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#こんな学校あったらいいな

小学生が楽しく読める、学校を舞台にしたおはなし「#こんな学校あったらいいな」をコンテスト形式で募集します!

人気の記事一覧

先生が「休みづらい」ことを考える

学校の先生は休みづらいと言われている。 学校はカレンダー通りの勤務体系なので、土日祝は休みであるが、平日は基本的に毎日開いている。そして、朝は8時過ぎから子どもたちが登校してきて、(高学年であれば)午後4時過ぎまでは残っていることもある。これは教員の勤務時間のほとんどの時間に「子どもが学校にいる」という状態である。その中で、提出物の点検、会議、研修、保護者対応、事務仕事など諸々している先生は「有給休暇」を取得している暇がないのである。 あまり知られていないが、実は学校の先生

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とある教師の愚痴

学校には数多くのステークホルダーが存在します。ステークホルダーとは「利害関係者」と訳される言葉ですが、ここでは「学校関係者」という意味で使わせてもらいます。学校のステークホルダーは、文部科学省、教育学者、教育委員会、地域住民、保護者、そして、子どもなどが挙げられるでしょう。最近では、「教育評論家」も増えてきた印象ですね。彼らも学校の「おかしさ」を告発することで利益を得ているわけですから、立派なステークホルダーです。 つまり、学校の先生をやる以上、上記で挙げたステークホルダー

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学校の先生の転職事情

3月の残りわずかのこの時期、SNS上では「退職の報告」をする教員が出てくるのも春の風物詩となりつつあります。 一方は「心労」で退職を決断された先生たちがいます。 彼女・彼らは、その業務の負担から年度途中から心が折れてしまっていたにも関わらず「責任感」という最後の手綱だけで、3月まで戦い抜いた勇者たちです。年度途中で辞めてしまうことの意味をよくわかっているからこその勇姿に、私は本当に拍手を送りたい。 現在の学校現場には、この「責任感」だけで、何とか毎日学校に通えている先生がた

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学校におけるホウレンソウについて

今回の記事を書くきっかけは以下のツイートです。 これには賛否両論、たくさんの意見をいただきました。ただTwitterでのツイートの宿命として様々な解釈があったみたいで、それについては僕も反論をしたいなと思ったので、こうやって筆を取ることにしました。 まず、大前提として僕自身がまったく「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」をしないということではありません。そして、ホウレンソウに意味がないとも思っていない。例えば、責任の所在を個人から組織に移すという意味でホウレンソウは自衛の手

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学校教育を崩壊させる方法

「学校教育を崩壊させる方法」なんてセンセーショナルなタイトルを付けてしまったから、ご期待の諸氏を満足させる内容を書かないといけなくなってしまった。こうやって自身でハードルを上げてしまうのは僕の生来の悪癖である。これがうまく機能することもあったが、同じくらい失敗したこともあったので、その判断はこれを読み終わった後の諸氏に任せることにしよう。 さて、学校教育を崩壊させることは容易い。 それは保護者が担任の先生について「あの先生は信用ならない」と子どもに言うだけである。本当にこれ

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忙しい教師たちの授業のあり方

学校の先生は忙しい。 勤務時間前から子どもたちは登校し、勤務時間終了になっても研修や会議は終わらない。 子どもたちとの授業は楽しいが、純粋に授業のことばかりを考える時間は実はとても少ない。 では、教師は一体、何をしているのだろうか。 本校の教職員を眺めてみると、一番多いのは「ノートやプリントの点検」のように感じる。他には「保護者への連絡」や「校内会議の資料作成」や「学年打ち合わせ」などもあるだろう。おそらく、私が補足しきれていないような業務も数多くある。 学校には「校務

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「学力向上」に焦点化された学校教育で誰が得をするのか

学校教育は何を達成するための場所なのだろう。 こんな問いが私の頭には常に浮かんでいる。これは、最近の教育行政への違和感なのか。それとも、戦後復興から経済成長を経て「失われた◯十年」まで、実はずっと学校教育を支配してきた価値観だったのか。 「学校とは勉強をするところです」 小学生に聞いてみれば、ほとんどの子どもはこう答えるであろう。そして、これは子ども自身が考えた言説ではなく、その周囲にいる大人から「学校とは勉強をするところである」という価値観を植え付けられてきたからであろう

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教師は「子ども」を見ているか

「主体性が奪われた先生が主体的な子ども育てることは可能であろうか」 こんな命題が脳内に流れてきた。 もちろん「否!」と言いたいところであるが、文科省の教育政策を現場から眺めていると「それは可能であるし、できないのならば現場の能力が低いからだ(だから、より主体性を奪ってコントロールするしかない)」と考えているのでは無いかと疑いたくなってしまう。 学習指導要領というのがある。 教科書はこれを元にして作られており、授業時間数の規定や、学年ごとに指導するべき漢字なども載っている、

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規範が欠如した教育の問題点

教育学には規範が欠如しているという話をしようと思う。 これは言い換えると「何のために教育をしているのか」という問いに対して、教育学は答えることができていない、という話である。 教育という営みは「方向づけ」である。それは、教師が子どもたちに「教える」という点からも明らかであろう。そして、教育が「方向づけ」である以上「どの方向に進んでいくのか」というのは死活的に重要な問題でもある。公教育という以上、みんなで揃って崖の方へ行ってしまうのは自滅への道である。 しかし、それができて

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教育的関係における一考察〜内田樹の議論を参照しながら〜

はじめに 本稿の目的は、神戸女学院の名誉教授であり、現在は武道と哲学のための学塾・凱風館の館長である内田樹(1950-)の教育観を整理することで、その独自の教育哲学を考察することである。  内田の教育哲学は、自身が30年に渡り大学で教鞭を取ったことや、合気道の師範としての経験から精錬されていき、それは内田の数多くの著書の各所で展開されている。  その内容としては言語教育から宗教教育まで多岐にわたるが、今回の論考では主に内田による「教育の定義」と、「教育の好ましくない姿」とし

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もしも自分が学校を創設したら:【校則】

また面白そうなお題を見つけてしまったw 【 #みらいの校則 】そうだなぁ…先ずは 《校風》 学校の全ての職員も生徒も挨拶の出来る人間になるよう指導 「ありがとう」「ごめんなさい」の気持ちを常に持つよう指導 男女共学 生徒の特性で登校時間を2種類から選択 8:15登校(朝強い生徒) 10:15登校(起立性調整障害、睡眠障害など朝弱い生徒) 自習室あり(8:30~18:00解放) 希望者は補講や補習可 掃除は学校全体で協力して行う 問題は話し合いでその日のう

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宿題と向き合う

学校には宿題という文化がある。 ここで「文化」という言葉を使ったのは、宿題という言葉は、学習指導要領や文科省の文書などにはほぼ登場しない言葉であり、なんら制度的・法的根拠を持たない教育実践だからである。 宿題について各種研究を行っているという宮崎麻世も宿題について以下のように述べている。 宿題に類するものは学校にはいくつか存在していて、たとえば「通信簿(通知表、あゆみ)」などと呼ばれる、学期末に子どもたちへ配られる学業成績などを記述した用紙についても、これは法的に定められ

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教育実践を学ぶことの危うさ

学校の先生の多くは勉強をしている時間がないほど忙しく働いているし、余暇に教育についての本を読んだり、持論をSNSへ発信したり、自分の時間とお金を使って研究会に参加したりしている先生は本当に少ない。 Twitter(新X)を見ていると、まるで先生のほとんどがSNSをしているかのような錯覚を覚えることがあるが、大多数の先生は「休みの日まで教育のことなんて考えたくない」というのが本音なのだろう。 実際、僕もリアル職場の同僚と飲みに行くことも、キャッチボールをすることも、フットサ

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ジャイアンに好かれる先生、嫌われる先生

私は「真面目な児童」に好かれる傾向にあると思う。 この分析は大いに主観的であり、何も根拠はない。でも、そう感じる。 私はあまり子どもに嫌われることはないが、たまに「ジャイアン」に嫌われることがある。 今日はこのことを分析していきたいと思う。 ここでいう「ジャイアン」とは、ドラえもんに登場するジャイアンというよりは、「権力があり、自分の思うがままに振る舞うことができる児童」という想定で読んでもらいたい。ただ、たまに「ドラえもんのジャイアン」とも重ねるので、その辺の境目は曖昧

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教育学における「規範欠如」問題に関する一考察

要旨 本論考では、まず教育学における「規範欠如」について論じる。日本における近代公教育が始まった約150年の間に、教育に対する社会のまなざしは変化してきた。それに伴い、学校教育に求められるものも変化してきたのである。 明治初期は近代国家における「国民」の育成が喫緊の課題であり、戦前までは国家主義イデオロギーを扶植するための装置にあり、昭和の中頃までは学歴社会を高く上昇していくための場所だったのだろう。もちろん、これらは時代ごとに明確に区分できるものではない。しかし、学校

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教師と子どもは「対等」なのか

「教師が子どもと話すときは膝をついて目線を揃えましょう」 この手の言説は「教師の権威性」を否定し、子どもであっても「一人の人間である」ということを強調したものであろう。 教室における教師は長いこと「権力者」であった。教師は教室にいる「唯一の大人」であり、教室における立法・行政・司法の長であった。つまり簡単に言えば「独裁者」である。 しかし、それは「非教育的である」と社会から見なされた。それは「教師不信」と対をなしている。それまでは確かにあった「教師の権威性」が様々な出来

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「ぼっち」はそんなに悪いのか

現在の学校は様々なことに怯えている。 それは、学校に物を申す「利害関係者(ステイクホルダー)」が多いことに起因する。 学力を上げろ、働き方改革をしろ、いじめを見過ごすな、子どもの主体性を認めろ、〇〇教育を推進しろ、などなど挙げ出したらキリがない。これらは、保護者、教育委員会、文部科学省、研究者、メディア、教育評論家の方々が学校に盛んに要求してくる言説である。 おかげで、学校はすっかり小動物のようになってしまった。 それはつまり「各方面から文句を言われないようにアリバイ作りを

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「即興授業」のすすめ

実は私は大学生のときにストリートダンスをしていた経験がある。ジャンルはロックである。といっても、ロックンロールの「ROCK」ではなくて、鍵をかける「Lock」の方だ。ダンスの特徴的な動きの中に「鍵をガチャ」と閉めるような、「カチっ」という動きがあるからLockという名前になったらしい。 もう少しストリートダンスの話をさせてもらう。 ダンスには2種類の踊り方がある。 一つは「振り付け」が決まっているダンスである。複数人で踊るときには「振り」がある。だから、動きが揃う。 もう一

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学力保障の闇

「学力保障」という考え方があります。 学校が子どもたちに身につけさせるべきものは「学力」であるという考え方ですね。 1981年、アメリカのレーガン大統領は「危機に立つ国家」という報告書を出していますが、その内容には、国民の識字率の低下への危機意識が叫ばれていました。 報告書には「アメリカの成人の2300万人は日常の読み書き理解テストができない」や「17歳の多数が高度な知的スキルを持っておらず、40%は文章題から推論ができず、説得力のある文章も書けない」などが述べられています

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学校は変わらない?それとも変わる?

先日、ある方とお会いしてお話をしたんですが、 学校教育に関して熱くなってしまいました。 どちらかというと、反発したい気持ちが出てきて、 だから余計に、私はやはり教育に携わっていく人間なのだなと 改めて自分の思いを強くしました。 その方との出会いは、お仕事の依頼を受けて、という形だったのですが、 教育・子育てにお互いに熱い想いがあるのを知っていたので、 それを語り合ったんです。 その方は、お子さんの不登校がきっかけで、 ご自身の子育てを考え直してこられ、 そして母親教育を

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