ルッキズム

水着って自分の体型がもろ出るよね。同時に溜息までも出てしまうのだけれど。

女の子はぽっちゃりとしているくらいが可愛いんだよ。

父がよく言っていた。しかし私はぽっちゃりがかわいいと思えない。もし自分がぽっちゃり体型だったら自分が自分を好きにいられなくなってしまうと思ってしまう。

ぽっちゃり体型が悪いとは思わない。美しくないわけでもない。ただ私は私自身がぽっちゃりだったら嫌だと思うだけだ。

幼い頃から痩せ型だった。でもガリガリだったわけではない。思春期の女の子になるくらいは嫌でも脂肪はついて標準体型に近づいた。

自分の中で脂肪がつく、体重が増える、太ることは女性としてや生命活動の維持として必要なことは理解しているけれど、あまり受け入れられない。

自分の肉体美に反するから。自分の理想の体型ではないから。自分の標準の枠から外れたときの心地の悪さが尋常じゃない。痩せが一つのアイデンティティになっている。

細い腕と脚が好き。薄いお腹が好き。少し骨を感じる手首が好き。

私の身体なんだから私の自由にさせてほしい。

そんなに痩せの奴隷だと言うのか、心が奴隷になっているのはどっちなのか。常識に囚われるな。

痩せてる、太ってる、そんなのどうでも良い。自分が自分を大切にできていて、笑顔でいて、健康でいれられたらそれだけで良いじゃないか。

変に体型について他人につべこべ言われて心が傷ついたり、ご飯が食べれなくなったり、過食と嘔吐に悩んだり、それで自分が辛い思いをするのは嫌だ。

小学生の時の給食が地獄だった。吐いても食べさせられた。掃除が始まり埃舞う中でも食べ終わるまで食べさせられた。担任の家畜だった。楽しくなかった、ただただ辛かった。

私は私、あなたはあなた。体型なんてどうでもいい。それでいいじゃないか。お互い体型の好みがあってもそれはそれ、無理に相手に強いる必要はない。

私は強いられたくないから相手にも強いない。自分がされて嫌なことは相手にもしないのスタンス。

体型なんてただの抜け殻にしかすぎないから。大事なのは中身だよ、人間性どういう人間でありたいのか

私は太陽のようでもありのようでもありたい。心の一番外側が身体だと言うならば、心身ともに両方磨く。清くしなやかに美しくなりたい。

自分の心身を作ることに没頭していれば体型なんて気にしなくなるだろう。悩むこともなくなるだろう。

だから何度でも言う、まず自分の全てを受け入れて愛せ。その上で自分が理想とするあり方を目指す。このとき他人の目は関係ない。自分が自分の人生を歩まないで誰が代わりに歩んでくれると言うのか。

見た目に囚われるな。心の乱れが身体に出るように心がしっかり作られていないと身体を作ることができない。まずは自分の心を作ろう。内面を磨こう。

心ができてくるとそれが良い影響として身体にも出てくる。肉体の変化としてや肉体美もあるけれど、オーラとして出てくるものもあるんじゃないかな。

心から身体を作るからこそ、身体から心に与える影響も忘れちゃいけない。自堕落な生活、怠惰な身体は心を鈍らせる、腐らせる。心と身体は表裏一体なんだ。だから心と身体の両方を磨く必要がある。片方だけじゃ駄目なんだよ。

まずは自由形50m。

タンッと壁を蹴る。水に溶ける。水を掴む。グイグイと水をかいていく。 

消えてしまえ私のルッキズム。

素で泳ぐように素の私であれ。余計なものに囚われるな。苦しむな。自分の首を絞めるな。息を吸え。

水の中でも陸の上でも私は自由だ。

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