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鳩子、ラッパーになるの巻

Chesty Nutty
                                                                    ©Nutty Images

「痛っ」
栗林を歩いていると、頭に毬栗いがぐりが落ちてきた。
「痛っ」
一歩下がり栗の木を見上げると、今度は足元に落ちていたイガイガを踏んだ。
踏んだり蹴ったりだ。
「あれ? だけど、二度痛がるこの光景どっかで見たことあるな。ああ、あれか!」

こういった状況に遭遇する確率は極めて低く、日常のよくある一場面でもないが、吟遊詩人ラッパーになるチャンスではある。地団駄ついでに韻も踏んでみることにした。曲といえば炭坑節ぐらいしか披露していなかったが、一曲作ってみたのでどうぞ気軽にそして自由に口ずさんで下さい。

『イガグリ ダッフンダ』
詞・曲 麗野鳩子

野原の栗の
林の陰の
イガイガ踏んだ
ダッフンダ

痛くなーい
強がってなーい
ついでに誰も見ていなーい ’cause

長くもなーい
細くもなーい
特筆事項がなんにもなーい 足

Naughty Naughty Chesty Nutty
Nutty Nutty Chesty Nutty
Naughty Naughty Chesty Nutty
Nutty Nutty Chesty Nutty
Naughty Naughty Chesty Nutty
Nutty Nutty Chesty Nutty……        (fading out or walking away)

意味不明だろうから解説することにする。
ストーリーは冒頭の通り。栗林を歩いていると頭に毬栗が落ちてきた。ええ!っと栗の木を見上げ、一歩下がると今度は足元の毬栗を踏んだ。鳩子は痛くないと強がる。しかし同時に誰も見ていないことにも気づく。(注1)なぜなら(’cause)、鳩子の足は長くもなければ細くもない。誰かに注目される程のこれといった特筆事項もない。それはそれで気持ちの持っていきようがなくなり、最後は「このいたずら毬栗坊主め!」と落ちてきた毬栗に悪態をつきながら立ち去る、という流れだ。
お察しの方もいるとは思うが『野原の栗の林の陰の』は、宮沢賢治さん(注2)の『アメニモマケズ』をオマージュし、『野原の松の林の陰の』という部分をもじった。『ダッフンダ』については、言わずもがなだろうが志村けんさんへのトリビュートである。ありがとない、であろうが。

さて、なぜこんな目に合ったのか。
桃栗三年柿八年だからと、桃と栗の木をどこかで簡単なもの、あるいは勝手に優劣をつけていたからだろう。一作目の小説でもが登場するが、私は畏怖の念を忘れていて、そこにきて、バチが当たったのということかもしれない。真相は定かではないが。

こんな秋の話題記事を今出すことからも、いかに記事が渋滞しているかがわかっていただけたかと思うが、ご心配には及ばない。秋口になったら、またこの記事を開けばいいだけだし、おそらくリマインド記事を書くだろう。

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注1 人は人のことなんか大して見ていないエピソードは『はと子劇場』で上演予定。どうぞお楽しみに。

注2 宮沢賢治さんには、『はと子劇場』のレジェンドについて書いた記事であらためてご登場いただくことになっています。どうぞお楽しみに。ちょちょっと書いたレジェンドについてはこちら

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