「明日は早起きしよう」 「今日は5時間勉強しよう」 自分で決めたことを守れないとき、自分はダメだと無力感に襲われる しかしそんなことは誰にでもある あなたはダメな人じゃない 必要以上に落ち込み、自分はダメだと蔑む必要はない 「まぁ次頑張ればいっか」くらいでいい やれば、できる
子供の頃はなんでもできる気がしていた 周りの大人から 「それは難しいよ」 「諦めたほうがいいよ」 と言われるたびに、自分で限界を作っていく 大人になるにつれ形成される、常識や固定概念に論拠は存在しない 無理だと諦めていることはないか? あなたならできるから、やってみるといい
「勉強しなさい」「勉強すると将来楽になる」と言われ続けた 誰も「勉強は楽しい」とは教えてくれなかった 『勉強がつまらない』というのは、誰もが幼少期にうえつけられた思い込みだ 本当につまらないかどうか、改めて自身で確かめてみるのも悪くないのではないだろうか
人は興味のないことは覚えられない 興味がない=無意味 と脳が判断してしまうからだ だからこそ、好きな教科は得意になるし、嫌いな教科はずっと苦手なままなのだ だがこれを知っていれば努力の方向性を変えられる ゴリ押しで覚えるのではなく、どうすれば興味を持てるかを工夫すべきだ
本を読もうと思ってたのに、運動しようと思っていたのに、ダラダラ過ごして休日が過ぎ去っていく そんな経験が誰にでもあるはずだ 人は自身が思うほど勤勉ではなく、想像より怠惰である だからこそ、曖昧な気持ちではなく、毎朝きちんと決意する 「今日は将来のための今日にしよう」
集中力は才能ではない 後天的なスキルだ そして、個人の能力よりも周囲の環境によるところが大きい つまり、集中力のある人は ただ、環境作りが上手なだけだ 自分がどんな環境だと集中出来るかを把握し、その環境を整える努力をすれば、誰だって簡単に集中力が劇的に向上するのだ
どれだけ勉強しても、決して世の中のことすべてを知れる訳ではない だが、勉強しない人とは天地の差がつく この差とは何か ある分野における躍進の差であり、俗物的に言えば学歴や年収の差だ では勉強とはなにか これは簡単だ 学び、吸収し、アウトプットする一連の流れのことだ
受験や資格勉強の本質は『できないことを潰していくこと』にある 模試や過去問の点数が低くても、落ち込む必要はない できないことに気づくことができたのはラッキーだ むしろ高得点を取ってしまった時に、実力以上の力があると過信しないことの方が大切だ
妥協すればそれなりのものしか手に入らない これくらいでいいや、もうやめにしよう 今まで、何度妥協を積み重ねてきただろう 必死に頑張ればあと一歩行けるのに、心のどこかで諦める それだと、本当に欲しいものは手に入らないと知っているのに 今日からは、妥協という言葉は捨てよう
『第一志望や資格試験に落ちる』 落胆しない人はいないだろう 努力したなら尚更だ 目の前が真っ暗で、先のことを考えられなくなるかもしれない でも、人生が終わった訳じゃない もうチャンスが与えられないわけじゃない 上を向いて、次は如何に攻略するかと胸を躍らせるくらいでちょうどいい
『困難だから、やろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ』 ローマ帝国の哲学者、セネカの言葉だ 資格試験もこれと同じだ 勉強をするのが困難なのではなく、やらないから困難なのだ 確固たる意志を持って勉強を始めると、資格試験も思ったより簡単であることに気づくはずだ