「会いたい」は私を強くする

虐げることも虐げられることも両方嫌いなのでサドのS、マゾのM、どちらでもないけれど、ここ最近、早く挫折したり人生のどん底を感じたりしないかなとは思っている。

いやそれはマゾじゃん?いや、そうではなくて、その、なんというか、最悪、どん底だった体験を後になってこれもまた良い経験や学びだったと意味付けできることがしたい、それだけなんだ。

なぜかと言われると、私自身大学1年生のとき人生で初めてのような症状になって(鬱としなかったのは診察を受けて医師が鬱と診断したわけじゃないから、でもおそらく鬱)、はそれが肯定的に受け入れられるようになったと強く感じているからなんだ。

もちろん鬱のときは本当に辛かったよ。毎晩何故か知らないけれど勝手に涙が出て止まらないんだ。ひたすらただただ辛くて泣いてばかりだったんだ。もともと泣き虫だったとかそういうわけじゃない。少し繊細なところはあったかもしれないけれど。

大学でも気が合う人が見つけられなかったというか、心から安心できる居場所を見つけられなくて、抱え込んだら駄目なタイプなのに一人で全部抱えて自爆してたし、一人暮らしをしなかったのもあって往復3時間の通学、睡眠不足もひどかったな。死んだ目してたんじゃないかな。心も死んでいたかな。

入ったインカレ、教職との両立が出来なくなって幽霊部員になって居心地悪くなって辞めた、せっかく繋がれた人、仲良くなりたいと思った人も避けるようになった。毎日辛い辛い言いながら、でもそこで終わりたくない自分もいて、必死にもがいてもがいて、とにかく生きることに必死だった。あの1年はもう二度と味わいたくない。暗黒の2019。

そう言いつつまた挫折したいだの、どん底にいたい、落ちるまで落ちたいと言うのはなんて奴だと私も思う。でも一度そのを知るとまた味わいたいというか、求めてしまう。結局刺激を求めているんだろうな。ただそれがかなり負のエネルギーを伴うものということだけで。ここでもう一度言うけれど、私はマゾじゃない。

じゃあどんな味を知ったかというと、自分ととことん向き合えたってことだと思う。良いところも悪いところも含めて自分ってどういう存在なんだろう、何が嫌でストレスなのか、何を求めているのか、どうありたいのかなど。この時強大な負のエネルギーを伴うから自分に余裕はない、他人に構うことはできない、必然的に自分と対峙することになる

ここで自分で自分の腹の傷をえぐってそれを癒やすことで一回り成長できと私は信じている。えぐるだけじゃ駄目ね、回復までがセット。

自分が挫折したりどん底にいるときって嫌でも自分の闇が見える。人間の闇が露になる。正直それはとても醜い。汚らわしい。脆い。でもそれを取り除いて直して自分を美しく、清く、強く作り変えるからこそ意味がある。そこに価値がある。負のエネルギーは自分を変化させる原動力になり得る。

そういう意味では今もまたのない機会かもしれない、今となっては聞かない日はないコロナ。外出制限、自粛生活のストレス、人との繋がりが感じにくくなっている状況、経済的困窮、精神的疲労、肉体的疲労、人間関係の悪化やトラブル、余裕のなさなどと人類は傷ついている。

人によっては本当に人生のどん底かもしれない、幸いにも私は鬱というワンクッションがあったからどん底ではないけれど、それなりの打撃(かなりかもしれないけれど)で済んでいる。

でもコロナ禍で自粛生活を強いられても感染リスクが低い生活になったと捉えれば幸いだし、友達に会えなくなったからこそ友達の存在の大きさを強く感じられている。コロナがあったからこそ感じられたこと、得られたことが多くあると思う。

なんで私はコロナに対してそんなにポジティブなのかとも思う。もちろんネガティブに思うところもあるけれど。でもそれはきっと生きるのに必死だからなんだと思う。生きるには前に進むしかなくて、上を向いて希望を持って歩くしかなくて、信じて進むしかなくて、だから前向きな言葉で自分を鼓舞して必死にもがいている

鬱だった時によく自分で言っていたのは「前進あるのみ」。その言葉で鬱を乗り越えた。今も相変わらず前進あるのみとつぶやき続けている。事態は変化していないかもしれないけれど時代は間違いなく変化しているんだ。だから生きるために前進するしかないんだ、それだけなんだ。

今日新たにもらった言葉がある。

人生哲学として〈実践〉

実践あるのみということか。確かに言葉でどれだけ前向きなことを言っても実践がなければ成し遂げられない。変化しない。何も起こらない。だからどんなに小さなことでもいいから実践する。部屋の埃一つを拾うことからでも良い。感謝することを見つけることからでも良い。とにかく実践することが大切なんだ。

もちろん挫折を経験するにも実践が必要だ。実践なしに挫折は生まれないからね、もちろん負のエネルギーも。

そんなこんなでコロナ禍でも現在の私が多少精神的に余裕があるから早く挫折しないかなとボヤいているそれだけである。で、そのついでにその挫折で徹底的に自分を練磨して、一回り成長できないかなと思っている。

あ、もちろんこの挫折は自分の人間的成長に必要なものでのものだよ。鬱になりました、とかはもう二度とごめんだ。鬱ほど生きてる上での精神的拷問はないと思う。鬱だけはもうごめんね、勘弁してね。

最近感染者数も増加ばかりで緊急事態宣言もバンバン出ていて大丈夫か、この先どうなるんだという状況だけれども、めげずに患難を耐え忍びたい。私には前進実践しかできないからそれだけ頑張る。あとは成り行きに任せる。

早く遊びに行きたいよね、自由に動き回りたいよね。会いたい人に会いたいよね。早くコロナ落ち着くといいね。早くコロナがおさまりますように、ひたすら祈ってる。

コロナが落ち着いたら会いたい人に会いたい。そして私の成長報告をする。うん、それで良い。いつになるかは分からないけれど、会えるかも分からないけれど、会ったときに笑顔で報告できるように頑張る。

もうちょっと頑張るね、私。

待っててくれると嬉しいな、その人も私に会いたいと思ってくれていると嬉しいな、お互いの成長を報告しあえたらもっと嬉しいな。そんな未来が訪れますように。

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