
言葉を使わない「手談」と呼ばれる囲碁を通じて何を対話するのだろう。
僕らには分からない意識と思考の交流、囲碁を打たない人間には絶対分からない世界があるのだろう。うらやましいなと思う時が僕にはあった。

 『くら、二連勝!かんじろうは二連敗!』

そんなメッセージが日奈子から届いた。
どちらかが勝てばどちらかが負けるそんなことは分かっていた。
分かっていたけど、その碁で起きた物語を聞いてみたいと思った。
気づいたら、僕も会場へ向かって家を飛び出していた。

 

 運命の三戦目


天才肌のかずまの二戦目、当然ながら相手はそらだった。結果はそらの中押し勝ち。そうだろうな、ちょっと今の時点では、そらの方が格が一枚上だもんなと思った。

 でも、だとすると、そのそらに勝ったくらって凄いんじゃないか。
大いに褒めてあげるべく快挙なんじゃないかと気持ちが高ぶって来た。

  電車でにやにやと興奮しながら、(他の人が見たら怪しい人に見えただろう、たぶん)自分の中に、同時に違う感覚が沸き起こってきた。

  右も左も分からない時から、「くらちゃん、かんちゃん」と声をかけてくれたそら。負けて負けてくらたちが泣いているところをいつも慰めてくれていた。

 優しいだけじゃない。ずっと憧れてきた凄い存在だった。感度良くぐいぐいと打ち込む姿、最後まで諦めずに戦う集中力、負けた時も潔く「参りました」と頭を下げるそらちゃん。くらもかんじろうも憧れと共に尊敬していたはずだ。

 そして、夢にまでみた初段挑戦という舞台。もしあと一勝して、優勝決定戦でも勝って全勝ともなれば……。
くらは初段になる。なってしまう……。
嬉しいような、なんとも言えない気持ちが押し寄せて来た。

 

教室の仲間たち 始まりの黙想

 会場に着くちょっと前に、日奈子からメッセージが届いた。

「やったよ!くら三連勝!かずまにも勝ったんだよ」

 立て続けに四回戦目の相手の名前も届いた。
会場に向かう足は自然とはやくなった。

  最後の試合。Bグループの全勝者は、三年生のまやだった。

  会場に入ると日奈子とかんじろうの姿が見えたので近づく。かんじろうはとっくに試合を終え、日奈子に寄りかかりながらくらの様子を静視していた。

  さて、くらはどこだ?

奥の方で打つくらの姿が確認できた。
姿勢良く腕がまっすぐ伸びて打てていた。
僕だって彼らが囲碁を打つ姿をずっとファインダーを通して見てきたから、打ち姿を眺めれば大体の状況は分かる。

  二人が頭を下げて試合の終わりを告げる。
僕の位置からは盤面は見えなかったが、
「ありがとうございましたー」というハキハキした声が聴こえた。

  そらと打ち終わった時も、くらはちゃんと「ありがとうございました」と深く頭を下げられたんだろうか。そらはその時どんな気持ちだったんだろうか、そんなことが頭をよぎった。

  碁石を片付け、くるっとふり返ったくらは、
 飛び跳ねるように僕らの元に抱き着いてきた。

 「くら!本当におめでとう! すごいよ」

「パパも尊敬するよ、ほんと奇跡みたいだ。
 君たちの成長力って無限なんだな、驚いたよ」

  嬉しい気持ちと、なんだか複雑なせつない気持ちをどう消化したらいいのか分からなかったけれど、今日はしっかりお祝いしようと思った。

 

四戦全勝で、初段に上がるという意味

「くらちゃん、ほんとに強くなったなぁ」
近寄ってきたそらは、そう爽やかに話してくれた。

僕と日奈子は一瞬どう話してよいのか分からなかった。
しかし、そうしている間も息子たちは何事も無かったように、そらにじゃれついている。碁を通じて心を通じ合わせている彼らは兄弟のようだった。

そうした様子を眺めながら僕らはそらに語り始めた。

子供たちが囲碁を始めたその時からそらが僕ら家族の支えだったこと、
君がいなかったら多分(いつも負けてばかりで知り合いも出来ずに)
囲碁を続けられなかったこと、その感謝の気持ちを伝えた。

ありがとう、そら。これからもよろしくね。

  そらも、もうすぐ中学に入る。
そうなると以前ほど頻繁には教室には来れなくなるという。

「でもね、ちょこちょこ中学に入ってからも顔出すよ」

 そらの言うことだから本当なんだろう。囲碁が終わる時間であっても、そらは仲間に話しに来てくれる。小さい子の面倒を見てくれる。習い事を五つくらいやりながら、そこに部活が加わってもそういうことは関係ないんだと、爽やかに語ってくれるそらちゃんのことが、僕ら家族は大好きなのだ。

そこに教訓はないが、

  さて、以上がその後の「うさぎとかめのその後の後日談」である。
 特に教訓などがある訳ではない。

  けれど、これら一つ一つの体験を大人だろうが子供だろうが、自分事としてしっかり向き合っていける「今」が有難いと思う。

こうして「愛を学んでいく」というような体験が、日々を生きて死んでいくことなのかもしれないのだと、僕は思う。

 

それぞれが表彰されたこと、その喜びのポーズ


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