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はじめまして。

はじめまして!はるねずみと申します。

普段はTwitterをメインに発信しているのですが、もっと自分の心の内を書き残し成長を振り返る場が欲しいと思い、このnoteを始めてみました。

最初の記事ということで、簡単な自己紹介と、noteでどんな発信をしていきたいかをお話してみようと思います。

1.気にしすぎでいつもニヤけてて変な人

平成元年生まれの32歳女性。北海道生まれ北海道育ち。身長150cm。血液型A型。18歳で地元を離れて大学進学し、同時に一人暮らしを開始。大学卒業後は正社員として4社を転々とする。結婚後も事務職を続けるも、心労が重なり体調を崩して退職。現在は、特徴的な声と想像力を活かしてフリーランスの宅録ナレーター・声優として活動中。

両親の離婚・再婚を経験。同じ両親から生まれた弟が1人と、父親の違う妹弟が1人ずついる。4人兄弟の長女。両親(特に継父)の機嫌を取るため愛想よく振舞い、積極的に話しかけることを強いられるうち、人の顔色や行動から感情を深読みする癖がついた。現在に至るまで家族間の問題は絶えない。「仲の良い家族」に憧れがある一方で、懐疑的な面もある。

高校時代は特に友人が少なかったため、ブログインターネットの学生掲示板で同世代との交流にのめり込んだ。言葉や顔文字だけで気持ちを伝え合うコミュニケーションは気楽で、本心を素直に表現できた。

基本的に人を楽しませたり笑わせることが好き。それが悪い方へ働くと、自分の深刻な悩みをもネタにして笑い飛ばすなど自己犠牲に走ることもある。他人との”ほど良い距離感”がわからない、自分が”人とズレていること”が悩み。「まじめ」「考えすぎ」「変わっている」「不思議」とよく言われる。緊張する場面では何故か顔がニヤけてしまうため、「なんで笑ってるの?」とよく突っ込まれる。笑 アダルトチルドレン・HSPの気質がある。

大きな物音や怒鳴り声、周囲の怒りや悲しみによる言動・仕草・声色に反応しやすい。『人から良く思われたい』という気持ちが空回りしやすく対人関係の悩みが尽きない。中学・高校の部活動で孤立した経験から、集団や大人数が集まる場で意見を述べたり感情表現するのが苦手。狭く深い付き合いを望むが本心を表に出せず、その場限りの浅い付き合いに終わることが多い。

HSP(Highly Sensitive Person:非常に敏感な人)とは、外界の刺激や体内の刺激にきわめて敏感に反応してしまう気質を指します。特になじみのない環境では、他の人が感じないほどの些細な刺激でも神経がたかぶる傾向があり、神経系の興奮が長引き、疲れやすくなります。HSPと想定される人は、全人口の15~20%と推定されています。また、高齢になるほど刺激に敏感になりやすく、状況によっても敏感さは変化するといわれています。
HSPは生まれながらに持った気質です。個人差が大きいといわれますが、共通する特性としては「周囲の些細な変化に気づきやすい」「小さな刺激に敏感に反応する」「情報を深く処理する傾向がある」などが挙げられます。

(引用元:https://www.saiseikai.or.jp/medical/column/hsp/)

アダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。ACという言葉は、伝統的な精神医学や心理学の枠組みでの診断名ではありませんが、自分の育ってきた環境、親や家族との関係を振り返って自分自身を理解するための、1つのキーワードとしてとらえることができます。

(引用元:http://www.yamanashi.med.or.jp/tsuru/onepoint/onepoint17.htm)

2.noteで発信したいこと

このnoteでは、私が日々の生活で気づいたこと・考えたことを話していきます。私は、”今”を語る上で必ず”過去”がセットになると考えています。なので、昔話や悩みに触れることもありますが、自分の中でネガティブをポジティブに変換しながら、心境の変化を素直に話したいと思っています。

ここではっきりお伝えしておきたいのですが、私は、自分を”悲劇のヒロイン”のように演出して同情や許しを乞うつもりはありません。また、私の人生に関わった人々(家族・親戚・友達)を責めたいわけでもありません。

私は周りの人と比べて知らないこと、経験がないことが沢山あって、”自分が人と違う”と気づいたり指摘される場面がよくありました。そのたびに、「でも」「だって」「どうせ」と言い訳しては、理解できないことから逃げてきました。だからそんな私には、人に与えられるものなんてない、むしろ足りないものばかり。今までずっとそう思ってきました。

今の活動を始めてSNSにどっぷり浸かるようになってから、いろんな発信を目にしてきました。中でも目を引いたのは、自分の”弱点”を隠すことなくむしろ強み・魅力としている人々の存在です。”自分だからできること”に憧れ続けてきた私にとって、”自分らしさ”を武器に生きている人達はすごく輝いて見えました。また、「自分だけじゃない」「隠さなくてもいい」「欠点ばかりじゃないんだ」という、安心感、前向きな気持ち、勇気を分けてもらいました。

こんな風変わりな人生で、失敗や挫折も人よりたくさん経験したからこそ得られたものがあるならば、それが同じ経験がある人の役に立つかもしれないと気がつきました。というか、そうなってほしいなと思いました。「そういう視点もアリかもな」とか「同じ考えの人がいてほっとした」など、生きやすくなるヒントを思いついたら共有して、安心を与えられたら嬉しいです。

誰かの役に立てるなら、どんな経験も無駄じゃなかったと言えるし、自分を誇りに思えます。否定し続けるしかなかった人生を『これで良かった』と肯定する方法を考え、辿り着いた答えがこれだったんです。・・・う~ん、ちょっと大げさですかね。笑

3.使う言葉に気をつけたい

どんな人にも、心に秘めた悩みや辛い経験があると思います。そして、それを乗り越えるために人それぞれ努力していると思います。だからこそ、弱さを見せる人に対して「その程度のことは誰にでもある」「甘え」「言い訳するな」「親(他人)のせいにするな」という意見・批判もあると思います。

その通りだと思う反面、私は人を辛さを決めつけたくないなとも思います。

「人はリュックサックを背負いながら山を登っている。リュックサックの中には小石が一つずつ詰まっていく。何個目の石でその人が背負いきれなくなるかは他人の目にはわからない。」

大分うろ覚えですが、このような話を昔学校の先生から聞きました。

人は、日々小石(悩み)を背負っていくけれど、リュックサックの容量も背格好も体力もバラバラだから、抱えられる重さには一人一人限界がある。もしかすると、目の前にいる人は既に限界まで背負っていて、あと一つでも石が入ったら倒れてしまうかもしれない。しかもその最後の一つは、他の人からすれば「なんだ、そのくらい」の小さく軽い石かもしれない。だから、悩みの多い少ない、大きい小さいは比べるべきものじゃない。これが私の解釈です。

人の悩みを自分のことのように捉えるのは難しいことだけど、だからこそ軽んじてはいけないと自分に言い聞かせるようにしています。たった一つの言葉が、誰かの心にとどめを刺すこともあると思っています。インターネットで文字だけで伝えるときには特に注意したいです。

このnoteでも、不用意に人を傷つけることのないよう注意していきますが、「毒親」「親ガチャ」など人によって不快に感じられる言葉を使う可能性もあります。私自身、それらの言葉には「悪いのは親だ」と決めつけるニュアンスが含まれている気がしてあまり好きではありません。あえて使う場合は、話をわかりやすくするためであることをご理解いただければ幸いです。

4.最後に

あれこれ表現を悩みながら、やっとのことで最初の記事を書き上げられました!(後でコッソリ修正するかもしれません・・・笑)

次回からは、もっとシンプルに、時に深堀りしながら、思考を整理していこうと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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