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自己中ではなく、個人の尊重?  フランスドラマ「6人の女 ワケアリなわたしたち」

私にとって、旅は必ずしも移動を伴わない。
 
ドラマも、それを観ている間は、今いるここから、私自身の人生から離れられる「旅」の1つだ。

海外ドラマは当然だが海外が舞台なので、日本のドラマ以上に現実から離れやすく、旅感もより強く味わえる。
以前は随分とお世話になったものだ。
 
最近は以前ほど海外ドラマを観なくなったが、NHK日曜11時からの海外ドラマ枠で放送されていた、フランスのドラマ「6人の女 ワケアリなわたしたち」は結構面白く、考えさせられもした。

がんを患う6人の女性が、仲間の遺灰を山頂から撒くために山登りをするのだが、彼女たちはがん以外にもそれぞれワケアリで・・・という話。
 
がんで治療中の女性たちが山登り?!
しかもその山が高尾山レベルどころか、富士山レベルですらなく、登るのに5日ぐらいかかって、尾根伝いに歩いちゃったりもするような、マジでハードなやつなのだ。
 
絶対日本では考えられない、あり得ない設定。
だけど段々と、この人たちだったらそんなにあり得なくもないかも、なんて思えてくる。
 
何しろ夫を車で轢いたり、飛び降り自殺を図ったり、彼女たちが実に奔放というか、ハチャメチャなのだ。
 
「私、私、私」が強すぎて、「なんて自己中なんだ」という意見もありそうだが、「私がどうしたいか」が一番大事、という考えが彼女らの大前提にあるように感じられた。
 
これはつまり、自己中というか、日本人とのメンタリティや価値観の違いであって、フランスにおいては、「個人」とか「個人の意思」が何よりも尊重されるということなのかなと思った。
 
そして「個人」が尊重されるということは、自分で下した決断の結果を負う責任と覚悟もいるということだけれど、それだけではなく、自分のことを決めてもいいのは自分だけ、その判断を他人にゆだねることも、他人が勝手にすることも許されない、ということでもあるように感じた。
 
だから彼女たちも、自分の考えを好き勝手に言ってはいるけれど、誰かが確固とした自分の意志を示した時には、それを尊重し、受け入れていたように見えた。
 
自分がそこまで「個」を確立できるとは思わないし、私の周りが彼女たちみたいな人ばかりだったら耐えられなさそうだけれど、この価値観というか、メンタリティに共感する部分もあって、私は彼女たちのことをそんなに自己中だとは思わなかった。
 
ただ、インド帰りで、いつも穏やかでやさしいヴァレリーが、個人的に推しだったのは、みんな「私」が強すぎるだけに、日本人の私には彼女が心地よかったからかもしれない。

それと、ハチャメチャな展開も多かったけれど、硬軟バランスの取れた人間ドラマで、シリアスな部分として、終末期について考えさせられることも多かった。
 
このドラマの最終回の前に、もう治る見込みがなく、悩み抜いた末にスイスでの安楽死を選んだ母と、その意思を尊重した夫と娘2人のドキュメンタリー、「私のママが決めたこと ~命と向き合った家族の記録~」を観た。
 
母の決断に、夫とまだティーンの娘たちには、カメラで映されていた以上の葛藤があったと思う。それでも、家族はよく話し合い、最後には母の決断を受け入れた。
そしてカメラはその看取りの時にも回っていた。
 
「ありがとう」と「大好きだよ」に満ちたその最期の時について、他人が言うことなど何もありはしない。
 
ドラマの最終回に、自身もがん患者で、医師でもあるパティが語ったのが、
「救うのと、苦しみを長引かせるのは紙一重。」
「患者本人がやり切ったと思うなら、見送ることも必要。」

という言葉。
 
タイミング的には偶然だったのだが、あのドキュメンタリーを観た後では、パティの言葉はすごく重くて、でも私には腑に落ちた。

それからこのドラマは景色などもとてもよく、観ているだけで自分も彼女たちと登山をしているような気分になれたのがとてもよかった。
「山」が随分日本のそれとは違うと感じたのと、無人の山小屋がどれもきれいで、トイレとかシャワーとか、キッチンとか設備が整っているのに驚いた。
 
本当にあんな何日もかかるような山で、あんなまともな山小屋なのだろうか。だとするとヨーロッパの山ってすごい整備されていると思う。
 
山から帰った後の彼女たちのことをもうちょっと知りたかったけれど、そこをあえてこちらの想像に任せ、幸せそうな姿だけを見せた余韻のある終わり方も良かった。
 
ヴァレリーの秘密には驚いたが、それをふまえてもう一回このドラマを最初から観てみたくなった。
でも、配信とかされておらず、観る術がないようで、それがとても残念だ。
 
 

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