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【筆後感想文】『丘の上に吹く風』を書いて

あれこれ詳細に書いた解説部分を大幅に削除し、書き直して再投稿しています。
(2024年6月吉日)


ゴール

ゴールを目指して走っていたら、気づくと書き終わっていた。5日間ほどの出来事だった。ゴールというのは最終章のことで、今回一番書きたかったのはこれだった。一番最初に書いた部分でもあった。

まず感想。転がり出すと止まらない

物語は一度転がり出すと作者にも止めることはできないもので、ただ筆を進めるだけなんだなと思った。エンディングが最初から決まっていたからというのもあったとは思うが、途中でどうなんだろうこの展開と思うことがありながらも、削りはしてもストーリー(大筋の意)は変えなかった。変えられると分かっていても変えなかった。

そんな中、アメリカの詩人ロバート・フロスト氏の言葉が支えとなった。

No tears in the writer, no tears in the reader.
No Surprise in the writer, no surprise in the reader.
作者の涙なしに、読者に涙なし。
作者の驚きなしに、読者に驚きなし。

Robert Frost (American Poet)

なんであれ、書いている時の作者の心持ちが読者にも伝わっているのであれば、ちゃんと書けているのかとか、伝わっているのかといった心配はいらなさそうだ。
されど例えば、草葉の陰の物書きモドキの涙なぞ夜露ほども目立ちはしない。月の一つも出てくれれば夜露くらいには輝けようが、月とて都合がある。ならばそのまま朝まで踏ん張って、朝露となりて輝けば人目にもつくだろうか。いや、そんなことで人目につきたくはない。

ここにきてこの作品を大幅に見直すことにしたのは、書き方がこれを書いた当時と今とでは変わってきているからで、今読むと違和感を感じるからというのがある。とはいえど、続編を書いた今、続編とも調子を合わせていくとしたら結構な作業になりそうではある。雑音除去のみにとどめた方がよいような気もしてきている。
感想は以上。

モチーフ

今回は日本特有の信仰風情ふぜいをうっすらと描いた。
色濃くは描いていない。なぜならそれはそこはかとなく漂い、暮らしに自然に溶け込んでいるからだ。つまり、仏教、キリスト教、神道、アニミズム、先祖崇拝等々、数多あまたの信仰が根づき、それぞれが独自の派生と変化を繰り返し、時に混ざり合いながら共存しているということで、それをそのように書いた。
色々と盛り込んだわりに不思議と調和したのもそのためだろう。もしかすると、調和していると感じるのはそのような中で暮らしているから自然と慣れてしまっているためかもしれない。
これには生物、無機物、有形無形を問わず、万物に魂が宿っているという日本に深く根づくアニミズムの考え方が大きく寄与してはいないだろうか。許容の土壌を作り、受け入れ態勢を整えた、という点で。

モノローグ調

モノローグ調になったのはそれが自然だったからで、程度の差こそあれ、登場人物全員がどこかしらバグってもいた。人はバグるものである。
一番バグっていたのは陽太の母親夕子だと思う読者は多いかもしれない。夕子を一言で表すとアチーブメント女子だろうか。その辺をこじらせ、ライフイベントの類までもを自分のアチーブメントと捉えがちだった。ゆえに、私、私になってしまっていた。

全体の構成と視点について

ストーリーの流れとして、陽太と美月はまず丘の上に辿り着き、そして気球に乗り、最後は風になるという具合に、物語は徐々に上昇アセンドしていく。それに合わせて視点も同時に上昇していった。
上昇していく、かつ天使が出てくる作品となると、ただフワフワしているだけになりかねない。それを避けるためのバランサー、あるいはド現実として警察を書いた。
浅い混沌の中で』はその途中にある鳥瞰ちょうかん的踊り場として書いた。虫眼鏡で観察することも、高台から眺めることも両方大事で、その両方の方法で人間界と虫の世界の対比を書いたのが『浅い混沌の中で』だ。
俯瞰、鳥瞰などというと、えてして上から目線と混同されることがあったりする。これらは異なるものにも関わらず、どこか反射的に同一視されているような。

結果的に、一周回って主題に戻ってくるというソナタ形式を採用したかのような作りになったが、最初からエンディングが決まっていたから自ずとそうなったのではないかと思う。

実は陽太はさむらいだった。で、どのへんが?

陽太は勇と忠義を兼ね備えた侍だった。それはなにげに母親譲りの性格で、風になると決めた後に強く現れた。最後の最後に発揮されもした。
この記事の投稿時(2023年3月)は、こことかここがそうですよ、みたいなことを解説していたがそれは削除した。
正解があると解釈を狭めることにもなるから、どの辺がそうかは読者の皆さんに委ねたい。
いくつかありますので、どうぞ皆さんの侍モーメントを見つけてください。

テーマ

当初(この作品を書いたのは2022年5月頃)、メインテーマは「命の選択」だろうと思っていた。思っていたなんて書くと、テーマも決めずに書き始めたのかと言われればその通りだ。書き終えた頃も何を書いたのかよく分かっていなかったと思う。
テーマがたった一つである必要もなりと思っている。
昨今はやりの、たった一つの方法やら理由やら的なアプローチに合わせる必要もないし、読む人によって見えてくるものが違うのも面白いと思う。

当時(2022年5月)も今(2024年6月)も思うこと。
車イスの陽太と美月は、冒険活劇の主人公のようにいきいきと走りまわることはできなかった。花火大会の夜、丘に向かう坂道でぬかるみに車輪がはまり悪戦苦闘したことが唯一二人が目一杯体を動かし、額に汗した場面だった。短い生涯を誰かのために捧げ、そして最後に輝いた。
一方、風になった陽太と美月は実に自由に駆け回った。
「正しいことも、間違ったことも、いとも容易たやすくやってのけ、そして駆け抜けていった。あっという間に、風のように(プロローグより)」というわけだ。


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潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)