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「わかってくれてる」過信は危険/愛のあるイジりって?

こんばんは!話しきれてないことがありすぎて、ネタ(?)が渋滞していて、ついつい文章長くなりがちなはるねずみです。

「近況報告」とかってしてしまうと1万文字超えるのほぼ確実なので、「タイトルのこと以外は話さないぞ!」って決めて、なるべく絞って小出しで、我慢してお話していくことにします。

話したいことって何?っていうと、たとえば・・・

HSP?な自分目線で、

・働きやすかったor続かなかった職場(職種)
・仕事選びの基準
・コールセンターのお仕事比較(コールセンター経験多いので)
・職場の人間関係で工夫したこと

のような、仕事や対人関係の悩みなど、自分の苦手分野にたいする工夫、やってみてよかったことなどを考えてみる系。

あとは、「こういうので悩みがち!」のような、自分の中のあるあるを具体例(イラストなど)交えて紹介する系。

はたまた、HSPとか全く関係なしに、

・買ってよかった!!!QOL爆上がり商品紹介
・読書感想文
・映画感想
・カフェ日記(写真多め)

などなど、日常系の楽しい話題系。

「あ~~~!これ話したい!」って、毎日生きてるといっぱい思い浮かぶんですが、いざとなると語り切れなくて・・・


まともに更新してなくても、ちょこちょこフォローいただいたり、スキやコメントをいただいている状況で・・・

果たして、そんな方々は私から何を聞きたいと思ってくださっているのか。

自分の話したいこと=聞きたい(読みたい)こと、ではないでしょうからね…

まぁ、ただ、「リクエスト募集!!!」なんて言っても、逆に「リクエストしたからには読んであげなきゃ…」みたいな変なプレッシャーかけてしまいそうなので・・・!

なるべく小出しで話題絞って、色々ちょこちょこ投稿していくことで、手探りしていこうかな~~~と、思ってます(*'▽')ノ

(いつもだけど前置き長い)



さて!

では本題へGO!!




「わかってくれてる」で苦しむのは自分

親しくなって、お互いの悩みや愚痴など、「誰にでも話せることじゃない話」をするようになると、それまで見えていなかった素顔が見えるようになってきますよね。

悩みや愚痴って、いくら隠そうと思っていても、どうしても主観が混じりますし、詳しく話せば話すほど、自分の人間性が相手に伝わりやすい話題だと思います。

人からどんな扱いをされたら悲しい、腹が立つのか。
自分が人に期待しているのは何なのか。

「この人になら…」と思える相手と、そういう会話を通して、自分という人間について知ってもらうことで、「わかってくれてる」「この人といると楽」という安心感も生まれてきます。


わかってる・わかってもらうことの喜び

自分が何が好きで嫌いで、どんなことで喜んだり悲しんだりするのか。そういうことを知ってもらえれると、嬉しいです。

反対に、自分も相手のそういうことを知っていくことで、「この人のことを自分は理解できてる」と自信がつくというか・・・

人って基本的に、誰かの役に立つことや、感謝されることで、自分の存在意義を確認できたり、喜びを感じられる生き物だと思います。

相手の好きなものを知っているということは、「私はこの人の好きなものを提供して、喜ばせることができる」と確信できるんですよね。だから、その人と一緒にいると、「役に立ててる感」を感じやすいから、居心地がいいし、知れば知るほど相手への好意も増していくと思います。

(もちろん、知って幻滅…!というパターンもあるかもしれませんが…💦)



「いじり」の難しさと効果

自分のことをどの程度わかってくれているかは、話していて何となく計ることができます。

怒り・悲しみ・喜びのバリエーションってわりと決まっていると思うので、「この間~~~ってことがあってさぁ」とさわりを話すだけでも、何が言いたいのか(聞いて欲しいのか)が相手に伝わることがありますし、その逆もありますよね。

話す話題によって声のトーンやスピード、抑揚のつけ方などなど、人それぞれ癖もあるでしょうし、お互い慣れてくるとだんだん察することができるようになっていきます。

たとえば、「いじり」や「悪口っぽい冗談(ディスり?)」みたいなものも、そういう関係性ができていて初めて成り立つ特殊なコミュニケーションだと思います。

ただ、これが結構難しいんですよね。

「褒める」「共感する」「肯定する」といったやり取りは、たいてい相手を不快にさせることはないはずです。(もちろん、わざとらしすぎる大きなリアクションとか、鼻で笑いながらとか、「私も○○で~、私は~」などと共感からの即話題奪取!などは、人によって不快に感じられる場合もありますが・・・)

ただ、「けなす」「否定する」は、よほど相手のポイントを理解していないかぎり、ミスコミュニケーションに発展するリスクがめちゃくちゃ高いです。むしろ、これをうまく活用できる人ってコミュニケーション能力が超高いか洞察力がすごい人なんだと思います・・・。

だから、私は基本、どんなに親しい間柄でもリスク回避のために、「けなす」「否定する」はしないようにしています。人をいじることもめったにしません。私には超ハイレベルに感じるからです。

でも、私自身がそれをされた経験から考えると、「コレはいいけどアレは他人から言われたくない!」という線引きをしっかり理解してくれている相手からの「いじり」は、むしろ痛快でした。

「他人から自分はそういう風に見えてるのか~」という新鮮な発見が面白くて笑えたり、「そうそう、本当の私はそういう人間なんだよ…」と、自分ではうまく表現できない根っこの部分を面白おかしく代弁してもらえたりすると、「もっと堂々としてもいいんだ!」「意外とそういう部分も認めてもらえるんだ…」という自信・安心をもらえたりするんですよね。

だから、そういう「相手をよく理解した上でのいじり」ができる人って、男女ともにモテるんだと思います。



とあるミスコミュニケーション(体験談)

ここで、最近私の身に実際起きた話をします。

まさに前述した「いじり」について、「わかってくれてる」「わかってる」というお互いのすれ違いが生んだミスコミュニケーションの例です。

わたしの本性

まず、私がどんな人間かについてさらっと・・・!

◆年齢:35
◆性別:女
◆MBTI診断:INFP(仲介者)
◆友達の人数:少なめ
◆外向的or内向的:内向的
◆大人数or少人数:少人数派
◆性格:気分が変わりやすい。他人の目を過剰に気にする。好奇心旺盛で飽きっぽい。ズボラ。負けず嫌い。
◆苦手:派閥・噂・陰口・マウント、集団(左記が発生しやすいため)、同調圧力、拘束されること、マンネリ、モノに当たる人、大きなため息や負の感情で周りを支配する人、乱暴な言葉遣いをする人、ルールを破る人
◆好き:つかず離れずな関係、自由なこと、新しいこと、想像すること、他人を悪く言わない人、笑顔が多い人、好き嫌いが激しくない人、夢中になれることがある人

だいたいこんな感じです・・・!(自分を説明するって難しい)


基本的に対人関係はめちゃめちゃ苦手です。

が、職場では少し無理をしてでも明るく振る舞うようにしています。無表情というか、決して「仏頂面」でいることがないよう、常に「準笑顔」みたいな、口角は上げた状態をキープするようにしています。

自分から話題を振ってみたり、相手の話に興味を持って質問したり。人と話すときは目を見て、挨拶はなるべく自分から、仕事は手を抜かず、愚痴は控えめに・・・

こういうことを気を付けていると、「明るい」「社交的」「まじめ」と言われたりします。


が、先ほどの解説?を読んでいただいてお分かりの通り、実際の私はそういうイメージとは少し違います。

できることなら、あまり職場の人と仲良くしたくはない。なぜなら、職場の人との話題で圧倒的に多いのは、愚痴や噂話、要するにネガティブ系の話題だからです。あとは、聴き手に回っていると、延々と自分の話ばかりをされる方もいて・・・(しかも、こちらの知らない人物を頻繁が登場する話😅)

そういう話に付き合っていると、どうしても疲弊します。

あとで一人になってから、「ああ~~~疲れた・・・」「もう一人でいたい」となるんですね。


だから、少なくとも職場の人間関係においては、「ドライ」な関係が理想で、お互いプライベートまで踏み込みすぎないような・・・そういう距離感が気楽で好きです。

仕事の愚痴も、いくら話しても解決・改善のしようのないことなら、延々と話し合っていても仕方ないですし・・・


わかってくれてる…?

そんな私のことを、職場の人の中でも一番と言っていいくらい、理解してくれる人がいました。

一回り近く年上の女性で、お姉さんのような存在。仕事のことからプライベートなことまで、幅広くかつ深く悩みを聞いてくれる相手です。

いつも自然体でおおらかに接してくれて、こちらが受け身でもとことんグイグイ来てくれるような感じの方なのですが、その距離感も、なぜか嫌な気がしないんです。会話の波長が合って、キャッチボールがスムーズだから、話していて楽しいんです。

その方は、私の気持ちや考えをよくわかってくれていました。

「そうそう!!!」とうなずくことばかりで、「あぁ、自分のことをこんなにわかってくれる人がいるって、幸せだな」「この人といると居心地いいなぁ」と感じるくらいに。

ただ、あることがきっかけで、「ミスコミュニケーション」が生まれてしまったんです。


それが、先ほど話した「いじり」にまつわることでした。


私は、人から見られるイメージと本当の自分とのギャップに、いつも悩んでいます。

自分のふるまいや発言がそう見せているんだから、そのギャップを作ってしまっている原因は当然私にあるのですが・・・

でも、一度「○○な人って思われてるんだ」と感じると、もうそのイメージを崩せないというか、そこにとらわれすぎてしまって、本当の自分を出せなくなっていくんですよね。

・・・というか、人からどう言われるか以前に、「きっとこう見られてる!」と勝手に自分の中で決めつけたり、もしかしたら「こう見られたい」って思ってその通りにふるまってる、まであるかもしれません。


とにかく、「本当は○○なんかじゃないのにな…」「このキャラでいるの疲れるな」「誰にでも愛想よくするの、しんどいな」と、ギャップを埋めることに疲れてしまい、その悩みを誰にも打ち明けられないことで、ものすごく孤独を感じる日もあります。


ただ・・・!

そのお姉さんは、私のそういうところも、わかってくれていたんです。


だからこそ、他人から「○○(私)さんってどんな人なんですか?」と訊ねられたときにも、「あの子はああ見えて結構○○で、~~なところもあるんですよ。△△って見られることに苦しんでいたりして・・・」なんて、私のいないところで誤解を解いてくれた(?)なんてこともありました。
(あとから、「誤解解いておいたよ~w」って、本人から聞きました)


私の悩みの本質を理解してくれて、その上でそういう行動も起こしてくれる・・・本当にありがたいって思いました。


でも・・・そんな矢先、事件が発生したのです!!!



人でなし八方美人事件

話せば長いんだ・・・。

と言いたいくらい、経緯を簡潔に説明するが難しいのですが。

ざっくり言うと、私のために計画されたお祝いの会の参加メンバーの件でモメました。

事の経緯

1か月以上前に食事会の日程をそのお姉さんが計画。

お姉さん・私のほかに、Aさんにも声かけて三人でやろう!と打ち合わせる

お姉からAさんへお誘いLINE♪

Aさん一向に既読つかず…(お姉さんAさんへの不信感&イライラが募る)

しょうがないのでBさんに声をかけて3人でお店を予約

食事会の2週間前。
私とAさんが業務面談した際にAさんから「そういえば…」と食事会の件を切り出し、参加希望の申し出がある(※)

仕事で少し迷惑をかけた私はAさんへの罪悪感&Aさんが食事会参加の意思表明してくれたことが嬉しく、お姉さんへ報告&調整しようとする

(お姉さんの中ではAさんは断るのが当然の流れ。ここで私がAさんを優先するということは先約のBさんに失礼であるという考え)

お姉さん・急遽誘ったBさんの気持ちをかえりみず、Aさんにのみ「Bさんもいますが大丈夫ですか?」などと伺いを立て、人数追加しようと考えた私
(Aさんには、Bさん入れて3人で予約済みであることを※の時点で伝えていなかったことと、AさんとBさんの関係性を私が理解していなかったため)

優先順位がおかしくどちらにもいい顔をしようとする私に、お姉さんは激怒

「八方美人」「人でなし」という言葉を浴びせられ、LINEでお叱りを受ける

と、こんな感じで・・・

Aさんから未読が続いて参加意思の確認が長期間取れなかった時点で、当初の「Aさんを入れて3人で」という計画はほぼ破綻していました。

だからこそ、Bさんに声をかけ、Aさん不在でもその3人で楽しもう!という流れに切り替わっていたのに・・・

そんなBさん、そしてそもそもこの会の計画してくれたお姉さんの気持ちを台無しにするような言動を、私はしてしまったのでした。

そうした経緯をふまえずに考えれば、「どちらが上でどちらが下か」という概念は、私の中にありませんでした。

Aさんが(当初のお誘い時点では不在だったBさんがいることを了承してくれるなら)人数を追加して、4人で楽しめればいいか!くらいの考えでした。

だから、どうしてお姉さんが「人でなし」とまで私を罵ったのか(LINE内のやりとりで「○○ってたまに人でなしになるときあるよねw」と、”冗談交じり”にではありましたが)、よくわかっていませんでした。



あとでBさんからよくよく話を聞いて、私がいかに無神経なことをしてしまったのかは理解できたのですが・・・

それでも、冗談混じりにでも「人でなし」という言い方には傷つき、納得がいかなかったんです。


これ以前にも、私はお姉さんから「自己中」「我が強い」とよく言われていました。それも冗談まじりかつ、その直後に「○○(私)は○○(私)でいいんだよ」「そのままでいなさいw」のように、ディスられつつも肯定される?というやり取りがよくありました。


「八方美人」で、自分が嫌われないようにどちらにも良い顔をしようとすることや、その結果としてどちらかを(あるいはどちらをも)傷つけるというのは、人として良くない行いだと思います。

自分の意見を曲げずに主張しようとすることも、「我が強い」と言われても仕方ないとは思います。


ただ、一応、私なりの言い分がありました。

お姉さんは、「○○(私)のことはよくわかる」と言ってくれて、実際色々なことを、こちらから細かく説明しなくても、少ない言葉で察して、代弁してくれていました。

けれど、「あれ…?そうじゃないんだけどな…」と思うこともときどきあって、そんなとき、どうしても譲れない!という部分では、普段の控えめな自分とは打って変わって、「~~だから、私は~~だと思います(~~したいです)」と主張する場面がありました。

「我が強い」とは、そのとき、お姉さんから言われた言葉です。

つまり、私の話を途中で遮ってお姉さんが早合点し、全く違う(しかも悪い)方向で決めつけられてしまいそうになったときに、とっさに誤解を解くつもりで出た行動だったんです。

その一件から、お姉さんの中で私は「我が強い」面があると認定されてしまったんですね・・・

そして、時折そういうイジり方をされるようになりました。



「自己中」は正直、そうだと思います・・・。

私はいつも、自分が周りからどう見られているか、嫌われていないか、自分が辛くないかを気にしていて、その割に、相手にたいしてはさほど関心を示さず、「自分がもらったものを同じ位相手に返せているのか?」と問われると、胸を張って「YES!」とは言えません。

悩み事の大部分は自分のことばかり。相手に働きかけるとか、ほとんどしません。

だから、「自己中」は確かにそうだし、言われても当然。

むしろ、「イジり」という冗談まじりな感じでやわらかく指摘してくれているだけマシだとも言えます。


また、私に対して「自己中」「我が強い」「人でなし」と思いながらも、「そのままでいい」「それが○○(私)」「私は○○(私)が好き」と言ってそばにいてくれていることにたいして、「嬉しい」とさえ思っていました。

だから、その言葉に対しても、あえて「傷ついた!」「そんな言い方しなくても・・・」「悲しい」といった、悲観的な受け止め方はせず、「なんか嫌だな」と落ち込みはしても、その気持ちを伝えることもしなかったんです。

一緒になって、「そうなんですw」と自分を否定して、私を否定する相手の言葉を全肯定して謝り、色々話してくれたことに感謝をしました。


ただ・・・

あとになって、そういう言葉が自分の中で消化しきれず残って、モヤモヤしだしたんですね。



Bさんへ相談

お姉さんと私の共通の友人(3人は職場の同僚関係)であるBさんへ、私は相談することにしました。

いくら私にたいして腹が立ち、その気持ちをわかってほしいと思ったとしても、そういう伝え方はどうなんだ?と思ったからです。

これからも、私はきっと、悪意なく、他人を傷つける行為をしてしまうことがあるはずです。

そんなとき、言葉で「~~は傷つく(むかつく)から、やめてほしい」と、私がした「行為」にたいして指摘してもらえれば受け止めやすいのですが・・・

「○○ってほんと人でなしだよね」と、私の「人格」ごと否定されることが繰り返されると思うと、自信を失い、その人にたいして委縮してしまい、自分の気持ちや意見が言いづらくなっていく一方で、それは健全な関係とは言えないのでは・・・?

と、お姉さんとの関係をこのまま続けていくことが、自分にとっていいことなのかどうか不安になったんです。


結論、お姉さんとも私とも親しく、それぞれから悩みをよく打ち明けられるBさんの意見はこうでした。

「ミスコミュニケーションになっちゃってるね」
「△△(お姉さん)に、○○が(「人でなし」とか言われること)本当は嫌がってたよ~って、それとなく伝えたら、”え?○○喜んでるよ?「雑に扱われたい」って言われてたから…”って言ってたよ」

と・・・。

え!?!?と、寝耳に水な話でした。

いや、確かに、私は以前、お姉さんのその気楽な感じ、変に気を遣わずに距離を詰めてくれるところや、面白おかしくいじってくれるところが楽しくて、「そうやって雑に扱われる方が好きなんですよ」という発言をした覚えがありました。

つまり、お姉さんは私のその言葉を”額面通り”に受け取っていたのです・・・!!


これはまさに、私の言葉足らずというか、ニュアンスのわかりづらさが招いたミスコミュニケーションでした。

雑に扱われたい・・・

それは、悪口や人格否定に近いいじりでもされたい、という意味ではなくて。

いじられることやグイグイ来られることは大歓迎なのですが、やっぱり誰にでも「自分では~~って自覚あるけど、他人から言われると凹む」というラインってあると思うんですね。

私は、自己中な性格で、目も細くて頬がパンパンで、時間にルーズです。

そういう自覚している致命的な欠点も、他人からいじられるとやっぱり凹みますし、なるべく冗談でも言われたくはないです・・・。
(もちろん、それが原因で不快にさせたり迷惑をかけた場合は、その行為について指摘を受けるのは当然ですが…)


でも、そんな細かいニュアンスは、私の少ない言葉では正しく伝わるわけがなかったんですよね。

私はお姉さんにたいして「わかってくれてる」と思いこんでいたし、お姉さんも私にたいして「わかってる」と思ってくれていたからこそ、二人の間のコミュニケーションはどうしても言葉足らずになりがちでした。


今回Bさんに相談せず、そのすれ違いに気づかないままでいたとしたら、私は何も言わず、お姉さんから距離を置き、離れていっていたと思います。

お姉さんからはよく、「私が○○のことを見捨てなくても、○○は私を捨てると思うw」と冗談で言われていました。「そんなことするわけないじゃないですか!!」といつも返していましたが・・・


こんな小さなすれ違いでも、私は本心を打ち明けることもなく、相手の本心を訊いてみようともせず、簡単に離れることを選ぶ人間。薄情とか冷たいって言われても仕方がないし、お姉さんの言う言葉はやっぱり当たっているなと思いました。

私がBさんに相談したのは、誰にも自分の本心を知らせないままお姉さんから離れることで、(人望の厚い)お姉さんが周囲へ「○○(私)に捨てられた」と言って回る可能性を恐れたからです。

そのことで、私自身が今の職場に居場所がなくなることを想像して、怖くなったんです。

だから一応、「こういう考えで、私は離れることを決めたんですよ。捨てたわけじゃないんですよ」と、一人のひとにでも知っておいてほしいという気持ちから、あえてBさんに相談したわけです。


まとめ

結果的に、ほんの小さなすれ違いが生んだ被害妄想とわかり、私は考え直しました。

ただ、このことで改めて思ったのは、「自分が思っているほど、自分のことは他人にはわからない」ということです。

「わかってる」「わかってくれてる」という信頼関係は、コミュニケーションを円滑に、バリエーションも豊かにしてくれる大切な要素です。

けれども、それを過信してしまうと、お互いに「そんなつもりじゃなかったのに」と傷ついてしまうことが起きかねません。


今回のことは、そもそも私のした行為に明らかな非があったので、「傷ついた」なんておこがましいことかもしれません。

でも、私自身も今後誰かにたいして指摘したり、怒りや悲しい気持ちを伝えようとするときには、相手の人格ごと否定するような表現をしないようにするよう気を付けたいと思います。

また、どんなに親しい関係になったとしても、そして、関係性をワンランク上にアップさせる手段として「イジり」を取り入れてみたいと思ったときにも、「これは相手が言ってほしいことなのか?」を念頭に置いて、よく考えてからにします。


自分が言いたくても言えないこと、知ってほしいけどうまく伝えられない自分のこと。

そういうことをあえて代弁するのが、優しい・楽しい「イジり」。


イジりって奥が深い・・・

相手のことをよくよく知らないとそう簡単にはできない、ほんと高等テクニックですね😂

私もいつか、相手のココロを軽くさせられ、その重荷を肩代わりしてあげられるような?愛のあるいじり?代弁?ができるようになれたらいいなと思います。



***


結局1個のテーマでも1万字近くなっちゃいました・・・ね・・・

最後まで読んでいただきありがとうございました!

また次回の記事でお会いしましょ~~~う!はるねずみでした(´・ω・`*)

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