見出し画像

街録chインタビュー動画を見て、私が思うこと。【人に与えられる自分になるには?】

どうもこんにちは!自称アダルトチルドレンのはるねずみです!

って、そんなことこんなふうに明るく言うもんじゃないですよね(・ω<)笑

ちょっと難しそうな、かっこつけた感じの題名にしてしまったので、少しふざけてみました!

でも、今日は少し真面目に語ってみようと思います。

ちなみに今いる場所はこちら、札幌大通西三丁目にあるドトール2階の窓際の席です。

【全粒粉サンド】大豆のミート ~豆と野菜のトマト煮込み~ とブレンドコーヒーMサイズ(計750円)


今日は用事があって街中に来ていたのですが、昼前に終わって、そのまま帰るのももったいないなぁと思って、大通公園を少し散歩していたんですね。

で、案の定お腹がすきまして…

気温26度、雲の隙間から日差しが降り注ぐ良い天気だったので、外を見ながらコーヒー飲みたいな~と思い、ここを選びました。

全粒粉のパンは噛みごたえがあって、大豆ミートもプリプリ食感で美味しかったです。

スライストマトやひよこ豆?も入っていて、脂質抑えめでしっかり栄養が摂れるし、お腹も膨れるいいメニューだと思いました!

何より、ここのドトールは大通公園が目の前にあるので景色も良くて好きです。

カウンター席だけどコンセントが無いのがたまにキズではありますが……


- - - - - - - - - - - - - - - - - ✄

沖縄旅行記事の更新停滞の言い訳

本題に入る前に…

沖縄旅行の紹介記事、公開からそこそこ日が経っているにも関わらず毎日スキ!を頂いていてめちゃくちゃ嬉しいです!  

ありがとうございます!!!( *´•ω•`*)

さらに、note公式さんの「国内旅行まとめ」のマガジンにも追加いただいたりもして浮かれまくりです!

ただ…

そうなってくると、私の性分的に「クォリティーの高い、参考になる情報盛り沢山の記事にしないと…!」と勝手なプレッシャーを感じてしまい、その後更新できずにいるのはここだけの話です。笑

フォロワーさんがついに100人(3桁)突破したのですが、きっとその中には、そうした観光関連の情報を楽しみにしてくれている人も多いのではないかと思います。

なので余計、そういう話題をコンスタントに発信できていないことについて、これまた"勝手に"罪悪感?を覚えている私です🦔

すこし言い訳をさせていただくと…

私のnoteはもともと「自分の内面と向き合い、それをさらけ出せる場所」として始めたものでした。

不幸自慢がしたいわけでは決してないのですが、過去を振り返りながら今目の前にあること、感じたことの意味を考えたり、過去を捉え直すことが目的なんですね。

だから、「昔こんなことがあった~」とか「こんな事で今悩んでる」みたいな、ジメジメした湿っぽい話題が多くなりがちです🤣🤣笑

なので、フォローしてくださった方の中には、ギャップを感じる方もいるかもしれません。

フォローするもしないも外すも、当たり前ですが読む方のご自由です!

テンションが異様に高かったり低かったり、ジェットコースターみたいに起伏の激しい私ですが、そういう部分もひっくるめて、本来の自分をさらけ出すことで、一人でも多くの方と心を通い合わせることができたらいいな~…と、思っています。

もちろん、沖縄旅行の記事は引き続き更新していくつもりです!見てほしい写真がまだまだ沢山あるので!!🥳笑

という訳で、言い訳はここまで…  

楽しみにしてくださっている方、更新まで引き続きお待ちいただけたら嬉しいです🦔❣️

✄-------------------‐-------------------‐------✄‬

YouTube街録チャンネル

私が登録していて、普段よく見ているYouTubeチャンネルのひとつです。

三谷さんという男性の方が、一般の方から芸能界関係などで名の知れた方まで、壮絶な経験をしてきた人を中心に街頭でインタビュー取材する動画をUPされている、YouTubeで人気のチャンネルです。

最近は芸能人の方も多く出演されていますが、少し前までは一般人の方が中心でした。

動画のスタイルとしては、街中で待ち合わせをして合流後すぐにカメラを回し、生まれたところから現在に至るまでの経緯を事細かに質問しながら、その人の苦労した経験などに焦点を当てて、個人史を辿っていく、というものです。

出身地や年齢、家族構成や両親の仕事、学校でのことなど…とにかく詳しく、取材対象の方を深堀していくんですよね。

出演される方は基本的に自分から、三谷さんへ出演依頼をします。なので、皆さんあらかじめ「動画を通して自分が視聴者へ伝えたいメッセージ」みたいなものを持っています。 

ただ、いきなりその本題には入らず、まずはその人のことについて知るところから始まるので、かえってその方が、「その人がどうして今そういう発信をしたいと思うのか」を視聴者が理解して受け入れやすくなるんですよね。

三谷さんが質問する内容も、 結構際どいというか核心に迫るようなものも多くて、「えっ、そんなこと聞いちゃって大丈夫!?」みたいに感じることもしばしばです。

でも、だからこそ、リアリティがあって面白いんですよね。

外での取材なので、通行人が映りこんだりもしますし、公園で遊ぶ子供たちの声やカラスの鳴き声なども聞こえてきたりして、それがより、「自分が生きている世界で本当に起きていることなんだ」と身近に感じさせてくれる要素にもなっているんです。

ただ、本当に色んな人を取材していて、皆さんそれぞれ目的を持って出演依頼を申し出ているため、中には「この人の言うこと信じて大丈夫…?」「動画に出していいの?」と心配になることもありますが…

だから、私もこのチャンネルを全肯定したり、超オススメ!みたいに言うことはしませんが、一人一人の話をじっくり聞くことで、自分自身の経験を重ね合わせて振り返ったり、考え方や価値観をアップデートすることができるので、そういう意味で好きなチャンネルです。

というわけ今日は、ここ数日で見た2本の動画から、私が考えたことを話そうと思います。



自分を捨てた両親探す 施設育ちの30代男性

夫婦で売春を生業として、定住先を持たずにその日暮らしをしていた両親のもとに生まれた男性。

10年前に携帯を変えた際に連絡先が消えてしまい、その後両親との連絡手段が無くなったことから、現在は自身のYouTubeを通して、友人に協力してもらいながら両親を探す活動をしているそうです。

探す理由について、自分のルーツを知りたい、曖昧な記憶について真実を知りたいということでした。

今は両親に対して恨む気持ちはなく、再会ができた暁には泣きながら抱きしめたいと語っていました。

2歳のから施設に預けられ、18歳までの16年間を施設で過ごしたそうです。

個人で売春業をしていた両親のもとで、認識できているだけでも5~6人の兄弟がおり、いずれも生まれて早い段階で施設に預けられ、自分たちのもとへ面会に来ることは何度かあったものの、「迎えに来る」「一緒に暮らす」という様子は見えず、男性も次第に諦めていったと話していました。

男性が預けられた施設は酷い虐待があったことで世間で知られていて、親に捨てられたことだけに留まらず、人には簡単に話せないような辛い経験を重ねられていました。

恋人ができても、「施設で育った」ということまでは話せても、「両親が売春で生計を立てている」「兄弟が実際何人いるか分からない」といったことは話せなかったそうです。

私はまずここに共感しました。

「自分のことについてどれほど深く話せるか」の度合いは、「相手との親密さ」と必ずしも比例するわけではないんですよね。

他の人よりも親しく、自分にとって存在が大きい相手こそ、真実を打ち明けることで「離れて行ってしまうのではないか」「拒絶されるのではないか」「重荷に感じさせるかもしれない」という不安から、どこまで話すべきか(話して良いのか)には、慎重になるものだと思います。

20代の頃の私は、その点でとても未熟でした。相手に対する思いやりや配慮に欠けていたんです。

「自分のことを全て知ってほしい」
「話さないことは嘘を隠し事をしているのと同じ」
「ちゃんとわかった上で一緒にいてほしい」

そんなふうに考えて、家庭環境や過去の恋愛の失敗など、あらゆる経験を包み隠さず、事細かに話していました。

今思えば、それはとても自分勝手で、「話して自分が楽になりたいだけ」だと思います。 ただ、当時の私はそれこそが相手にたいする「誠意」であり、愛情表現だと考えていたんですよね。

でも、これはあくまで「恋人」「親友」に対してのことであり、友人や学校の先生などには、ある一定以上話すことはしていませんでした。

話しても困らせるだけだと思っていたからです。

それでも話の流れ的に過去や家庭環境に触れなければならない場面では、「ここまでなら話せる」という範囲で、自分で"笑いながら"話していました。

内容がそもそも「引かれる」「心配される」ようなことなので、それを深刻な面持ちで話せば、「心配してほしがっている」とネガティブに捉えられると思っていたからです。

だから意識的に「全然気にしてないけどね!」というニュアンスをまじえる必要があったんですね。


話を動画のことに戻します。

5年交際し、結婚を意識するような女性がいたそうですが、施設で生まれ育った男性は、施設を出て初めて見る広い世界への好奇心から、色々なことへ挑戦してみたい気持ちが生まれたことや、「もしも結婚して子供が産まれたとしたら、自分が経験したような辛いことを子供にも経験させてしまうのでは…」という不安から、結婚に踏み切ることは出来ず、交際解消に至ったということでした。

この方限ったことではないですが…

男性のように、家庭環境や生い立ちが複雑だった人、やむを得ず道をはずれてしまった人には、「家庭や子供を持つこと」を自分から諦める人が多いように思います。

私もそうでした。

子供のころは、20代で結婚して子供を産んで…ということに憧れていましたが、大人になり、色々な失敗や挫折を経験しながら「自分には無理だ」と悟っていったんです。

結婚しても、相手を心から信じて一緒にい続けることは私には想像しがたいことでした。

最初にお話した通り、私は感情の起伏がとても激しく、疑り深い性格でもあります。

結婚という約束を交わしたとしても、それだけを理由に平穏に過ごせる自信がなかったのです。

ましてや、「子供」についてはもっと難しいと考えていましたし、今もほぼ諦めています。

夫の優しさや支えのおかげで、なんとか結婚生活は平穏無事に続けられているものの、この動画の男性が語ったのと同じように、「自分が経験したことを子供にも経験させるかもしれない」という心配は拭えません。

普段から怒りや不安の感情と向き合い、ストレス発散しながら心の安定に努めていても、どうしても抱え込んでしまったり、それが爆発したり、しばらく立ち直れなかったりするということは今もよくあります。

自分一人のことですらコントロールしきれておらず不安定な状態なのに、自分を後回しにして子供のために…なんてことをできる自信が持てないのです。

それに、私の場合は、もしも妊娠したり子供が生まれても、親や親戚などに頼りづらい状況でもあります。

妊娠や出産後すぐは、里帰りしたり、子供が大きくなるまでは実家に預けて面倒を見てもらったり…という方も多いと思います。

その点、私はそういう頼り方はできないと考えています。

難しく考えすぎかもしれないし、もしかしたら「(母親として)完壁にやらなきゃ」と気負う必要はないのかもしれませんが…

でも、もし万が一産むとしたら、自分みたいな経験をさせたくないし、社会で苦労することのないようにしてあげたいと思ってしまうんですよね。

トラウマを抱えていたり、家庭環境が良くなかった人であっても、子育てをしながら成長したり、過去についた傷を癒していける…という話も聞きますが、正直まだ前向きに考えることは難しいです。

仕事、自分が身を置く環境や人間関係を変え、少しずつ良い方向へ変わってきましたが、それでも今は自分のことと、夫を大切にすることでやっとです。

これからもそれは変わらないかもしれないし、そもそも"年齢的"に諦めざるを得ない時期がそう遠くないうちに訪れます。

でも、もしそうなったとしても、「諦めた」「自分にはできなかった」というネガティブな捉え方ではなく、「それで良かった」と思えれば良いのかなと思います。

夫にそっくりな赤ちゃん、子供がいたら絶対可愛いし、夫と二人で一生懸命お世話するところを想像するだけであたたかい気持ちになります。

子供のいる人生は素晴らしいものだと思うけど、いないならいないでも、自分で工夫しながら同じくらい楽しく、充実した人生にできるようにエネルギーを注いでいきたいです。


と、また話を動画に戻します。

この動画を見て、一番強く感じたこと、ここで話したいと思っていた"気づき"があります。

それは、「自分のことを人に話すことの意義」についてです。

特に、この男性のように家庭環境に恵まれなかった人は、自分のことを打ち明ける相手や場所が必要だと思いました。

なぜなら、それによって、自分の中の固定観念が覆ったり、誤った認識を正すことができたり、不必要な罪悪感や重圧から自分を解放することができる可能性がある、と思ったからです。

子どものころ複雑な環境で育った人は、その環境に無理やり適応するために、本来感じる必要のない責任や罪悪感を背負ってしまうことがあると思います。

「両親の仲が悪いのは自分のせい」とか「もっといい子にならなきゃ」とか、「自分が我慢すれば変わるはず」みたいに思い込み、心の限界を超えてもそれに気づかないほど頑張り過ぎてしまうようになるんです。

その「頑張りすぎる」「いい子でいようとする癖」が染み付いて、大人になっても抜けずにいると、社会に出たときに「生きづらさ」に変わるのだと思います。

で、つまり何が言いたいのかというと…

自分が「当たり前」「大したことじゃない」と思っていることも含めて、経験してきたことや生い立ちについて誰かに話せば、

「それはおかしいよ」
「あなたがそこまでする必要ないよ」
「あなたは悪くないよ」
「それは当たり前なんかじゃないよ」

と、教えて(気づかせて)もらうことができるんです。

どんなに、自分一人で一生懸命戦って、自分自身と向き合って考え続けてきた人であっても、「人から言われて初めて気づく」ことがあるはずです。

常識や当たり前だと思っていることほど、自分で疑ったりしないものだし、上記のような生き方をしてきた人ほど、自分で築き上げてきたことや経験、考えについて確信を持っていることが多いと思うんですよね。

自信を持つことは本来素晴らしいことなんですが、それが原因で自分で自分の首を絞めているとしたら…

他人の力を借りて、それを緩めてもらわなきゃいけないと思うんです。

ただし、先ほどお話ししたように、そういう過去の経験を包み隠さず話せる相手やシチュエーションは限られています。

誰彼構わず話しても、それによって相手に嫌われたり距離を置かれてしまいかねません。そうなったら悲しいですし、その後悔から余計心をふさいでしまうかもしれませんよね。


だから私が思いついたのは、

「もっと気軽にカウンセリングに行こう!」

ということです。


昨年秋頃に、実際私も通った経験がありますが、本当に行ってよかったと今でも思います。

具体的に問題が解決したとか、自分が別人のように変わった!ということはありませんでした。

それでも、今までの人生では有り得なかったほど、事細かに自分について他人に話し、誰にも話さずにいた経験をも打ち明けることができました。

カウンセラーの先生は、そうした秘密を決して外部にもらすことはしません。


それに何より、カウンセリングを受けるにはそれ相応の「お金」がかかります。私の場合は一回70分で7,000円でした。

決して安くはないですし、これは一見「デメリット」に思えます。

だから、こんなふうに考える人も多いと思います。

「高いお金を払ってカウンセリングに通わなくても、友達に聞いてもらえばお金もかからない」
「話を聞いてもらうだけならネットの匿名掲示板やチャットで事足りる」
「自分を知っている人に相談したほうが具体的なアドバイスがもらえる」
「相談してもどうにもならないし、他人に話す必要はない」

確かにそれもそうだと思います。特に、悩みの種類によっては三つ目の方法が適している場合もあるはずです。

かく言う私も、ずーっとこんなふうに考えてきました。

どんなに辛い時期でも、カウンセリングに通うためにいくら必要なのかすら調べたことはありませんでした。

でも…

実際にカウンセリングに通ってみて、それから時間が経って今その時のことを振り返って、そして今回この動画を見て、改めて「カウンセリングに行く意味」に気がついたんです。

というのも、この動画の中で男性が施設で目にした虐待について思い出しながら例を挙げて話す場面があるのですが、流暢な言葉ですらすらと話す男性にたいし、インタビュアーの三谷さんが驚いたリアクションをしてツッコミを入れるんですね。

すると、その反応を受けた男性がハッとした顔で、「確かに、今思えばすごいことですよね」と口にするんです。


この男性は、初めから終わりまで、自分の人生について話しながら、思い出して涙ぐんだり言葉を詰まらせるようなことは一切ありませんでした。

過去と現在の間にしっかりと区切りをつけ、自分の中で乗り越えてこられたように見えるんです。

つまり何が言いたいかと言うと、他人事のように自分の過去を話せるような人であっても、今もなお「尋常ではないこと」を「なんでもないこと」のように認識しまっている部分があり、他人に指摘されて初めて気づかなった、ということです。


動画の中のほんの一場面ではありますが、この反応を見て私は、「過去を乗り越えることができた」と思っている人も含めて、自分のことを話す意味があるんだと思ったんです。

もちろん、「今の自分が大好き!」で自信に満ちていて、人間関係で苦労するなどの悩みや問題を抱えていないのであれば、わざわざ打ち明ける必要は無いとおもいます。

あくまで「生きづらい」と思っている人にたいして、そう思うんです。

「いつも同じことで悩んだり失敗してしまう」
「自分に原因があるのはわかってるけど、何をどうしたら(変えたら)良いかはわかない」

こんな風に思っている人は、一度カウンセリングで話を聞いてもらうといいと思います。

そうすることで「生きづらさ」の正体を、たとえ一部でも掴むことができるはずです。

また、お金を払うことによるメリットは、「相手に気を遣わずに、話したいことを話せる」という点にあります。

友達や恋人、家族などに話すときには、どうしても相手の負担を気にしてしまいがちです。

お互いの立場や、現在~未来の関係性について考慮した上で「どこまで話すべきか」を、自分の判断で制限してしまうと思います。

そもそも「何が当たり前でそうでないか」が曖昧な自分に、そういう判断や決定を委ねては、根本的な原因を探るのは難しいのではないでしょうか…?

安くない「対価」を支払うことにより、その時間はカウンセラーの先生にも自分にも、メリットが生まれます。


また、たとえ数回、あるいは長期にわたって通うことになったとしても、カウンセラーの先生はあくまで「他人」です。

話を聞いてもらい、他では聞けないようなアドバイスをもらって、心を軽くしてもらったり問題解決のきっかけを与えてもらったとしても、関係性は「カウンセラーとお客さん」であることは変わらず、それ以上でも以下でもありません。

ドライな考え方かもしれませんが、そうしたある意味「割り切った関係」だからこそ、

「こんなこと打ち明けたら引かれるかな」
「性格悪いと思われるかな」
「嫌われたくないからこれは秘密にしておこう」

のような駆け引きは無用です。


人間関係に悪影響を及ぼさない場所で、自分一人で背負ってきた荷物を下ろし、自分の責任の範囲を正しく知ることができます。

感じる必要のなかった罪悪感を手放すことで、自分を今より好きになれます。

そうしたら、自分が人から好かれたり大切にされることを、素直に受け入れられられるようななるはずです。

自信がついて、人を信じられるようになれれば、自分を守るために必要だった「攻撃的な性格」「警戒心」も和らいでいき、他人と健全な関係を築けるようになるのではないでしょうか。


優しい人こそ、悩みを人に話せず内に抱えて、自分を責めて一人苦しみ続けてしまうと思います。

でも、そんなことを続けていても、そういう自分を好きになったり楽になることからは遠ざかる一方です。

自分が思っている「当たり前」「大したことない」ことが、本当にそうなのかどうか、確める意味でも、「カウンセリングにはもっと気軽に行っていいんじゃないかな」と、私は思いました。



【参考動画】



性虐待被害者 元ジャニーズJrカウアン・オカモトさん

2本目の動画は、今世間で騒がれている「ジャニー喜多川による所属タレントへの性的虐待事件」を告発した、元ジャニーズJrのカウアン・オカモトさんの動画です。

私はジャニーズにはあまり詳しくなく、今回のカウアンさんの告発をきっかけにほとんど始めて知ったのですが…

「ジャニーズ事務所の闇」についてはこれまでにも告発本が出版されたり裁判沙汰になるなど、一部界隈では話題に上っていたようです。

BBCで大々的に告発を取り上げられた後も、カウアンさんは色々なYouTubeチャンネルに出演し、自分の身に起きた出来事を赤裸々に語られています。

街録チャンネルでの出演動画は前後編に分かれていて、私は両方視聴しました。

両親がともにブラジル人で日本語が不自由であったことや、ジャニーズ事務所に入所するに至った驚きの経緯や先輩からの嫌がらせ、地元と東京を往復しながらバイトを掛け持ちしてダンスレッスンに明け暮れ、凄まじい努力により先輩たちを見返したこと話など、今回の事件に限らず、とても濃い人生の経験が聞けました。


その中でも私の中で特に印象に残ったのは、【後編】の動画の終わりぎわ(40:13 ~)に語られた、カウアンさんの人生哲学でした。

それは、カウアンさんが自分の母校で「多様性」をテーマにお話された内容でした。

以下、動画よりカウアンさんの言葉を一部省略した上で引用し、ご紹介します。

「結論、みんなに知ってほしいことは、自分を愛することだよ。学校や家でも共感し合えない時ってあるじゃん。愛情ってそもそも家族愛で感じやすいけど、家族愛を感じられない人っていっぱいいるじゃないですか。親がゴミだったり、親いなかったりとか。」

「その時にみんなにまず大事にしてほしいのが、帰り道に例えば、学校もダメ、家もダメ。ふとした時にケーキ屋さんに寄りました。で、ケーキ食べました。ケーキ食べたら『めっちゃうまいじゃんコレ!』みたいな。これをみんな軽視するんだよ。」

「ケーキ毎日食べて、最高最高!ワクワクする!って毎日食べてたら、愛情のコップが貯まっていくんですよ、感謝の。これが溢れたら人にあげたくなるんですよ。そこで初めて、パティシエさんになろうかなとか、人にあげようかなとか。それが僕は音楽だったし、溢れたから救われたしあげたくなって。溢れたからいっぱい努力してこうなった。」

「男の子たちモテたいでしょ。モテることだっていいんだよ、それで。音楽が好きなら音楽でも、ゲームが好きならゲームでもいいし。」

「自分のやりたいこと一生懸命やって。そしたら、感謝して溢れた時にあげたらいいよ。差別とかをやめろとか、合わせろとかじゃなくて、自分の大好きなことがあって、救われた感謝してるものがあって、それを溢れるまでやって人にあげることだと思う。」

動画より引用(重複部分の省略など一部改変あり)


このお話を聞いて、「この動画を見て良かったな」と心から思いました。

そもそもカウアンさんの家庭は「親がゴミ」なわけではなく、むしろ真逆であったにも関わらず、「 家族愛を感じられない人っていっぱいいるじゃないですか。」と、自分と異なる立場の人の視点に立って考えられているところが、素直にすごいと思いました。


私も過去、親からの愛情に飢えていて、満たされている人を羨ましく思うことや自分の心の狭さについて悩んでいたときに、

「もらった分しか与えられないんだよ」

という言葉を大切な人からかけてもらい、とても救われた経験がありました。

当時の私は、人の幸せを喜ぶよりも、羨ましく思えて自分を惨めに思う気持ちの方が勝ってしまい、そんな自分に罪悪感を覚えていたのですが、その人は私の心の重荷をそっと下ろしてくれたんです。

この言葉のおかげで、 

「私が自分のことでいっぱいいっぱいなことや、人にしてあげられないのは、私のせいじゃない。」
「もらった量が少なかっただけなんだ。」
「これからもらっていけば、自分も与えられるようになれるかもしれない。」

と、自分を許せたというか、楽になれたんですよね。

この時からもう4、5年経ちますが、今でもたびたび思い出して、自分に言い聞かせるようにしています。


話が少し逸れましたが、この時かけてもらった言葉と、カウアンさんのこのお話がすごく重なる部分があったんですね。 

それだけでなく、カウアンさんのお話を聞いて、

「そっか。"与えてもらう"のを受け身で待つんじゃなく、自分で自分に"与える"こともできるんだ!」
「溢れるまで自分に与え続けて、人にあげるのは溢れてからでいいんだ。」
「自分が足りてないのに、人に無理してあげようとしなくてもいいんだ。」

と気づき、これまで自分を支えてくれていた言葉・考え方を、より心強いものにアップデートすることができたんです…!

いくら、「もらった分しか与えられない」としても、 自分が相手に与えることができていない状態で、人から与えてもらおうとばかりするのは、「申し訳ない」と感じます。

(そういう人のことを「クレクレ」「Taker(テイカー)」などと呼んだりしますよね…)

「自分が人にあげられないのは自分のせいじゃない。冷たい人間と思われたくない…」

と、"自分を許したい気持ち"と"他人からどう見られているかの現実"で板挟みになっていたところへ、まるでカウアンさんが風穴を開けてくれたようでした。


「でも…人のことより自分を優先するとか、自分のやりたいことばかりやるとか、それってワガママで自己中心的と思われそうじゃない…?」

と、私と考え方が似てる人なら、思ったかもしれません。笑

私もこれまでそういう考え方をずっとしてきました。

自分がどうしたいかとかどう感じるかより、相手がどうしたいかどう感じるかの方が大事だし、優先すべき。それが思いやりだし、相手が喜ぶなら我慢も苦じゃないんだ、と。


でも結局それは長続きしないんですよね。

必ずどこかで限界が来て、次第にその人と一緒にいることさえ辛くなるんです。

だって、その人といる時は「我慢」がセットでついてくるんですもん😂🍟🍔笑


私が思うに、カウアンさんの例え話に登場する「愛情(感謝)のコップ」は、現実の水が入ったコップとは少し違って、ほとんど空でも無理やり分け与えることができるんだと思います。

というか、たぶん、そのコップの中には「(自分のために)最低限これだけは必要」っていう量が入っていて、心の健康のために、それは人に分け与えず自分のために取っておかなきゃいけないんですね。

でも、コップに愛情を貯められない人は、無いところから"人にあげる分"を無理くり捻出しないといけなくて…

本当は手をつけちゃいけない、自分のための愛情をも、人に差し出してしまうんだと思います。

そのせいで、自分に対する愛情が不足してしまい、自分を大切に思えなくなったり、自分が好きじゃなくなってしまうんじゃないかなと…

そうやって、なんとか無理くりでも捻出できたとしても、とうとうそれすら尽きて空っぽになってしまったら、自分にも他人にも与えられなくなっちゃうのかもしれません。

せめて、たとえ無理をしてでも"人に与えられる状態"をキープできてさえいれば、人からも同じだけ、あるいは少し少なかったり多かったり、与え返してもらえます。

一方的にあげ続けるのを好む人ってあまりいないと思うので、キッカリ同じ分与え合うことは難しくても、基本的には与えたら与え返す、が健全な人間関係だと思うからです。

だからこそ、いかに自分のコップを完全に空っぽにしないか、自分で貯め続けることができるかどうかが、大切なんですよね。


自論を混ぜ込んだせいでちょっと話がこんがらがってしまいましたが、カウアンさんのこの話を聞けて、本当に良かったです。

自分の気持ちを何より大切に、自分が幸せやワクワクを感じられることに貪欲になって、人に与えるのはそれらが溢れた時でいい。足りてないのに与えようとしなくていい。

そう思うことで、自分の中での"人付き合いにたいするハードル"をぐっと下げられる気がしました。




さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました!

今日は私が普段からよく見ているYouTube「街録チャンネル」の動画2本から、考えたことや気づいたことを語ってみました。

思いのほかじっくり語りすぎてしまって、途中スマホの電池が1%に…!😭

「仕方ない。家に帰ってから続き書こう…orz」

と下書き保存して、トレーを下げようと立ち上がったところ、なんと真後ろのカウンター席に「コンセント」があるではありませんか…!!!

というわけで、そのまましれっとトレーを置いて、鞄から充電器を取り出し、気を取り直して続きの執筆に没頭したのでした…🔥笑

気づいたらもう4時間以上経過してました…アワワワワワ😱


久々にスマホでマシンガン執筆したので、誤字脱字などいっぱいあったかもしれません…orz

にも関わらず、ここまで読んでくださったそこのアナタ…!!!

本当にありがとうございます!😭💓

最近頭の中でぐ~るぐ~るしてたことをやっと話せて、とても気持ちがスッキリしました。

やっぱりnoteは最高だな…


ではでは!

また次回の記事でお会いできたら嬉しいですっ(  ´ω` )/


★オマケ★
札幌大通公園にて、満開のライラック✨
昨日から「ライラック祭り」が始まって、出店もたくさん出て平日昼間でも賑わってました♪̊̈♪̆̈

ちっちゃなお花がいっぱい集まって可愛い~!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?