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【モノローグエッセイ】平家物語、ゆかりの地巡り

☆祇園精舎の鐘の声

4月の初め、京都に行ってきた。

自分の地元以外に
私の端を発する場所のひとつが京都

物心つく前から一年に一度必ず訪れていた。

自分の年齢よりも多くの回数を足を運んでいる場所。
それでも行く度に新たな発見のある場所。

今回はどこに向かったというと、

冬シーズンのアニメで観ていた
アニメ「平家物語」が私的に一番面白かったので

今回は平家物語ゆかりの地を巡ることに。

アニメ「平家物語」


しかし、ただ、巡るだけでは、
劇中の平清盛の言葉を借りるなら
おもしろくない」と思ったので、

三立製菓の平家パイを片手に平家ゆかりの地を巡ることに。
(もちろん境内での飲食NGの所もあるので、平家パイ持った写真を入口付近で撮っただけです。シュールです。)

きっと清盛入道も「おもしろかろう〜
と仰られる、かな。

そんなことを思いながら
先ず、最初に訪れたのは…

◆六波羅蜜寺


平安時代中期、空也上人により開創されたお寺。

六波羅の地は、
平清盛の祖父・正盛が邸宅を構えたため
平家一門が多く住み、清盛の時代には平氏政権の中心に。
その後清盛は、西八条邸を造営して政治の拠点とするも、
平氏一門の軍事力の拠点は引き続きこの地に残ったという。


境内には清盛の供養塔や平清盛坐像があるよ
清盛坐像のある宝物館は休館中だったので、
清盛の供養塔を見てきた。


近くの石塔には
アニメ劇中の戦シーンでもよく出てきた
平家の代表紋、揚羽蝶の蝶紋が。



最終回でも揚羽蝶が大空に羽ばたいていく場面が良かったですね〜。
あんなに寺と大仏燃やされてたのに
清盛の供養塔つくってあげる仏様の慈悲深さよ…

他にも、
願いが叶うと言われている「一願石」を回したり
撫で牛の身体の不調が気になるところを撫でたり(真っ先に心臓(メンタル)撫でに行ったら笑われた(笑))

御堂の装飾も綺麗で、
特に龍がなんかすごく可愛い龍で思わず写真を撮った。
ミニチュアダックスフンドみたいな龍。



こちらの六波羅蜜寺
あの空也上人立像(口から阿弥陀様出してるやつ)
も安置されてるのだけど、
今回は東京の企画展の方に行脚しててお留守でした。

また来た時には宝物館の方も行きたいなあ。

平家パイショット


六波羅蜜寺の次に訪れたのは、
近場だったのでこちら。

◆三十三間堂


蓮華王院 三十三間堂。
修学旅行ぶりの拝観!



平安後期
約三十年の間、院政を行った後白河上皇が、
自身の職住兼備の法住寺殿(ほうじゅうじどの)と呼ぶ院御所内に、
平清盛の資財協力によって創建したのもの。
(アニメだとめっちゃ仲悪かったけど、最初は仲良しだったらしい。)


国宝の千手観音坐像と千体千手観音立像は圧巻の迫力。
思わず手を合わせたくなるほどの荘厳さ。
(公式サイトでぜひ見て欲しい〜!)

アニメでは第十話の維盛が出家する時に
背景に映っていたのがこの千体千手観音立像かなあと思う。

ひとりとして同じ顔がないらしい。
(名前も観音様それぞれ違った名前がついていた!すご!)

風神雷神像と二十八部衆像もかっこよかったなあ。

二十八部衆像は千手観音の眷属の善神。
その中には楽器を操る神様もいます!

分かりやすーくバンドメンバーを紹介!

シンバル担当 神母天王(じんもてんおう)
ドラム、リードヴォーカル担当 緊那羅(きんなら)
リードギター担当 摩睺羅伽(まごらか)
フルート担当 迦楼羅天(かるらてん)
プロデューサー 乾闥婆(けんだつば)


なんと専属プロデューサーもいる
ビックバンドです。

海外観光客向けの英語表記の説明に

How Do You Feel Their Sounds?

って書いてあって、
急にバンド感あるな(笑)とクスッとしてしまった。

三十三間堂ビックバンド


お庭も桜が満開でとても綺麗でした。
アニメ劇中のお花の演出でよく出てきた椿の花も



この庭を見て、後白河法皇も今様をうたったのかなあ


三十三間堂からタクシーに乗って向かったのは、

◆清閑寺


こちらは質問箱でフォロワーさんに
京都のおすすめを聞いた時に教えてもらったお寺!
行ってきたよ!!

清閑寺は
清盛の娘、平徳子(建礼門院徳子)が嫁いだ
後白河法皇のご子息、高倉天皇の寵愛を受けた
小督局(こごうのつぼね)
ここで出家し、尼となったと伝えられるお寺で、
山門を入ったところにはその供養塔がある。




このお寺、清水寺の奥の山の方にありまして、
清盛の圧力で出家に追いやられてここまで来たのか小督局…
と、しんみりしてしまった。
(小督局は清盛に目をつけられて無理矢理出家させられます。)

お寺の近くの山に六条・高倉天皇陵があって、
高倉天皇の遺言の通りに、
その傍らには小督局のお墓もあるらしい。

またこの清閑寺の山号は歌中山(うたのなかやま)
小督局は音楽の才能でも名高かったので
ぴったりだなあと思った。

苔の美しいお庭には要石があって、
願をかけると叶うらしいので、色々お願いしました。
ボケの花も綺麗に咲いてたなぁ。




とても静かで落ち着いた場所でした。


清閑寺から歩いて清水寺を通り過ぎ、
産寧坂、ねねの道を歩いて向かったのはこちら

◆長楽寺



円山公園の奥にあります。
壇ノ浦の戦いで生き残った
平徳子(建礼門院徳子)が出家したお寺。

お寺の門をくぐると、
受付で犬がお出迎えしてくれました。かわいい。



なんと、拝観した日にちょうど
春季特別展がやっておりまして
徳子関連の御遺宝を見ることが出来ました!

徳子は、出家する際、
お布施を何も持っていなかったため、
安徳天皇の形見の直衣を幡に縫い直して上人に渡したそうな。

寺内にはこの幡を復元した
安徳天皇御衣幡」が展示されている。

もうね、この「安徳天皇御衣幡」がね
本当に、本当に小さいの。
小学生の洋服サイズ…
安徳天皇の御影(肖像)もめっちゃ小さい子の絵なのよ

こんな小さい子があの壇ノ浦の海に…と思うのと
それを経験した徳子を思うと胸が痛かった。

29歳で出家した時の徳子の御影もあったんだけど
ほぼ真っ黒で、キャプションによると
源氏の目につかないように
墨を塗って隠しまつられていたらしい…

境内には徳子の供養塔もありました。
ここには、彼女が剃髪した時の黒髪が埋めてあるそう。



庭園のある建物の中には建礼門院木像が。
おりんを鳴らして手を合わせた。
この木像の後ろの掛け軸は
平家物語冒頭の「祇園精舎の鐘の声…」の一節だった。

室町時代、相阿弥が足利八代将軍義政の命により
銀閣寺の庭を作る時、試作的に作ったという庭園を見ながら
お抹茶と干菓子もいただきました。



建物内にはアニメ平家物語のポスターも貼ってあったよ。

今回の平家物語ゆかりの地巡りで
一番印象深かったなあ…

南無阿弥陀仏。


◆鞍馬寺



日を改めて向かったのは、鞍馬寺

平家物語巡りをしていて、
最後に向かったのはまさかの源氏ゆかりの地(笑)

でも、「おもしろかろう?」ということで。

出町柳駅から叡山電鉄に乗って鞍馬駅へ。
(名探偵コナン「迷宮の十字路」で平次とコナン君がバイクかっ飛ばしてたのも叡山電鉄でしたね。)

電車から降りると、駅は天狗だらけ!

物腰柔らかな口調の天狗もいたよ。



平家物語では、源氏の総大将だった源義経
牛若丸と呼ばれた幼少期を過ごしたとされている鞍馬寺。

牛若丸は、幼くして鞍馬寺の東光坊の阿闍梨の元に
あずけられ,遮那王(しゃなおう)と呼ばれた。
自分の素姓を知ってからは平家打倒を心に秘めて
昼は学問を修め、
夜は鞍馬の奥僧正ヶ谷で武芸に励んだという。

平家物語アニメでも、
(急な崖を目の前にして)「鹿が行けるなら馬も行けるっしょ」
と、部下もマジかよという好戦プレーをしていた遮那王義経。

鞍馬寺一帯が急な斜面の山なので
ここで修行してたらそりゃ「崖でも馬乗って行けるっしょ」
ってなるよなと思った(笑)

本殿である金堂前にある石床は
鞍馬寺でも随一のパワースポットとされる「金剛床
両手を広げて空を仰ぎその中心に立つと、
宇宙と一体化して願いが叶うんだとか。

実際に立ってみたら、確かにパワーを感じる…ような???

あと、鞍馬寺は狛犬ならぬ狛虎らしい!


御本尊の毘沙門天の使いが虎だからだとか。
今年の干支だし、タイムリー。

山を歩いて下ると、
東光坊があった場所に義経の供養塔もありました。



駅前の和菓子屋さんで売ってた「牛若餅」も美味しかった。
そして、ここであの天狗面を買ったのである。

判断が遅い!


けっこう気に入っている。


こぼれ話だけれど、

アニメ作品で義経が出てくると
CV.梶裕貴さん率が高い気がする(笑)
(平家物語もだし、鬼灯の冷徹もそうだったような。)

今回の平家物語では
源義経(CV.梶裕貴さん)と、弁慶(CV.大塚明夫さん)
わああこれはアツい義経弁慶コンビ!!!!となっていた私。

鞍馬寺の資料館でも
弁慶なしに義経は語れないと書いてあった。

忠義の関係性(なのかな?)は、昔からアツい。
あと、敵だった人を味方にしちゃうのも神話でもそうだけど、日本っぽいよね。

今回は平家物語だったので
あまり触れられてなかったけど、
この配役での「義経記」も見てみたいなあと思った。

◆「歴史」として語り継がれる、ということ


平家物語、ゆかりの地を今回は6ヵ所巡った。
どの場所もとっても良い所で、
アニメ本編を思い出しながら、楽しく巡ることができた。

実は大学時代、史学専攻の学部に在学していたので
日本史西洋史東洋史問わず、
歴史という科目に触れることが多かった。

中高生時代から歴史が得意科目だったこともあり
色んな歴史的知識を知ることが好きだったんだよねぇ〜

そんなこともあり、
「歴史」として残り、語り継がれる、ということの重要性
について度々授業などで聴くことがあった。

大学一年生の最初のオリエンテーションで
私達が歴史を学ぶ意味は何か」という話があった。(気がする。←)

確か、歴史を学ぶ意味について「現代を生きるため」だと、言っていた。

私達が歴史を学ぶのは、
過去の出来事から、その因果や過程を知り、それを教訓とする
現代社会を生きるためのヒントとするため
と、言っていた。

マルク・ブロックという歴史家は
現在から出発して過去を理解しなければならない、過去の光に照らして現在を理解しなければならない」と述べ、

歴史学を
現在から過去へ、
過去から現在への
往復の繰り返しと考え、

その際の歴史家による問いかけの重要さについて述べた。

(だから、私はミュージカル・演劇が好きで仕事にしたんだなあと思う。演劇は作品を通して、役を通して、現代を生きることを学ぶ、自分を理解するものだと思うから歴史を学ぶことと似ている。あくまで私の考えだけどね!)


歴史って昔からの記録の積み重ねで
記録が残らなければ、語り継がれなければ、
当然、その存在は闇に葬られる。

アニメ劇中で
びわの台詞に「語り継ぎたい」という台詞が何度か出てくる。

平家物語の作者は不明とされている。
しかし、この平家の栄華を極めた時代から滅亡するまでの過程を後世に語り継いでいきたいと思った人々によって、現代までその存在を留めている。

冒頭部分なんかは、古文の授業の暗唱課題になるほど。

この語り継がれてきた物語が
現代を生きるためのヒントにしていけたらいいよね〜

そうなることが
アニメ最終話で徳子の台詞にもあった
「(語り継がれる)その中で我ら一門は生き続ける
に繋がるんじゃないかな。



その始まりは、、、、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、

偏に風の前の塵に同じ。


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