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信長の鉄甲船の真実とは?

信長の鉄甲船について「思うところ」

天正6年(1578)6月26日は志摩の九鬼嘉隆が信長の命で作った鉄甲船が雑賀衆と淡輪水軍を破った日。鉄の装甲を備えた大安宅船は毛利水軍との第一次木津川口の戦いの敗北を受けて作られた。7隻を大坂へ回航する途中熊野灘で敵と交戦。敵は大砲で撃ち崩された後は寄り付くこともできなかった。

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天正4年(1576)7月13日は毛利輝元の水軍が信長水軍を木津川河口で破り、兵糧米を石山本願寺に入れた日。2年後、俗に言う鉄甲船で第二次木津川口の戦いでは信長軍が毛利軍を破る。毛利軍は村上水軍など海賊衆中心の海上最強。敵に勝るには?を敗戦から2年かけて信長は考えたのでしょうね。

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4年前

天正6年(1578)11月6日は九鬼嘉隆率いる織田水軍が第二次木津川口の戦いで毛利水軍を撃破した日。織田水軍は石山本願寺を包囲して海上封鎖していたが2年前の第一次合戦で毛利水軍に敗れた。これで外からの兵糧搬入を許して屈辱を味わった信長は俗にいう大型の鉄甲船を作らせての再戦だった。

天正6年(1578)6月26日は志摩の九鬼嘉隆が信長の命で作った鉄甲船が雑賀衆と淡輪水軍を破った日。鉄甲船は毛利水軍との第一次木津川口の戦いの敗北を受けて作られた。焼かれない船を作れ!とか信長がキレたりしたんでしょうか。ただ、どこまで鉄の装甲があったかよくわかっていないとか。