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短歌関係の文章

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日記(le 18 janvier 2022, mardi)

ひさびさ再開のこと半年ぶりぐらいでnoteを書く。改行とかいろんなインターフェイスが変わっていて戸惑っている。
半年間、非常勤講師を週に1コマだけだが受け持って、それもテクストを指定してほとんど学生に話させる演習なのだが、それに追われて何もできなかったに等しい。鬱病が悪化して無職で何もせずひきこもっていたのを、無理に人前に出て喋るのだから大変である。鬱のせいで本も読めないのに難しいテクストを指定

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死んで死んで死んで死に直せる

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり 小中英之

 短歌とは畢竟ひとが死とどう向きあふかといふ問ひをえんえんと考へつづけることなのだ、と信じかけたりかけなかつたりする。鳥髪も螢田も地名である。それもかなりめづらしい地名。土地の人びとや博識のひと、記紀に通じたひとなどのほかには、これらの作のゆゑに、うたを読

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卒論公開

おことわり文字通りの拙論ですが、卒論(正確にはゼミ論)を公開してみることにしました。
註はnoteではうまく付けられないのと、ほとんどが書誌情報なのでここでは省略しました。外国語文献の書名などがイタリックになっていないのもnoteでどうやるかわからなかったからです。今の僕には旧稿からコピペして体裁を整えるので精一杯なのです。御容赦ください。
註も付いている大学に提出した(そして表象・メディア論系の

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春日井建「海の死」私記――悪の諸相あるいは海に降る雪――(初出『率』7号)

7年後からのまえがきこの文章は2014年刊行の同人誌『率』7号に掲載されたものに、いくらかでもnoteで読みやすいようにささやかな改稿を加えたものです。『率』7号は前衛短歌特集ということで、いろいろ話し合って分担を決め、僕自身は大学図書館の雑誌バックナンバー書庫を活用できる特権を活かして、春日井建の『未青年』にまとめられる前の雑誌初出を確認して、文献考証のまねごとをしてみたのでした。2014年には

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死學創造(ネクロポエティカ)――塚本邦雄と藤原良経(初出『率』5号)

   
 7年後からのまえがきこの文章は2014年刊行の同人誌『率』5号に掲載されたものを、noteの形式に合わせていささか改稿したものです。「インターテクストの短歌史」という特集企画を自ら立てて、自分では塚本邦雄の藤原良経受容について、文献考証のまねごとのような手つきも交えて書いたものでした。この号には他にもう1篇、寺山修司の夢野久作「猟奇歌」受容についての短い文章も書いていますが、これは原稿が

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« necropoetica »補遺 ――良経論の余白に(未発表、2014年5月ごろの文章)

7年後からのまえがき この文章は『率』ホームページ上に連載していた「月刊吉田隼人」の「5月号」になるはずだったようです。何かの都合で掲載されなかったのでしょう。先にnoteに上げた「死學創造(ネクロポエティカ)」と関連の深い文章なので、もったいないしここに公開しておきます。この文章では藤原良経について塚本邦雄に加えて萩原朔太郎、中島敦のそれぞれの受容ぶりを見たうえで、マラルメの批評をわざわざ原文で

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『率』3号評論抄

8年後からのまえがきこれは2013年の初夏に出た同人誌『率』3号に載った「死ねなかった僕のための遺書(あるいは「亡霊」のためのノート)」という文章のうち、希死念慮で塗り固められたような序章と終章を除いた本論部分3章を抜き出して、いくばくか体裁を整えたものです。ブリス・パラン、ジャン・ポーラン、モーリス・ブランショ、ライプニッツ、ジョルジュ・バタイユ、ゲラシム・ルカなどそのころ関心のあった思想家や文

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浜田到ノート――詩歌の〈架橋〉のために(『ウルトラ』10号掲載)

   
6年後からのまえがきこの文章は詩誌『ウルトラ』10号の、詩と短歌という特集に寄せたものです。この号では他にも詩人と歌人とのコラボレーションによる作品の試みなどがありました。特集の性格から、また当時「橋上の人」初稿をきっかけに鮎川信夫に関心をもっていたことから、「詩と短歌の架橋」というのがテーマになっているものの、先にnoteに上げた『率』3号の文章と同様、その当時から構想しつつもなかなか書

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大森静佳『カミーユ』一首評(「Sister on a Water」第2号、2019年)

2年後からのまえがき歌誌「Sister on a Water」第2号のために書いた一首評です。昨年連載した「日々のクオリア」と内容的に重複する部分がありますが、こちらのほうがいくらか分量が多くなっています。

本文樹のなかに馬の時間があるような紅葉するとき嘶(いなな)くような 大森静佳『カミーユ』

 情念が苦手だ。詩は、あらゆる顔が闇の中に没し去ってから始まるものであってほしい。「抒情(リリスム

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翡翠(かわせみ)に寄す──井上法子『永遠でないほうの火』書評(2016年、完全版)

5年後からのまえがき歌集『永遠でないほうの火』の書評として『現代詩手帖』に2016年に寄稿した文章です。誌面に掲載されたバージョンは紙幅の制限から初稿よりもだいぶ削ったものだったので、ここに残しておきます。『カミーユ』一首評と同様、「日々のクオリア」と内容に重複がみられますが御容赦ください。

本文 プラトンの作になるとされていた偽書に『かわせみ』という対話篇がある。水辺から聞こえる悲しげな声は何

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