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推古30年、日本書紀の明らかな改竄

大原がもつ癒しの力 穴穂部間人皇女と建礼門院の二人の母

4か月前

上宮王家滅亡時、三輪文屋君は山背大兄王に、 請、移向於深草屯倉、從茲乗馬、詣東國(『日本書紀』) と述べていますね。斑鳩から東国へ逃れる際、山代国の深草へ寄るという計画は遠回りですね。 これは秦氏を頼ろうとしたからだと考えられています。 おやすみなさい 。(-_-)zzz

用明天皇と(蘇我稲目の孫である)穴穂部間人皇女との間に生まれたのが厩戸皇子(聖徳太子)。 この厩戸皇子と(蘇我馬子の娘である)刀自古郎女との間に生まれたのが、山背(山代)大兄王ですね。 山代国・広隆寺を創建した秦河勝は、用明・崇峻・推古の三代の天皇に仕えていますね。

2022年11月1日(火) カモン諭吉

【随想】歴史の見かた楽しみかた

温故知新(21)用明天皇(竹田皇子 尾張皇子 聖徳太子 聖徳王) 崇峻天皇(厩戸皇子 聖徳太子 聖徳法王) 山背大兄王(聖徳太子) 推古天皇 孝徳天皇 蘇我氏 橘氏 中臣氏

仏像創成期「法輪寺」で法隆寺を復習-法隆寺・斑鳩周辺!世界遺産-

三井 (奈良県)

山背大兄王は

8か月前