見出し画像

老舗企業の広報として大切にしたい「歴史」のこと

ロート製薬の広報としてまもなく5年になる。「広報らしい」仕事は一通り経験させてもらったなかで、昨年はまた新たなフェーズに入っていった。実はその後も出来事に恵まれ、前回8月に書いたnoteがもはや恥ずかしいくらいに。

実は最近やっと「歴史ある会社の広報として大切にしたいこと」が見えた、と感じるようになった。私自身もまだ道半ばであるが、8月のnoteよりもグッと解像度が高まったので記してみることにする。

大前提、会社によって状況や取り組むべきことも変わってくる。もしかして他の会社では当たり前なのかも…と不安な気持ちもありながら、これをきっかけに、歴史のある会社の皆さんとつながれたらいいな…と思っている。また、これからさらに歴史をつくっていこうとするすべての会社の広報の皆さんへの転ばぬさきの杖になったらいいな、との想いも込めたい。

この1年の前段にあった「想い」と「葛藤」

現在の仕事では、新たな発表のリリース作成や取材対応、社内報や社内メディアの記事を書いたり。目の前のことに追われる日々だが、会社には123年にもわたる歴史が息づいている。部門や拠点を超えたコミュニケーションが活発な社風もあり、過去の出来事や大切な想いもよく耳にしてきた。しかし他にも語られるべきものは多いにあるだろう、と容易に推測できた。

さらに遡ること数年前、私は本業を外れ、東北で復興支援活動をしていた。現地で出会う人に自己紹介をする度に「すごい会社ですね」といただく日々。(今となっては会社に申し訳ない気持ちだが)当たり前だと思っていたことが、そうではないことに気づいた瞬間だった。皆さんが口を揃えて言ってくださる、その「すごい」が何なのか?探究したいとの想いもあった。

広報へ異動後、その個人的な想いに周囲の後押しもあり、2018年には会社の新たな挑戦を背景とともに発信することを試みた。しかし目の前のことに追われると、大切だけど緊急でない仕事は優先順位が下がる。孤軍奮闘するなかで次第に時間を割くことが難しくなり、この仕事から遠のいてしまった。「スタートしたけど止まってしまった」消せない事実に、やるせなさ、後ろめたさを募らせていた日々だったのは言うまでもない。

たまたま訪れた転機から取り組んだ「数々のこと」

転機は昨年の春。ある長期にわたる取材を担当することになり、会社の歴史に向き合うことになった。100年史を読んだり、当時を知る大先輩に話を伺う。当時の社会背景も異なるなかで、想像力を掻き立てて、会社の変遷に触れる日々が続いた。

時を同じくして、部署を超えても同じ課題感を持った仲間ができたこともあり、noteの構想が固まっていった(noteに関する振り返りはまた公式noteでできれば…と思い、今回は割愛させていただくことにする)。

さらには偶然にも、広報が主幹になって制作する社内報が200号の節目を迎えるため、秋頃から特別号を作成することに。媒体は違えど、春からのこの一連の取り組みに相乗効果をもたらせたら…との想いで、制作の中心に立った(3月下旬に配布予定、ドキドキ)。

さらには冬頃から、部署を超えた有志の仲間で歴史を振り返る時間をつくると、留めておくもったいなさを感じるほど盛り上がった。他の仲間に共有しよう、と「123年間の挑戦の軌跡」を伝える動画をつくることにもなった(タイトなスケジュールだったが、2月の創業記念日直前に公開すると、たくさんのうれしい反響があった)。

これまでも意識してやってきた、リリース作成や取材対応などの仕事とともに社内でアンテナを張り、時に流れを見たり、部門を超えた仲間と会話を重ねること。今年は、そこから全く予想していなかった「さらには」との流れを掴むことができ、自然と会社の歴史にとことん向き合う1年となったのである。

そうして今回、ある世界が見えたのだった。

過去の同じ取り組みにはなかった今回の「ポイント」

そもそも定期的に全社員で会社について考え、意見を交わす文化がある私たち。また広報として何度も「ロートらしさ」について考え、言語化していた。それでも今回は、これまで以上に解像度が高まり、また自分の身体にもストンと落ちる感覚がある

そんな1年間を私なりに表現すると「会社の歴史を仲間と辿りひもとく旅」。

歴史を知ること。さらには数々の歴史から今や未来にも通じる要素を抽出すること。

この取り組みを通じて、この会社が過去から大切にしてきたブレない要素が、鮮明な背景も伴った言葉として浮かび上がるようになった。まだ言語化できそうな感覚もあり、今が完璧な言葉ではない。「あくまでも仮説…」と思いながらも、今後も向き合う予定だ。

ちなみに今回100年史を読み返してみた時に「歴史を知っていたようで知らなかった」と気づいたのだった。これは正直、これまで4年半の広報活動を反省せざるを得ないほど。薄れていく記憶に、今回は「だから今がある」との文脈で過去に向き合い、解釈を考える歴史の辿り方をしていったことは大きかったように思う。

言葉は一つとってみても、定義やニュアンスが一人ひとり異なる。簡単なようで難しい。会社を表す際によく使う「自由」「挑戦」も、その言葉を使う根底の想いは、実際にはバラバラなんだろうな、と思うことも多々あった。しかし今回、その言葉を成り立たせた具体的な出来事や想いをも共通認識とすることで、できる限り近しいニュアンスで言葉を捉えることができるのではないか、と確信に近い希望を持つようになった。

もちろんこれは、一連の取り組みをした私の所感である。1,500人いる会社の仲間も1,500人それぞれの想いがあり、濃淡も異なるだろう。さらに定量的にどう測るのか?と聞かれたら困ってしまうくらいに感覚的。しかしこれまでずっとモヤがかかっていた目の前の風景に、少しずつ光が差す感覚があるのも事実である。

ちなみにこの一連の取り組みから、仕事における視野の広がりや深まりを感じるようになった。広報の他の仕事でも活かせそうなポイントがたくさん見えるようになり、少しずつだが他の仲間を巻き込み取り掛かることに。さらに広報以外でもやりたいことができ、新たなステージにも立つことになった。

挑戦がきっかけとなった「新たなステージ」

実は、3月から本籍は広報のままに、人事領域にも幅を広げることになった。もともと興味があったが、この1年間で想いがさらに強くなったので、「やってみたい」と声をあげていたのである。

過去の歴史を振り返ってみると、どの時代も、一人ひとりの活躍が会社を支え、時代の少し先をいく新たな転換期をつくっていた。お客さま・世の中とつながる商品やサービスを生み出すにも、人がなければ成り立たない。これまで以上に複雑化する社会だからこそ「人・組織づくり」にも携わり、発信をしていきたい。

組織が大きくなるなかで、バックグラウンドも豊かになってきており、いいこともあるが課題もある。すでに社内コミュニケーションの一環でさまざま取り組んでいるが、もっと別のアプローチも必要である、と感じるようになった。

部門を超えて有志で動ける社風もあるが、部門に入るからこそ見えることもあるため、あえて兼務の希望をしていた。今後は全く想像ができないが、私にとってはまた新たな一面を耕す1年になりそうだ。

最後に

ここまで書いておきながら、他社さんではどのように歴史を今、未来へとつなげているのだろうか…こんなこと当たり前なのだろうか…と不安が大きくなっている。

決して過去に固執するわけではない。しかし今につながる思考やプロセスが、時に何かの指針やヒントになるかもしれない。

この立ち位置はよくいう「インハウスエディター」であると認識しているが、会社に属する以上「会社の歴史だけでなく、背景にあるものを理解・解釈していることの大切さ」をつくづく痛感させられた時間だった。広報として社外のハブである以上はなおのことなのかもしれない。

歴史があればあるほど、時間もかかるし難しい。それでも一番若い今やるに越したことはないし、未来に向かう以上、終わりはない。

すでに書いている通り、この一連の取り組みは私一人ではできなかった。喧々諤々しながらも同じ目標に向かって取り組む仲間、快く協力してくださった先輩方をはじめとするたくさんの方々あってこそ(実際にはまだすべてが形になっていないが)。皆さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。

実は私の性格もあり、内に籠りすぎ背追い込みすぎて、体調を崩してしまい、仕事をしながらも健康とは?と改めて考える時間でもあった(そこからの学びも多い)。総じて「たくさんの気づきがあった大切な時間」だった。

*******

想像もしていなかった1年。「自分のやりたい」気持ちを外に発信し続けること、さらには時に来た流れにとことん乗っかってみること。それが新たな道をつくるきっかけになるのだと確信をした。

これからも、自分のやりたい気持ちと共に、時には来た波に乗っかってみることで訪れる人生を楽しんでいきたい。

この記事が参加している募集

やってみた

ありがとうございます。今の私はたくさんの人生の先輩方にお世話になったからこそだと感じています。いただいたサポートでは、後輩が迷った時に話を聞く際のカフェ代に恩送りさせていただきます。