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今日の午後、お風呂場がまとった光〜手"遊び"仕事〜映画と音の話

今日はずっと家にいた。午後、風呂場が妙に明るくなった時間帯があり、覗いたら、差し込んでいる光が素晴らしくて、感動した。

その後、豚バラの角煮やらの晩ご飯の準備をしながら入稿作業をしながら金の計算と心配をしながらお風呂を入れながらウェブサイトを構築しながら子供に頼まれた折り紙を次々と折らなければならず原稿を書こうとして米をとぎながらレコードを聴いていた。午後3時くらいのお風呂場は本当にいい光をまとっていた。ビールが飲みたい。──なぁんて、ぶつくさ言いながら過ごす。

ひなた工房のウェブサイトに、「つくっているもの」のページを新たに追加して、今日は3つ、載せた。

立派なものというよりは簡素なもの。商売というよりはおすそ分け。"遊び"から生まれたもの、あるいは、"遊び"を誘ってくれるもの。道草的手仕事の産物。手仕事? んー。手"遊び"仕事?

ぼくの場合、休みの日といっても仕事が何もないというわけではなく(むしろ仕事で出かける日より仕事してるかもしれない)、そんなふうに家事と仕事で暮れてゆく。

昨日、今日は久しぶりにジャック・タチのサウンド・トラック集を何枚か出してきて、しばらく流しっぱなしにしていた。

ぼくは音楽も大好きだけれど、それ以上に"音"というものに敏感になる人らしくて、先日も品川のキャノン・ギャラリーで奥山由之さんの写真展「白い光」をたまたま観ることができた時に、真っ暗な会場を懐中電灯で照らしながら見るのだけれど、写真の中の、漁が行われている早朝の海の上を録音したものが、ずっと流れているのに自分の気が集まっているのを感じた。

昔、10代の頃に、ラジオから流れてくる自然の音、街の音なんかにぐいっと自分が持ってゆかれるのをたびたび感じていた。

大阪の大学に行って、映画館に入り浸るようになってからは、映画の中の音(映画館の中の音、というべきか)にも、とても敏感になっていた。

しかし、サウンド・トラック盤と呼ばれるレコードや CDは大半が映画に使われている"音楽"を集めただけのもので、映画のサウンド・トラックを集めたということの半分は嘘で、違う、と思っていた。

ぼくは映画に対してもそんなふうな人だったので、とにかく"音"に凝りまくっているのが映画を少し観るだけでもわかったジャック・タチの"映画の音"を集めて、編集されたCDを入手して、初めて聴いた時にはほんとうに感動した。

「映画と音」ということなら、本が何冊も書ける(というかたぶんすでに書いている人がたくさんいる)ようなことだけれど、音というのは、たぶんそれについて頭で考えるより、"浴びる"のがよいのだ。

できれば大きめな音で… というのは、よく聴こえる、ちいさなところまでよく聴こえるくらいの音量で、"浴びる"ように聴くということ。

ぼくは書くことにかんしても、読むことにかんしても、じつは"聴く"こと、つまり"浴びる"ような体験を求めている。

考えるよりも(考えることも大事だけれど、というより、ぼくはとても考える人だと自分のことを思うけれど、じつはそれよりも大事なことは)よく"聴く"こと。

目の見えない人の、光のない世界のことを、たまに想像する。目で見る景色は、じつは耳で見る世界よりも平坦かもしれない。音は、とても立体的だと感じる。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、4月16日。体調を崩している息子、処方されたシロップの薬を、お猪口で飲んでます。

道草の家2階の"ひなた工房"、4/20(土)に「横浜馬車道エキナカフリマ」に初出店します。詳しくは、新しくできた"ひなた工房"のウェブサイトをご覧ください。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

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