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Weekly Journal (9/22-9/28)

受験の日々を記しておこうと思い、ここに残しておくことにする。私は、現役高校生で通信制高校に通いながら、総合型選抜を志し、受験生活を送っている。

現在は、第一志望校含め併願校の出願が5/7終了している状態だ。これから、残りの併願資料を作成しつつ、面接準備を始める予定だ。また、活動自体は止めることなく継続して行っている。来月には、DESINGNART TOKYO 2024(10/18-27)に出展予定だ。

以下、今週の全容。


9/22 何もない一日

昼頃に起床して、昨日の志望理由・自己推薦文の執筆の続きに取り掛かった。その後、塾が控えていたので渋谷へ移動し記述資料の最終調整を行なった。母からヒカリエで何か菓子を購入するよう頼まれたので無難な品を幾つか買って帰宅。ちょっと気が抜けて、そのまま夕食から読書へ移行してしまった。最終チェックが終わると大抵気が抜けがちになってしまう、こういう自身の怠惰がやるせなく、もっと気を引き締めて頑張らねばなと思う。早々に寝た。

9/23 美大出願資料作成

美大出願向けて、せっせと出願資料を作成していた。明日の消印だから間に合うようなんとか仕上げた。ずっと書類作成をしていたが、やはりこの作業で苦しいのは文字数以内に想いを込め、他者に伝わる言葉を綴るという制約の元で自らの最大限の表現力を発揮することだと思う。要件定義から逸れた提案は無駄足に終わるし、条件の中で試行錯誤するのが第一なのだと思う。これは今後、どの進路に進んでも囚われ続けていくことだろうから、心に留めていきたい。

9/24 出願後、展示会準備

昨日は、次の日の朝6時に就寝し、11時に起床した。昨日中に仕上げた書類を最終チェックして封をした。あとは当たって砕けろ、いつだって自分の手から離れたものはコントロールが効かないからそれまでの準備を丹念に後悔なく仕上げていく。合格も不合格も、どちらにしても納得を持って終えられることが第一だと考えている。
無事、郵便局に消印を押してもらって、それが終わると母と朝ごはん兼昼ごはんを食べに行った。雑談から、受験への不安から、団体の解散宣言に対する自身の考えとその後の対応を議論した。団体の件に関しては、特に自身が高校生活の中で最もコミットしてきたことだったからこそ、自身の不甲斐なさとまだ何かできるんじゃないかという執着心がある。話していても語尾が荒くなったり、自分でも客観的に何か葛藤を抱いているとわかるような言動が微々たるものだが現れて冷静にならねばと意識した。ただ、話していてわかったのは、ここ数ヶ月間私が本当の意味で生きていなかったのは、そういう情熱と社会や対外への怒りや苛立ち、苦しさ、なぜ?という反芻にこそ生きることの原動力があったのだということ。最近は何かに対して本気で苦悩するとか嘆き悲しむとかそういった要素が全くと言っていいほどない。それが問題といえば問題であるが、精神的には良いのだろうと思っている。
その後は、100BANCHにて作業に勤しむ。応募を控えているプロジェクト2.3を手早く最低限で片付けて、2本のミーティング。その後は、夕食を食べて、プロジェクトの延長線上で締切間近なものがあるので会則やら収支予算書やらを眺めて眠りについた。
明日も頑張りたい。

9/25 面接対策開始

昨日の申請書類が朝方までかかった関係で、昼頃に起床した。だいぶ眠気があったが仕方なし。しかしながら、いい感じに会則も会計報告書も完成してだいぶ安心した。40万円の助成が無事に降りてくれることを願っている。。。その後は、渋谷へいき、また作業に勤しむ。主に、コンペの応募内容をchat gptと対話しながら、構想を練り、面接対策のために要件整理と主張内容の整理を行なった。思った以上に面接が難しく、うまく自分の主張が伝わっていないせいで終わった瞬間、やるせなさを感じてしまう。なぜこうなる?というのは以前にも体感していたことだったが、もっと主張を整理して、主張のある文言を面接官に訴えたほうがいいのだろう。メニューの定番料理をまずは客に差し出して、これとこれとこれが外せませんという見えている全容を語り、その後、客から指摘されたら、これにはこういう具材とこういう秘伝のタレを使っていて、、、みたいな話を順を追って論証していけばいいのだろうということだと勝手に解釈してみる。明日、先生から呼び出しを受けたので、しっかり認識にずれが生じていないか確かめたいと思う。ただ、今日はなんとなく全体的にイライラしているとわかる1日だった。指図を受けるとかこちらが下に回って云々と頷くとかそういうことって意味がないというかもっと自由に話したいし、もっと枠組みを払って生きていきたいのにコモディティ化した集団の中で呼吸をするのは自分に合っていない。嫌気が指すし、負荷がかかるから、疲れてしまう。でも馴染めばそれなりに対処できてしまうからそれを認めざるを得ないのだけど、そういう自分もなんだか大嫌いだ。
帰りの電車では、饗庭先生の「都市の問診」を読んだ。途端に、コンペのアイデアと一緒に活動している人からもらっていた課題の突破口が開けた。本って素晴らしいしやはり楽しい、小難しいような教科書的な分厚い辞書は苦手だが、それなりの構造と論理が一貫している専門書は個人の思想が色濃く垣間見れるようにとても気に入っている。自分の関心とドンピシャな本は読んでいてニマニマしてしまう、最高だ。
早速降ってきたアイデアを文章に落とそうと思ってドキュメントを開き、嬉々として打ち込んでいたら夜が更けていた。明日は早いから気持ち早めの就寝とする。

9/26 愉快で不安な日。

こうして、3日坊主にならぬままに書き続けている自分を見て自分でも驚きが隠せない。今日は、色々あった。
もう翌日の25時を過ぎたけれど書き連ねていく。愉快で不安になる1日だった。予定通り、早々に起床した私は今日も渋谷の校舎まで行く。研究計画書の執筆を行いつつ、その他連絡などを並行して行っていく。2.3時間は作業に没頭して、今後の研究方針と2次試験に向けた面接の主張を固める時間だった。けれど、一向に収束しない、議論と主張の連続とその順序が私には不透明で至極わからない。けれど、ひたすらタイピングをやめずに、書き連ねていく。これが正解なのか拡散なのか、収束なのかさえわからぬままただひたすらに綴った。実際、こうやって圧迫的な作業は全日校ぶりだと思いつつもここまで迫られなければならぬだろうと思い腹を括った。既にここ数日間の出願ラッシュに疲弊していた。明日は伊東へ旅行のため楽しみにしている。その後、アーツカウンシルトーキョーのスタートアップ助成への応募フォームを永遠に埋めていきながら、並行して2.3の作業を行う。無事提出できてホッとした。全体的にダラダラとした作業に思われたが、案外8時間程度集中して終えられたのではないだろうかと思っている。何事もなく提出期日の書類は全て書き上げて帰宅。
今日は知人が交通事故にあったという知らせを耳にし、動揺してしまった。

止まらないことだ、そして祈り続けること。
咲くことを辞めずに祈ることをしない。
そうやって生き続けていく必要がある。確実に。
馬鹿みたいだねと笑い合えている時間はいい、
それは精神安定剤になり得る、けれど問題はその先だ。
笑えなくなる瞬間が必ず来る、それが崩壊と欠落を意味するならば、
私は泣き叫ぶのだろうという自覚がある。
一寸先は闇とは、言い得て妙だ。

入院にもなる重体と聞き、即座に堪えきれず心情をメモにとったのがこれだ。人の死とか危篤とか、そういったものがここ数年で急激に増し、かつそれに対しての自らの感情がとめどなく消費されていく感覚がずっとあるのだけれど、それを彷彿させる時間だった。それに対して著しく外部化するものでもないが、深く心に落とし込むものでもないと知っている。この塩梅は深く私をこれからも苦しめ続けるだろうけれど、気張って耐え抜いていきたい。不謹慎であるが、コントロールの効かないものに対して祈りを捧げ、心身の健康を願いながら、私にとっての今日はなんだかんだ良い1日だった。
明日も頑張ろう。

9/27 東京→伊東へ

早朝に起きて、静岡県伊東に向けて家を飛び出した。久々の骨休みで温泉に行こうという話になった。受験生にもなって休養をとるのはどうかと思うし気が引けたが、最近の著しいON/OFFに疲弊してしまい、結局1日オフの時間を設けることと決めた。

夢の中で2次面接の本番が頭を駆け巡り、必死になって受け答えする様が長く続いたせいか十分な睡眠をとったにも関わらず酷くストレスだった。車中で大学進学可能性を考えながら、景色に身を委ねてあれこれこれまで立ち止まって思考できなかったことに想いを馳せてみる。整理つくはずもないがただのんびりこうして考えるのも悪くないと思った。
行き先の伊東は私にとって馴染み深い土地だ。ほぼ毎年通っている。0歳の頃からある旅館の温泉が好きでずっと時を経ても泊まりに行っている。知った土地だが地域コミュニティの生態とかどこが観光名所とかそういった知見はない。ただ道を歩き、時を経ながらここはこうなっていたとか、あの店が潰れているとか、小さな発見の繰り返しで、駅から旅館までなら地図なしでも歩ける。小さな発見の連続がもしかしたらその土地への愛着とか私のアイデンティティを形成しているのかもしれないけれど、それが土地によるものなのか単なる商業施設の中で完結してしまうような微々たるものなのか定かでない。けれど、この土地に来ることで数ヶ月前・半年前・1年前の自分を思い出しノスタルジーを感じたり、ここは立ち止まって考えられる場所だから、そこであの時の私は何を考えていたのだろうかと思案してみたり、記憶を巻き返す場所としての機能性を有している。けれど、住民との会話はなく、その土地の実態を知るまでには至らない。やはり、こうした原体験を通じて思うのは、何を持って<場所>の記憶と定義付けるか、である。私の来街者として持つこの土地の記憶は場所の記憶だが、<場所>に成り果てることはないのか、馴染み深い土地だが、急に改変されてしまったら、そこに悲しみを覚えるのは当然だが、それはこの土地に住む住民の納得解が得られ消費でなく循環の世界が出来上がっていればそれで良いのか。勿論、結局その変容しゆく風景の中でそれを受け止め維持・持続するのは住民だからそれが優先されるのは確かだが、関係人口を省いた議論に一括してしまって良いのか?自分の手から離れた団体が変わりゆくのを止めるのは違うように、そこに暮らす、生きる主体でない人間はその運動や変化に対して外部化し、受動的になっていいのか。アンリルフェーブルは我有化を促したが、それは公共空間に対するものでそこに能動的になろうよと主張したわけだが、そこには住民も来街者といったよそ者の視点がそこを作り上げる構成員としてどの程度描かれたのか、そこに大前提、存在し得たのか?その思想の深層が気になって仕方がないから本でも買って、熟読しようと思う。組織のこと、街のこと、記憶のことと思考を纏めていくと、どうも自分の未来都市への構造や主張に一貫性がないことやつまりきっていない論理に辟易としてしまう、なんてことが多々ある。頭にあるのは、日々、場所の記憶を都市構造に組み込み、場所を担保した都市計画の普及、それによる経済の好循環促進であるが、これはどの程度人々に受け入れられるもので、私自身が実行し得るものなのか。共感してくれる人も、そこに対する熱量をもつ人も認めているが、それが自分の力での実装が不十分かつ、論理自体に破綻が見えている現在がもどかしい。もっと丹念しなければならないし人に話を聞かねばならないし、日々異なる仮説から構想を捉え直すべきだ。これらは受験にも活きてくるし、面接の場で自分の言葉で物を語れるくらいの免疫にもなるだろうと考えている。
大学生になったら、ここの地で市民参加のWSをやってみたい。心なしか、前回来た時よりもずっと空き家が増えていたり人気がなかったり、それを肌で感じてしまって変わりゆく日も近いのだろうと思った。その前にここの今を知ってみたい。

解体される家
店舗数が少ないアーケード
モスバーガーが潰れていた(テナントの募集が多め)

明日は、s-gatewayという東京建物などが絡んでいるソーシャルイノベーション・起業系の長期プログラムの最終発表会があるためそれがまずは頑張って、東京に戻ったら、あと残りの志望理由書を書き上げ、私の人生における総合型選抜の出願に決定的に終止符を打ちたい考えだ。とにかく、進むだけ。

9/28 S-Gateway 最終発表

昨日、内藤廣先生の「場所のちから」を読んでいたら、すっかり夜が更けてしまっていて、4時間睡眠で最初で最後の最終プレゼンに挑んだ。やはり、話が専門用語が抜けないまま相手に伝わっておらず、自らの主張を話したいことを話したいだけになってしまっているフォームが相変わらずで全く共感も呼べないどころかその後の話の発展が自らによって妨げられ、やるせない思いに駆り立てられた。フィードバックとして、関連のアクターに結びつける形でアイデア、解決策を展開しより私自身が誰の何に対してどの人たちと一緒に事業を起こそうとしているのかを具体化した方がいいと指南を受けた。また、平易な言葉で語らなければ、独りよがりで共感も得られないために一緒にコトを起こしていく仲間も見つけられない。自らの弱みを再認識させられる場だった。有り難いことに稚拙なプレゼンだったにも関わらず声をかけてくださった大人の方がいて、嬉しかった。声に出して自らの考えや熱量を語ること、声を上げ続けることはやめてはならないと自覚しているがそれが良い感触として再来する感じが良かった。が、しっかりプレゼンは2次試験対策にもなるから原稿覚えるなり動画撮るなり、専門用語と一般用語を使い分ける、オーディエンスに寄り添うなり、思索に投じる時間が必要だ。

最後に長すぎた1週間を打ち上げの席で教えてもらった時間軸の話で締めて終わろうと思う。今月14日、清水教授が実施した、オーラルヒストリーに纏わるWSの最終発表があった。そこで、出会った大学教授の方から、「記憶というものは空間と時間の中で立ち現れてくるものなのに、なんで君は時間を語らないのか?」というような問いを投げかけてくださった方がいて、これについて悩み続けた2週間を過ごしていた。確かに、その主張は最もで如何に過去・現在・未来の時間軸上で何を切り取り何を残し、壊すのか?といった議論は多様なジャンルで為されていることだと思うが、これに「<場所>の記憶」も該当するだろう。答えが見つからぬまま、どうこの時間軸を扱おうか、研究にするならばいっそのこと何か大きな出来事や運動に着眼してそこで二分された意味世界から時間軸を紐解いて行った方がやりやすいのではないか、と思案していたが、その糸口を今日、見つけることができた。
それが、レム・コールハース『S,M,L,XL+』だ。具体的な議論も主義主張もこれから読むため定かでないが確かなことは、建築学的観点から時間の概念性を捉えるということである。

建築にも都市計画にも至らぬ知識のない私だが、ここに光が差した気がした。ある人による(諸説あり)語りだが、建築は4次元だけでなく10次元まで考えるみたいな話があるらしい。これは、本質的な次元の話ではなくてあくまで捉え方の話でその4から10の次元の中には愛とか時間とか抽象度の高い変数が含まれているという。これに関連して、工学系の友人によると「この世の全ては11次元で表せる」らしいのだがこれには量子力学なりなんなりが絡んできて複雑なことになるため、建築学的かつ諸説あるがこの糸口から時間を取り扱いたいと思った。物質とか質量の有するものはそれが存在する以前や以後において誕生したり劣化したり消失したりと変化が著しい、そういう変遷を建築というハードのみで捉えるのではなくて建築というハードから波及されるソフト面(地域コミュニティなり人の構成なり、植物なり…)まで包括して統合的なデザインを行うとそこに1つの時間軸が立ち現れ外部世界との接続性が垣間見れる。昨日の議論にあった、来街者のような変数もこのソフト面に集約される気がしていて、これを鑑みて都市設計をしたとき、「<場所>の記憶」の位置付けも関連アクターに従ってそれが人間だけでなく、広義的な生命体としてどのように内在しているのか、何がこれによって表出されうるのか、それはどこで組み込めるようになるのか、、、といった議論が立ち上がってくるような気がしていて、そこを意識すると、逆説的であるが時間と空間が定めれば、「<場所>の記憶」それ自体も浮かび上がってくるんじゃないだろうかと考察している。
これらの過程で常に意識するのは、相も変わらず「すずめの戸締まり」の「迷い込んだその先には ぜんぶの時間が溶け合った ような空があった—」という一文で、これが深く心と頭にのしかかっている。私はきっとこの空を「<場所>の記憶」を介して描かなければならないし、私自身の人生においてもそうやって過去・現在・未来をつなぐ“戸締まり”をしなければならないんだろうなと痛感した1日だった。


統括(9/22-9/28)

今週もなんだかんだ色々あった。受験生としてこうであらねば、、、みたいな制約と外に出ることで感じる自らの勝手気ままさに翻弄されつつ、学びが濃い1週間だったと思う。
ここまで自らの行動記録と思考の雑記を綴ることももうないんじゃないかと思うくらい、今回は書き綴ったが、記憶とかアーカイブの必要性を外に向け続けるのではなく時に自己へ真正面から突き刺してみる、といったこともそれなりに重要度が高いから良かったと思っている。来週からは10月に入って、面接対策が本格化し、併願も後期のものの取り掛かりに励まなねばならないため更新が途絶えるが、また受験が終わった頃にまとめて記述した雑録をアーカイブできると良いなと思っている。



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