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場をひらく①

来月(2月)から、縁のある武蔵野市のアトリエで、「オトナのための文章教室」というのを始めることにした。

きっかけのひとつは、同じ場所で2012年からつづけている「授業」で、もともとは受験生の「国語」を担当していたのが、ここ数年は入試とあまり関係なく「ことば」を扱ったワークショップと化している。受験を終えた大学生が参加するようにもなった。

昨年(2017年)は、いろんなジャンルの文芸、評論、記事など様々な文章を読むだけにとどまらず、参加者自ら、「旅」のエッセイ(4000字)を書いてみたり、小説(枚数自由)を書いてみたりして、本をつくることを想定した「編集」の授業にも至った。

その「課題」に、ぼくは時おり自分でも応え、年末にはそれらの原稿を生かして小さな本(小冊子)『三つの冬の旅』を制作して、「ほしい人にはさしあげます」と無料配布するなんてこともしている。

その「授業」は、うまくいくときもあり、うまくいかないときもある。しかし最近は、どちらにしても、ある手ごたえがあった。

同時に、それだけでは物足りなくもなってきた。

きっかけの、もうひとつは、10年以上続けてきている個人的な雑誌『アフリカ』だ。こんなに続くとは思っていなかった。止められなくなった理由のひとつは、たぶん、変わり続けてきたからだ。

『アフリカ』は、もともと欲のない雑誌で、何か使命のようなものを感じてこなかったし、「こうあらねば」という理想を掲げてもいない。有名になりたいとか売れたいとかという気もない。そもそも当初は売ってなかった(売る気もなかった)ので、売れるはずもない。

「続けなくてよい」「『アフリカ』は一冊、一冊が一回こっきりのセッションである」なんて言ってもいた。

その“セッション”を通じて、書くつもりのなかった人が(『アフリカ』という“場”と出会うことで)溢れるように書き出すという場面にも、たびたび出会えた。それは、何かお互いが救われるような、とても幸せな体験だった。

出会いに、導かれて、やってきた。では、これからは、もっと、その“場”をひらいてゆこう、という思いがあった。(つづく

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