バンクーバーでの旅は面白かった。車がなきゃ楽しめないけどね。ツアーを申し込んだので、移動はサクサクだった。ご飯も美味しかったし。
マツコ・デラックスさんが国立大に所得枠を設けるべきだと言われてる。ただ、学力の分布を見てみるとどうしても所得の高い人らの方が、アカデミズムに触れる機会は圧倒的に多い。貧困層の人をピックアップして国立大に入れるには、やはり教育国債のような先行投資がどうしてもいる気がする。
文体や言葉の硬軟は言うなれば書き手の気持ち次第。何かむつかしい事を背伸びして言おうものなら、その文は急に魔物の抜け殻のように本質のちぎれたものとなる。言葉は一つ一つ吟味して使うが、書き手がどうしても事象を一閃して議論を運びたいときは、文体も険しいものとなり、陰気臭くなってしまう。
国立大学の論述問題は解答の文字指定で題意の把握を受験生に促してる事に気付かにゃならん。情報処理は長い文章を読み慣れるだけじゃなく、付属の条件も読み漏らさぬよう注意するものだ。それは時が移っても普遍的なアタマの使い方だと思う。
田中萌アナの一浪して明治大で絶望発言に賛否。ネットでは失礼の声と同情に値するとの声が。俺は素直に田中萌アナは不憫に思う。ただ、彼女は当り前だが、刺傷事件の犯人とは雲泥の差。田中アナは現実を受入れ乗越えた。人は幾らでもやり直せる。ひろゆきの思惑通りには人生は成らぬ。
国立型の勉強スタイルを確立している人には私立はつらたん。枝葉末節な知識を根掘り葉掘り訊かれるのは、メモリの限界やねん。
政治で派閥っていうとメディアは大体批判的に報道するんだけど、派閥を作るのは政治家にとって生存戦略と提言機会の獲得という両面効果がある。数がなきゃ政界で意見を挙げられないし、自分の政策課題をブラッシュアップ出来ない。無派閥でいられるのは総理・議長経験者くらいよ、OKなのは。
名古屋大学 理学部・大学院理学研究科広報誌「理フィロソフィア」33号(11/10発行)の巻頭、物質理学専攻教授の斎藤進さんのエッセイの挿絵を、切り絵で制作しました。 http://tsujikeiko.blogspot.com/2017/11/nagoyauniv.html
睡眠って非常に大事なんだけど、解ってもらえない事の方が多い。例えば風邪をひいても、ある程度の症状だったら、たっぷり寝れば治る事がある。良く寝る事に対して、ネガティブに捉える人が多くいるのも困る。特に管理職の人こそ、部下の睡眠時間まである程度考えた仕事配分を考えてあげて欲しい。
今出てる大作ゲームは大体世界で売り出す事を意識してやってる。しかも欧米をメイン層に。FF16、ドラクエ12もアメリカ人の好きそうなダークファンタジー調のデザインが凄い。FFXはアジアを意識してくれたけど、16に関しては最早向うしか見てないだろ、逆輸入かよって思ってまう。
一昨日久しぶりに恩師と電話した。仕事が溜まって大変でというお話を聞いて、世の仕事は偏って頼まれる事が多いと思った。出来る人に依頼して、過分にストレスが溜まるのは世の常。先生も切れ者であるから、相当に仕事を依頼されるのだろう。気が付いたら書類整理している。
ドラクエ夢中になっていた頃は、謎解きよりバトルが楽しかった。そしてアイテム集め。強い武具防具を手に入れるのは非常にワクワクしたものだった。さ、これから皿洗い機回して、明日の準備だ。
インプット講義は良いから、早く演習やろうぜ。多くの受験生が思っている、インプットの不毛さに議論が何故か進まない。だから予備校は演習形式が一番大事なんだってのに、まあるで解ってねえ。おっと、気づいたら俺もインプットテキスト、使ってたぜえ。
リズ・トラス前英首相の嘗ての破竹の勢いの出世街道は一気に詰め腹切らされた形だ。政治は一寸先は闇。慶應義塾の最大の権威・小林節先生に因る超人気政党・国民怒りの声も党首ですら議席を取れずその活動を終えた。何で立党したのかもあやふやで、イマイチ政治カラーを打ち出せなかったのが敗因か。
英女王のエリザベスが亡くなられて、一つの時代の終わりを告げたように思う。チャーチルからも小娘扱いされたエリザベスの果断な努力は立場のあるないを超え、大きなエネルギーを国政に添えてくれたような気がする。
予備校の役割の件。駿台予備校もどんどん校舎を畳んでる。オンライン化のメリットばかり斬新に伝えられているが、その弊害も言わねばなるまい。つまり受験生は自己管理をそれこそ高い意識でやらねばならない。校舎で講義を受けていれば無理やりでも覚えてくるが、自宅で受けるには、完全自己責任だ。
正義を語るとき、こんな正義もある、相手にも正義はあるとか言っていると収拾がつかなくなる。それ以上に関係性において相手の領域に侵犯する行為にやっとそこから護る正義を語るべきだろう。司法や組織間のやりとりを学部では学ぶだろうが、実は身近な人間関係でそれを意識するのが筋だろう。
東大殺人未遂事件。犯人の供述。「勉強が上手くいかなくて、事件を起こして死のうと思った。」俺の意見は、勉強が上手くいっているなんていう感覚になった事は受験生時代一度もない。YouTubeのコメ欄の人みたいに、待ってろ〇〇大ってな感じで吹聴してれば気が楽さ。宿命を背負い人は生きるもの
大学受験してた頃は、こんなクソみたいな時間はよ過ぎろボケがと思ってた。でももし志望校入れれば、きっと凄い学びが待っていると信じてガリ勉した。思えば勉強なんて、筋トレみたいなもんで、何がどう転ぶか分からないものさ。。
辛い事や悲しい事を伝えるとき、本当に悲しいとかガチで辛いとか副詞で強調する必要はないと思う。中身が正確に相手に伝われば、相手はそれとなく推察出来るし、そうでない人にそもそも相談する必要もない。思いとは事実を基に伝える事で、辛く苦しんでる本人が心を痛めてるとき、無理してはいけない。
メディアが衰退すると予想の高橋洋一さん。所謂中抜きの会社が必要なくなるというが、役割分担が現在も既になされてる。1次情報にあたれない人はやはりメディアはいるし、そもそも社会人を卒業した人は世の動静にどうしても疎くなる。必要な情報は自分で仕入れるという情強は元々メディア使ってない。
受験の不文律は過去問にヒントがある事だ。赤本やってるとよくそのままの問題は出ないという的外れな御批判を賜るが、思考過程が学べれば八割やった価値がある。それは出題者側の理屈の組立て方が可視化されるという事。つまり、解く手がかりを得られるのだ。