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行き渋りへの考え方〜自己ルールからの解放

こんにちは。紫陽花ママです。
2歳児のイヤイヤがあまりにひどく、自分を振り返って整理を試みるために、
久しぶりにnoteに記録してみることにしました。
しばしお付き合いいただけたら幸いです。

突然ですがみなさんには、自己ルールはあるだろうか。
例えば、
・子供は夜9時までに寝かさなければいけない。
・毎日お散歩に行かなければいけない
・人が来るときはトイレ掃除・玄関掃除など含めて完璧に掃除をする、、、など

その自己ルールに縛られすぎると、やらなきゃいけないタスクとして溜まって、不機嫌になってイライラして、自分も、そして子供も、被害を受ける。

子供は顕著だ。そっちの達成に気を取られ、子供がおろそかになる。いやもちろんご飯ややるべきことはするんだけど、、要するに、子供へ向き合う時間が少なくなる。やるべきこと以外のことを一緒にやったり向き合う時間が取れなくなる。空白の時間への優先順位が低くなる。

子供というのは面白いもので、そういった親のサインを敏感に感じ取る。親がこっちを向いていないことに気づいている。わざと泣き喚いてみたり、抱っことせがんだり、保育園に行きたくないと駄々をこねてみたり。
そうなると親はやることが頭をかすめているせいで、もっとイライラする。いい加減にしなさいと叱る。でも、本当にいい加減にしないといけないのは誰だろうか。自分ではなかろうか。

*****

夜、子供と一緒に寝てしまった。溜まっている洗濯物の山と、洗い物の山。今日は燃えるゴミの日だ。ゴミ箱から溢れているおむつ。これば絶対に捨て逃しては次の可燃ゴミの日までおちおち暮らしていけない。

朝から食器を洗い、ゴミをまとめ、ううん洗濯物は後でいいか。
そうだ、今日は午後から人が来るんだ。部屋も片付けなきゃ、それなら絶対保育園に行ってもらわなきゃいけない。朝から「ほっとちぇーき、つくろ」とせがむ2歳の息子に、「明日ね」と約束できない約束を言い渡して先延ばしにして、無理やり服を着替えさせる。保育園の登園バッグに物をつめる。

案の定、行き渋り。トイストーリーを見たいと言い出す。保育園行きたくないと泣き出す。しゅう君とおうちにいると駄々をこねる。トイストーリーは帰ってきてから見ようと提案し、保育園楽しいよ、お友達いるかなと声をかける。しゅう君(弟)はママと病院に行くから、お家で待ってなきゃいけないんだよ1人で待ってられるの?1人でおうちにいるのと保育園に行くのとどっちがいい?と事実も嘘も交えた質問で選択を迫ってみる。(しゅうくんと病院行く、、と泣きながら呟いて、賢い!と思ったのは内緒)意味なし。泣き続ける。

ようやく外に出られて、ベビーカーでぐずる。他の家のドアの前で泣き叫び、いい加減にしなさいという言葉を言う。言葉尻に力が入ってしまう。ママの姿を察して、泣いてシートベルトをつける。ゴミをようやく出す、8時はちょっと過ぎちゃったけど、よかったまだ収集はきてないや。
あっくんがゴミを出したかったと泣き喚く。重過ぎて持てなかったでしょ、さっき持ってみたでしょ。ママも重過ぎて手が変になっちゃったよと手を見せる。ベビーカーを押しながら、抱っこ紐で下の子を抱っこしながら、片手で大きなビニール3袋まとめて持っていたので、確かに指が鬱血して、持ってた形から戻らない。痛い。
こうなっちゃうよ、それでもいいの?とその鬱血した指をを見せたら少し納得して、駐車場までの道をベビーカーに揺られてくれた。でも、すぐに思い出して保育園嫌だと泣く。ゴミ収集車が通る。降ろして降ろしてと暴れる。停車した収集車の横を通ったのが、ダメだったらしい。(いつも車が来たらぴ!と止まろうね、と声をかけているので、とまらずに歩いたのが嫌だったんだって。ちゃんと身についていてえらいけど。)

車につく。抱っこしてー抱っこしてーと泣く。全部下に置いて、抱っこをする。抱っこ紐をしながら2人抱っこも慣れたものだ。お菓子を渡して選ばせて、チャイルドシートに乗ってもらうよう促す。お、いけそう?と思いきや、やだー抱っこー保育園やだー車やだのーと泣き出す。まあそうだよね。しばらく駄々こねに付き合うも、スマホで時間を見て、じゃあこのまま出発していいね?とドアを閉めるフリをする。ヤダヤダと焦って泣きながらチャイルドシートに乗ってくれた。ミニオンのグミを一個渡して、少し大人しくなる。お菓子でしか連れない自分に嫌気がさす。出発。

昨日、直進道路に対向車線から右折したがった車がいて、急いでいたので特に譲らずに直進したところ、おじいちゃんドライバーから「おいっ💢こんなんも待てないのかよ。免許返せばぁあ?」ってわざわざ窓を開けて大声で怒鳴られたことを思い出し、不快な気分になる。もはやネタなんだけど、それを笑い飛ばせるほど今私に心の余裕がない。今日はその老人いないな、などと思う。

保育園に着いて、泣き喚く。無理やり抱っこ紐の上から抱っこして連れてって、泣き喚いたまま、登園の支度をして、やっとの思いで教室に行くも、ママがいいー抱っこーと泣き喚かれる。
本当にひどい泣き方すぎて、そうまでして保育園に連れていかなければならなかったのか、葛藤と罪悪感が押し寄せる。

今からでも連れて帰ろうか。来客までの片付けさえできれば、無理してまで預けることはないかもしれない。尊重してあげるべきか。でも、ここで許してまたこの1週間行きたくないと渋られても困る。

この子がいることでの作業停止度と、私の心の疲弊度と、ここまで来てしまったしなという葛藤と合わせて一気に頭が回転する。いや、でも。。
先生にお願いしますと頭を下げる。
ごめんね。

*****

そもそもなんでこんなことになってしまったのか、静かになった帰りの車で内省してみる。
抱っこ抱っこと言っていた。私からの愛情を求めているってことだよな。しゅうくんの方が可愛くて自分が見捨てられてしまうのではないのか、そんな思いがあったのか。だとしたら、そんなことないんだよって伝えてあげないと。もっともっと、寂しさが深くなってしまう前に。

そういえばここ最近、数日、時間ややることに追われて、ワンオペの辛さにかまけて、向き合ってあげる時間がそんなに取れていなかったかもしれない。ベイマックスの映画を何度繰り返し見せただろうか。飽きるよね。昨日私が思いつきで「車で競争しよ!」と言った時、本当に嬉しそうな顔を浮かべていたことをふと思い出して、「ああ、私と遊んで欲しかったんだろうな」と、胸がぐっと締め付けられる。

保育園のために早く寝かさなきゃ。そのために早くご飯を食べて、早くお風呂に入って、早く歯磨きをして、、、。
私は何をそんなに焦っているのだろうか。
こんなに可愛くて、愛おしくて、大切な、今しかない、今日しかない宝物の時間を、何をそんなに、生き急いでいるのだろうか。
早く過ぎてと言わんばかりに、惰性で過ごしてしまっているのはどうしてだろう。

悩み、苦しい、罪悪感。
みんな誰しもこういう思いをしているママがいると、そう信じながら、これからも同じ日々を繰り返してしまうのは、あまりに子供に申し訳ない。

もしかしたら、自分で自分のルールを作って、それ通りに完璧にやらなきゃいけないと思っているから、苦しくなるのではないか。
自分ルールは、時に理想も混ざり、自分のキャパを超えているハードルの高いものもある。
そんなものを自分に課して、できないと自分を責めて、達成しようと躍起になり、時に自分も子供も傷つけて。

手放そう。できるだけ。
あなたが、わたしが、やらなきゃいけないと思っていることは、もしかしたらそんなにやらなくてもいいことかもしれない。
一人一人、違うバックグラウンドがあり、違うものさしを持っている。
そうならば、自分で自分を苦しめる、自分より少し高い理想のハードルを見つめてできないできないと心落ち込ませるよりも、自分が意識せずとも飛べた高さのハードルを見て、それを大事に継続していければいいのではないか。

もちろん、上を目指すことが大切な瞬間もたくさんある。理想を追い求め、改善を繰り返し、段階を追ってステップアップしていくことは、成長にもつながる。

でも。
いつもいつもそれをしていては、疲れてしまう。
それでは、自分や子供が、傷ついてしまう。

自分ルールの中に、理想も含まれていないか、やらなくてもいいことが混ざっていないか。
自分の狭い世界で培われた価値観で作ったものさしで測られた決まり事ではないか。
今一度考えてみてほしい。いや、考えてみよう。

来客時の掃除は、完璧でなくてもいいかもしれない。
子供に与えるご飯は、毎回栄養たっぷりで絶対に手作り、でなくてもいいかもしれない。
部屋が散らかっていてもいいかもしれない。
洗い物が溜まっていてもいいかもしれない。
人と会う時に必ずセンスのいい手土産を持参しなくてもいいかもしれない。

もちろん、放置というわけではなくて。
ずっと部屋が汚かったり子供に関心がなかったり、そういうのを是としているわけではなくて。

自分の価値観を、人に押し付ける。だけではなく、自分にも押し付ける。
それにどこまで、意味があるのか。

SNSの子育てアカウントなどでもよくある「○○すべきではないでしょうか?」という光景。本人はお節介のつもりでも、その偏った価値観や一見正論に見える理想論を押し付けられた人は、きつい。

見たことも話したこともない他人から押し付けられた価値観で簡単に傷ついてしまうのだから、ずっと一緒にいる自分から押し付けられたら、それはもっと縛り付け、もっと辛くなるのではないだろうか。

じゃあなぜそれがわかっていて、自分にもしてしまうのか。
まず、自分にしているから、人にも押し付けたくなるのではないのか。

人は完璧ではないからこそ、人間味がある。
弱い部分にこそ、魅力が出る。

自分に自分の凝り固まったルールを課すのではなく、自分を許す。
何でも完璧にして自分を武装するのではなく、完璧でない部分を活かす方法を考える。

自己ルールからの解放、今日から意識していこう。

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