#54 社会人編 〜ドライブを楽しむ〜
私は車でドライブすることが好きである。
世の中にはこの趣味に関して、共感してもらえる場合と全く共感を得られない場合にはっきり分かれている気がする。
私は当然前者なわけだが、後者を選ぶ人の気持ちも周りの友人達の主張から一応は理解している。
友人Aは、
「ドライブなんてガソリンの無駄じゃん。お金をできるだけかけないように車に乗りたいね。」
と言い、友人Bは
「車って、目的地までの移動手段じゃん。なんでそんなものにお金と時間をかけるのか、全くわからない。」
と言い、友人Cは
「車なんて税金の塊。自由な交通手段もせめて原付があれば十分。車は高いよ。」
と言う。それぞれ三者三様な回答だが、まあ確かに一理ある。
しかし、その上で反論したい。車は魅力的な乗り物であると。
その魅力はいくつかある。一つには操作する楽しさだ。
運転とは一度に両手両足と目、そして頭をフルに使って操作しなければならない。慣れてしまえばどうってことはないが、教習に行き始めたばかりの頃は、世の中の車を運転しているすべての大人を尊敬した覚えがある。
「なんで、体すべてを別々に動かせるんだ?平気な顔して運転していたけど、運転できる人はみんなすごい!」
とまあこんな具合だ。まだ19にヒヨッコだったからかもしれないが、それくらい感動したのだ。
そして免許を取ってだいぶ経つのでは今では私も一般的な運転で困ることはまずない。
免許自体もMT車で取得しているので、ギアやクラッチの操作も割と得意なのだ。
そうするとやはり、うまく操作できる楽しさを感じる。それは何も、プロのレーシングドライバーのようなタイムレコードを出す完璧な操作とかそういうことではない。
乗っている人が快適に感じるようなブレーキやアクセル、ギアチェンジにハンドル操作など、車の挙動を掴んだ運転ができると非常に気持ちが良いのだ。
そう、車とはただの移動手段ではなく楽しさを感じられる乗り物だと言える。
二つ目には、プライベートな空間で移動できることだ。
朝の通勤ラッシュの電車に乗る方達を見てよく思う。
「毎日あんなぎゅうぎゅうになって通勤するなんて、大変そうだな。もっとゆったりと通勤したくないのかな。」
と。
まあ、好きでぎゅうぎゅうになって通勤しているわけではないと思うのだが、あの風景を見るたびに、朝からなんだか疲れそうだと勘繰ってしまう。
私は現在車で通勤しているので、基本的に満員電車に揺られるようなことはない。渋滞に巻き込まれる心配はないとは言い切れないが、時間帯と選ぶ道さえ気をつければ渋滞もたいした問題にはならないのだ。
余裕があると、朝から美味しいコーヒーを飲みながら職場に行くことができるし、ちょっとした身支度であれば車内で行えることもある。
これは、電車組に比べ大きなアドバンテージになるだろう。
そして三つ目として個人的な要素でもあるが、大声で歌を歌えることである。
車の中は大きな音さえ気をつければ、割と防音が効いている。そうでなくても走行中であれば、隣や前後の車が音楽をかけているかなんて、いちいち気にしている運転手はいない。
つまり、好きな歌をかけ放題の歌い放題なのだ。
それで運転が疎かになってしまうのはダメだが、気持ちを整えたり気分を上げたりするには非常に効果的だ。
まあ、窓ガラス自体は普通のガラスなので、見られることについてはちょっと周りの目を気にする必要もあるかもしれないが。
一回それで、私は失敗もしている。
以前私は職場からの帰り道で、仕事に対するストレスが最高潮に達したので、ここぞとばかりにヘビィメタルを入れ、ガンガンに歌いながら帰っていた。
赤信号になったので停車し、止まっている間ヘドバンでもしながら歌にノリにに乗っていたわけだが、なんだが視線を感じる。
どこからだろう…とふと目を右に切ると、隣の車線で停車していた車のサラリーマン風の男性が、こっちを見てわりを本気のトーンで引いているではないか。
まあ、それもそうだろう。
停車してふと隣の車を見たら、そこのドライバーがめちゃめちゃに頭を振りながら何か歌っていたら、私だってドン引きする。
そんなこんなで失敗もありつつ、でも車の中では色々曲をかけては歌うことが好きなのだ。
これも車だからこそできることだろう。
そんなわけで、私はドライブすることが好きだ。
わざわざ目的もなくただ走るだけ、ということもよくやる。創作する時の良いアイデアなんかも、こういったドライブをしている時に思い浮かぶことが多い。
車の運転は非常にメリットが多いのだ。
もちろん、最初に反対派にいた友人達の意見もごもっともだが、私はこれからも車の運転をし続けたい。
できれば、歌っている姿を誰にも見られないといいなと思っている。