奏でることと歌うこと
コレクションに『洋画講義録』という本が何冊かあります。明治40年頃のもので、昔の通信教育のテキストような本です。そこに掲載されているものを1つご紹介します。
中澤弘光は明治7年生まれの洋画家、版画家、油彩画家、挿絵画家です。右が実物の写真、左が中澤が描いた鉛筆スケッチです。〈弾奏〉というタイトルにもあるように和服を着た女性がヴァイオリンを持ってポーズを取っています。
ヴァイオリンは1871年(明治4年)にイギリス人のクラークという人物が横浜で洋楽器輸入商を始めたことで、日本で手に入るようになりました。同年の浅草で山田縫三郎という人物が和洋楽器の問屋を開いています。この山田さんは自作のヴァイオリンを作っていたといいますからなかなかの物好きです。
本格的なヴァイオリンを製作したのは松永定次郎という人物が1880年(明治13年)日本で初めてヴァイオリンを試作しています。日本にヴァイオリンが入ってきて9年で国産のものができてしまうのは日本人恐るべしです。ちなみに1906年(明治39年)に東京でピアノとヴァイオリンを教える教授所が20カ所を超えていたそうで、裕福な家庭の嗜みとして習わせていたのでしょう。
もう一つ、楽器にまつわる資料をご紹介します。
6月の展示でもご紹介した『結神末松山』から三味線を奏でる女性です。お猪口が見えることから酒宴の席で芸者さんが一曲弾いて歌っているのでしょうか。三味線は永禄年間(1558~1570)に琉球から大阪の堺に伝来したといわれています(諸説あり)。その後、江戸時代に飛躍的に普及し、都市の芸術音楽から流行歌、地方の民謡と幅広く用いられ近世日本音楽の主役となりました。
大学時代、なぜ飲み会の2次会ではカラオケに行くのかというのをテーマに民俗学のレポートを書いたことがあります。内容はほとんど忘れましたが、酒宴の席で参加者が歌を歌うというのは昔からあったようです。それが現代ではカラオケになった・・・というこじつけに近い話だったと思います。この話を書いていたら急に懐かしい記憶が蘇りました。
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