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思い出まんじゅう【小説】

僕は父と母が嫌いだ。二人は、いつも喧嘩ばかりしているからだ。大きな声で怒る父とヒステリックに喚く母。夜中に聞こえてくる二人の喧嘩の声を布団の中で蹲って聞いている。そのせいで、なかなか寝付けない。そんな夜はイヤホンで好きなバンドの曲を聞いていた。この瞬間だけが、現実世界から離れられる。それでも喧嘩の声は少し聞こえてくるので、音量を最大限にする。チャキチャキと鳴らすエレキギターの音。低音ベース。ドラムのリズム。まさにロックンロールの集大成。中学生になったばかりの僕は他の同級生より恵まれていない毎日を過ごしていると思う。

北九州市内の工場に勤める父は、『会社の給料が安い』が口癖で、いつも機嫌が悪い。安いタバコを吸いながら、競馬の新聞記事を眺めている。そんな後ろ姿を見ながら育った。母は専業主婦で、最近は韓国の男性アイドルグループにハマっている。俗に言うアイドルオタクというものだ。僕自身はアイドルオタクには興味が無い。銀色のキラキラしたうちわやポスターを母は部屋中に飾っている。まるで宗教みたいだと思った。どちらも共通して、僕が何を言っても自分の趣味に夢中で適当に返事を返される。僕は愛されてないんじゃないか?頭の中に疑問が生じては、不安になる繰り返しの日々が続いている。貧乏生活には慣れた。

程なくして、父と母は離婚することになった。財産の分配や、親権などについて協議離婚が行われるようになった。僕はどちらにも付いて行きたいと思わない。どうして、親って勝手なんだろう。勝手に結婚して、子供を産んで離婚する。子供は親を選べないじゃないか。無責任な大人によって、子供は難しい選択をしいられる。どちらの親に付いて行きたいと思える子供はマシだ。どちらも付いて行きたくない子供はどうしたらよいのだ。その協議が長引きそうだということで、僕は鹿児島県にある父の実家に泊まりに行くことになった。そこに父方の祖父母が暮らしているので少しの期間、お世話になることになった。

学校は夏休みに入ったので、その間に親権をどちらにするか決めるらしい。中学生になってから初めての夏休みなのに、友達と遊べることも出来ない。夏休みが終われば、学校を転校することになるかもしれない。友達には話していない。まだ、転校にならない可能性もあるからだ。本当は転校したくない。せっかく仲良くなった友達と離れるのは正直悲しい。優しい友達、片思いの女の子、怖い先生。それぞれの顔を思い浮かべた。

小倉駅から山陽新幹線に乗り、博多駅で九州新幹線に乗り換えて、鹿児島中央駅に着いた。車内の小窓から見える熊本の田舎町を眺めながら、僕はどういう人生を歩むことになるのだろうと考えた。どちらに付いて行っても幸せは訪れないのではないか。不安しか頭の中に浮かばなかった。いっそこのままどこかで、新たな世界で一人暮らしをしたいとさえ思った。

駅を降りて、指宿枕崎線に乗り換えた。数十分後、目的の駅に着いた。ここは無人駅らしく、駅員が居ない。周りは森に囲まれていて、大自然を感じる。鹿児島市内から随分離れた場所で、人通りは少ない。日本の平均的な田舎町の代表という風景だ。ここから歩いて30分くらいの所に祖父母の家がある。父に連れられて何度か行ったことがあるので、おぼろげながら覚えている。

小鳥の大合唱を聞きながら歩く。祖父は運転免許を持っているが、腰が痛くて、運転を控えている。僕は車で迎えに来てもらえると思ったが、現実は甘くないなと感じた。まあ、あの喧嘩の絶えない家よりはマシの場所だろうと観念して、ひたすら歩く。小学生の頃の遠足みたいだと思った。緑で覆い尽くされた道を歩く。太陽の光が眩しくて、熱中症になりそうだ。

祖父母の家に着いた。山の中に建てられている大きな家だ。二階建てで木造で作られている。灰色をベースとした瓦屋根が特徴だ。ドアのチャイムを鳴らして、横スライドのドアをガラガラと開ける。

祖父母が玄関で迎えてくれた。年齢は父から祖父が75歳と祖母が68歳と聞いている。年齢の割に若々しくて、背筋をピンと伸ばして立っている。いかにも健康そうな体をしている。二人とも少し、白髪が混じっているが、皺も少なく元気そうだ。二人は笑顔で迎えてくれた。

「慎吾ちゃん。久しぶりね。疲れたでしょ。さあ上がって上がって」

祖母に案内されながら、家の一階の中央らへんにある居間に座った。四方八方は襖に囲まれている。部屋全体から畳の独特の匂いがする。木製の大きな座卓には和紙で作られた正方形の箱に数個のお菓子が入っていた。寒天ゼリーやルマンドなどがまばらに入っている。適当に一つ摘んで食べた。なかなか美味しい。

それから、祖父母の家に泊まる生活が始まった。祖母は成長期だからと言って、沢山のご飯を作る。美味しいのだが、多すぎて食べきれない。祖父は小学校の元教師で数年前に退職していて、現在は校舎の警備をしている。交代制で、夏休みの間だけ他の人に変わってもらっている。祖母は高校卒業と同時に新人教師だった祖父と結婚した。それから専業主婦だ。

何泊かした後、母から僕の携帯に電話がかかってきた。面倒くさがりながら電話に出る。

「ねえ、慎吾ちゃん。お父さんは慎吾ちゃんに暴力を振るったことあったよね?」

母の猫撫で声が聞こえた。正直、気持ちが悪い。いつも怒っているくせに。こんな時だけ。僕は理解した。母が親権を貰えるようにするために、父親を虐待しているDV夫に仕立てあげようとしているのだ。父からは暴力を受けたことはない。母からもないので、僕は無言で電話を切った。これは、僕のほんの反抗だった。何も答えたくない。話したくない。

家に居ても暇だ。スマホの充電がすぐに無くなる。充電している間、外に出ることにした。田舎のテレビは面白い番組も少ないし、夏休みの課題も殆ど終わった。外に出て、太陽の光を浴びながら田舎町を歩いてみることにした。ラフな服装に身をまといで自然の音を感じながら、僕は深い山の中に入っていった。

何分くらい歩いただろうか、静かな林の中に一つの家があった。家というのは正確ではない。店だ。外観は古い小屋を連想させた。その店は駄菓子屋のようで、店の中には沢山の駄菓子で溢れていた。店の奥を見ても店員らしき人は居ない。定番のお菓子から変わったお菓子まである。一つ一つに値札が付いている。その中から『孤独飴』や『思い出まんじゅう』が目についた。
 
「いらっしゃい」

腹が減っていたので、空腹を満たしてくれそうな『思い出まんじゅう』に手を伸ばした時だった。後ろから声を掛けられた。振り返ると年配のおばあさんが立っていた。どうやら店の人らしい。このお菓子が気になったったので、どういうお菓子か聞いてみた。『思い出まんじゅう』は食べると、過去にタイムスリップ出来ると言った。冗談だと話を聞いていたが、真剣な顔をして話すおばあさんが不思議に思ったので、騙されたと思って『思い出まんじゅう』を買ってみることにした。

帰り道、茶色の紙袋を掲げながら中身を見る。なんの変哲もない普通の『まんじゅう』だ。白い紙包みに包まれている。大きさは小ぶりだ。合計3個買った。もう少し買っておこうと思ったが、引き返すのも面倒臭くなったので、そのまま祖父母の家に帰った。

祖父母は居間に居て、楽しそうに談笑していた。居間に座り、歩き疲れた体を休憩させる。腹が減っていたので、さっそく『思い出まんじゅう』を袋から出した。取り出すと同時に祖父母の二人は眉間に皺を寄せた。どうしたのだろう?空気がピリついた感じがした。何かまずいことをしたのだろうか?僕はどうしたのか訪ねてみたが、無言のまま二人は黙って斜め下を向いている。 気まずい時間が流れているのを感じた。

「おじいちゃんは出かけてくるから」

「私も、晩ご飯の支度をしないと」

二人は目を合わさずに、そそくさと居間を出ていった。不思議に思った。どうして、僕を避けるのだ。その後ろ姿を眺めながら、まんじゅうを食べた。まんじゅうの外側は白くて、中身の具はチョコだった。柔らかい食感があり、食べやすいし美味しい。

食べていると、なんだか眠くなってきた。意識が朦朧とするように遠のいていくのが自分でも分かった。寝ちゃ駄目だ。寝ちゃ駄目だ。


目を覚ますと、固い砂場に僕は寝転んでいた。小石が背中に当たり、少し痛いなと思いながら、起き上がる。ここは公園のようだ。公園はこじんまりとしていてブランコと二人がけのベンチが一つしかない。しばらく黒色のベンチを眺めていると、一人の男性がベンチに座った。その顔を見て、不思議な感じがした。誰かに似ているのだ。歳は20代後半くらい。着ている服装は、茶色のスーツでネクタイも茶色だ。地味な印象がした。その男性は何をするでもなく、斜め下を向きながら座っている。誰かを待っているようだ。

数分すると、セーラー服を着た女子高生が来た。黒色のお下げ髪で、いかにも活発そうな娘だ。顔は生き生きとしていて笑顔が絶えない。手を後ろに組んで、小さな茶色の紙袋を背中で隠すように持っている。
 
「タイゾウさん、待った?」

その娘は、その男性に話しかけた。そのタイゾウと言われた男性は顔を上げる。タイゾウと聞こえた。祖父の名前も確か、太蔵という名前だった。

「サエコは、こんな僕と結婚してくれるのかい?」

「高校を卒業したら、結婚する約束だったじゃない」

「こんな田舎の教師でいいのか?」

サエコと言われた女子高生。これは祖母の名前だ。点と点が結ばれたように繋がった。『思い出まんじゅう』を食べたことによって、過去にタイムスリップしてしまったのではないか。あのおばあさんの真剣な表現で、まんじゅうの説明を語るシーンを思い出した。18歳の祖母だから、引き算をすると丁度50年前に来てしまったらしい。半世紀前の二人は、結婚目前のようだ。教師と生徒の関係の二人は照れを隠しながら話している。卒業式間近とか新婚生活をどうするのかなど二人の会話は数分続いた。サエコは相変わらず立ったままだ。

「これ、プレゼント」

サエコは照れを隠しながら、紙袋を突き出すように、太蔵に渡した。それを受け取った太蔵は中身を取り出す。ここからは遠目でよく見えないが、小さなお菓子だと分かった。太蔵は包み紙を取る。太蔵は、お菓子の外側をグルッと見て、おもむろにかぶりつく。

「これ、白あんだ。僕、白あん嫌いなんだ」

「白あん、美味しいじゃない」

「僕はチョコ派なんだ。僕の好みも分からないのか!」

「私はチョコ嫌い。洋風被れ過ぎ」

二人とも会話がヒートアップする。語尾が荒くなってきた。どうやら二人は喧嘩を始めたようだ。なんとしょーもない喧嘩なんだ。どちらの種類のあんこでも良いではないか。

「私、先生のこと嫌い。もっと思いやりのある人だと思ってた」

僕は頭を働かせる。この娘は僕の父の母になる。僕から見たら祖母だ。もし、このしょうもない出来事が原因で、二人の結婚が破棄になれば、父も生まれてこないし、僕も生まれて来ないのではないか?それはやばい。無性に怖くなった。まだまだ、やり残したことだらけだし、生きたい。僕の人生が消滅するのは避けたい。おもむろに足が動いて、止めに入っていた。二人の間に滑り込む。

「誰だ君は?」

僕はなんと答えたらいいか迷う。本当のことを言っても馬鹿にされるだけだ。僕はたまたま通りかかった者ということにした。半分はホントだ。チョコもいいけれど、白あんも美味しいと僕は言った。二人は同時に眉間に皺を寄せた。

それでも喧嘩は止まらない。二人の喧嘩は続く。止まらない喧嘩にイライラした僕は大声を出していた。
 
「チョコが何だよ!白あんが何だよ!お互いの価値観が違うのは分かるよ。でも、ちょっとはお互い認め合おうよ。愛し合うって、そういうことなんじゃないの」

そう言ってから口に出したことを恥じた。何をくさい言葉を言っているのだ。僕が一番冷静さを失っているのではないか。未来の祖父母は驚いたように顔を見合わせた。

「確かに白あんは美味しい。サエコ、買ってきてくれて、ありがとう」

「私もごめんね。タイゾウさんの好みも分からなかった」

二人は慰めあった。二人は恥ずかしいのか目を合わせない。それでも謝罪の言葉は続いた。

「君の名前を教えて欲しい」

未来の祖父から名前を聞かれた。僕はとっさに父の名前を言った。理由は分からない。なぜか口に出していた。

「いい名前じゃないか」

もう喧嘩は止まったし、僕がここに居る必要は無い。僕は退散しようと思い、回れ右をして公園を出ていった。公園の入口の柵を通った瞬間、意識が朦朧として前屈みに倒れ込んだ。


気が付くと居間で大の字で寝ていた。窓からやってくる暑い日光、カラカラと音を立てる扇風機。独特の畳の匂い。ここは祖父母の家だ。現在に戻ってきたのか。祖母が、お茶をお盆に乗せて居間に入ってきた。僕は勇気を出して、まんじゅうで好きなあんこの種類を聞いてみた。

「私は、白あんとチョコが好き。どちらが一番なんか選べない」

祖母はそう言って笑った。その時、玄関から靴を脱ぐ音がした。祖父が帰ってきたのだ。祖父が襖を開けた。祖父を見て、祖母が思い出したような顔をする。祖母は話しだした。昔、公園で僕に似た子供が二人の喧嘩を止めてくれたことがあった。その子の言葉に刺激されて、二人は仲直りして、結婚した。その子の名前を産まれてきた子供に付けたそうだ。それが、僕の父の名前になった。僕に似たじゃなくて、僕なのだが、そんなことを言えるはずもなく黙って聞いていた。

「慎吾くんが買ってきたまんじゅうを見て、気まずくなってしまった」

「そうそう、私も」

「いい思い出の一つだよ。ずーと昔の思い出だけどな」

祖父はそう言って、祖母と二人で笑いあった。半世紀前のあのときのように笑い合う二人。確かにあのときから変わっていないなと思う。

次の日、僕は祖父から公園の場所を聞いた。この近くにあるそうだ。公園は50年前と変わっていなかった。古いブランコとベンチしかない。唯一変わっていたのは、ベンチのペンキが錆びれて剥がれていたことか。黒色から白色に塗り替えてから、日が経っているらしく、黒と白が混合している。シマウマを連想させた。その錆びれたベンチを見ながら、あの『思い出まんじゅう』を買って良かったなと思った。

夏休みも終わり、僕が生まれた家に帰ることになった。そこで、協議の結果を知らされた。親権は母親になった。母親の実家は兵庫県なので、福岡から遠い場所の中学校に通うことになった。思い出の詰まった友達や先生に別れを告げて、新神戸に向かう山陽新幹線に乗った。田舎景色を眺めながら、数日を過ごした祖父母の家を忘れることは出来ないだろうと思った。大切な思い出の一つなのだから。

あとがき〜作者からのメッセージ〜
今回の作品は自身の小説『孤独』で出てきた駄菓子屋さんを登場させた。2回目の登場である。シリーズ化しようと考えている。主人公は思春期の中学生。両親の離婚という問題を抱えながら物語は進む。思春期という中学生は何を思い、何を感じるのか。思い出とはなんのか?を問いかける。主人公はできるだけ会話に参加しないようにした。「」で書かれた主人公の言葉は『チョコが……』の重要シーンのみである。主人公目線で物語が進むが、あえて主人公が会話に参加する描写を控えた。主人公の祖父母の名字、両親の名字と名前も一切出てきていないのが、この物語ポイントです。 

植田晴人
偽名。アイディアが稲妻が走るように出てくる。

『孤独』note 植田晴人 2022

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